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すぐに忘れる

2018/08/17
そうしてすぐに忘れる。ご飯が美味しいと思うことも、夜眠れることも、働けることも、レイトショーを観た帰りの静かな高揚感も、好きな人と結婚して生活してることも全部忘れてないがしろにする。

そんなに昔の話ではない。あたしには全部ができなかった。ご飯には味がなくほとんど食べれなかった。薬なしでは睡眠も取れなかった、働く以前に家から出かけられず、人と話せなかった。スマホで文字を打つこともままならなかった。体も頭も思うように動かせなかった。20代のほとんどは躁うつと戦ってた。

先日『17歳のカルテ』という映画を見た。映画好きを公言しておきながらいまさら感しかないけれど、あたしはいまだから見ることができたなあと思う。主人公のスザンナが精神病と診断され精神病院に入院し、退院するまでの話なんだけど、スザンナは自分が病気ですと言われた時も治ったから退院していいと言われた時も、よく分からないと言うの。あたしも同じ気持ちだった。

あたしの場合は自殺願望はなくて(とはいっても生きてたい感じでもなかった)、通院と薬の治療だった。

例えば、なんで心の病なのに飲み薬飲むの?何に効いてるの?という疑問も持たずに持てずに出されたものそのまま飲み込んでた。1日40錠くらい飲んでた時期もあった。

いま思えば病気であることを選んでたなあ。薬がなくちゃ生活できない自分、かわいそうな自分、人一倍頑張り屋な自分、かわいそうでしょ?みたいな、完治したいま思えば。

21、22歳の頃初めて病院に行ってから何年も病気と自分と向き合わずに、そのせいでいまの旦那が彼氏だった頃どうしようもない亀裂が生じて1年くらい別れてた。当時の写真とか見ると痩せすぎな上に顔も目つきもやばくて、ちょっとよくは見れない。

何がきっかけだったかは覚えていないけれど、まず薬の整理を始めて先生に薬を減らしたいと初めて考えを伝えた。躁うつとは何かを調べて、いま自分はどんな状態なのか知る努力をした。通院費、薬代も馬鹿にならず、精神科通院の補助金申請もした。病気でかわいそうな自分、という自分はもういなかった。

それで今年の1月、高崎に引っ越して新しい病院へ行った。5年以上渋谷の病院に通っていたから、怖々と紹介状を出して待ってたら普通のおじさん先生があたしの名前を呼んだ。(ちなみに渋谷の病院の先生は千と千尋の神隠しに出てくる釜爺みたいな、がっはっはみたいな感じの先生だった)

いま飲んでる薬がなくなったらもうやめていいです、と言われた。心配なことがあればまた来てください。心配なことはいまのところ何も起きていない。そうしてあたしは何年かぶりに一切の薬のない、副作用と無縁の生活を送っている。

それなのに、すぐに忘れて愚痴を言う。こんな田舎だから観たい映画もやってない、仕事でこんなあり得ないことがあった、東京だったらすぐに友達に会えるのに等々。本当にごめんなさい。

生活に感謝して。健康というリア充この上ない生活に。

#おやすみゆめであえたら
#エッセイ
#コラム
#躁うつ

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