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大袈裟という概念


先日読んだ本の中で「誰しもが自分の中に何人もの別人格を持っている。それはとても良いタイプの、自分を救ってくれる為の解離性障害だと思っている。その別人格は出るべくして出てるんだからうまく利用して治癒に向かえば良い」みたいな文があって。

例えば子を持つ母親が職場に行き働く事で一瞬“母親”から離れられてその間に母親としての心を回復し元気になる、とか、SNS上で自分にデフォルメされたキャラクターを演じる事で本当の自分の気持ちを出す事が出来るとか。

私にとっての大袈裟は、コロナ禍でいつのまにか出てきたもう1人の自分だった。
その大袈裟を介すことで身体や心の酷い状態に直接触れなくて済むという感覚があった。
さらに言えば大袈裟がめいっぱい自分の感情を私に代わって吐き出してくれるのでその後ろで私はきちんと癒されていた。
大袈裟が色々やってくれてる間に私は苦しいところから解離し大袈裟としてみんなからもらった良い部分だけをしっかり享受していた。

渦中、私には本当に大袈裟しかいなかった。
私自身がどこにもいなくて、街を歩いても家にいても病院に行っても常に心の声が全て大袈裟の口癖に変わっており『こんな可愛いきゅるきゅるおめめに起きたことをあとでTwitterになんて書こう』っていつも考えていた。

それがこの2日間、急に私から大袈裟が抜けてしまった。それは本当に突然であまりにびっくりした。

婦人科検診を終え、朗らかな気持ちでまだ咲かぬ桜並木の下を歩いていたら、急に大袈裟が見当たらない。
病院の帰り道に寄った成城石井ではまたピョンと出てきた。
しかし家に帰って美味しいクッキーを食べていたらまたどこかへ行ってしまった。

ここで改めて説明すると、大袈裟っていうのは皆さんご存知の通り、可愛くてきゅるきゅるおめめで、楽しい時には何度も何度も手を変え品を変え楽しいと叫ぶ。
悲しい時にはいかにそれが悲しいことだったか、まるでその大きな一つの悲しみを大胆に輪切りにしていき『この断面はこう悲しいです!こっちの断面は黒くてほんと“や”です!こちらに至ってはいかにも腐っていてこんなの絶対におかしいです!』と気の済むまで叫び散らす。
納得いかない時もそうだし、嬉しい時もそうだ。

しかし本当の私はどうかって言うと実に真逆でネガティブなことはほとんど誰にも言えなくて、もう1年近くコロナ後遺症として休職しているのにその事実は現時点で母親と友達2人、長年お世話になっている上司夫妻しか知らない。
そしてそもそも毒親持ちなことに至ればもうほとんど誰も知らないに近い。

リアルではそんな私なのに“大袈裟”である私のことは、多分きゅるきゅるズのみんなはすごくよく把握してくださっている。
だって全部喋るから。私の中の言葉を、小さな心の粒子を、全部大袈裟があの大きな口で私から吸い上げ、そしてTwitter上でみんなに吐き出した。

大袈裟というのが私の別人格だと気付いたのも本当に昨夜のことで、すっかり一旦どこかへ行ってしまった事でその事実に気が付いた。

しかしもちろん大袈裟は居なくなった訳ではなく『今は大袈裟がメイン張らなくて大丈夫!』と言ってどこかに隠れてくれてるみたいだった。
その間、確かに私は私でいた。
人にネガティブな所一切見せられない元々の性格の私でいたんだけど『あ、なんか、今叫びたいほどネガティブなことが一旦全然ないな』てなった。
つまり私はこの間、ものすごく凪で現実的だった。

私に戻った私はずっと出来なかった事が急に出来るようになった。
あの婦人科検診に行った日から何をしてたかっていうと、まず家に帰って成城石井で買ったうますぎクッキーを良い感じの自然光で撮影しみんなに見せた。

そのあと、天気が良いな、と思い花粉飛散を理由にずっと出来ていなかった布団を洗いたいなと思った。
思いついた私は、冬用毛布とベットカバーと部屋に敷いていた2m×2mのカーペットを全て一緒にIKEAの1番大きな袋に入れて肩に担いで10分程歩きコインランドリーに持っていき、洗い、乾燥させた。
そしてその70分の待ち時間の間、私はコインランドリーの中のおしゃれだけど不安定なハイチェアーの上に姿勢よく座り続け、窓際のカウンターテーブルに肘をつき、持ってきた暖かいお茶を飲みながら流れゆく雲と夕焼けを機嫌よく見ていた。

そしてそのうちブザーがなったのでお茶をしまい、ふっかふかになった毛布とベッドカバーとカーペットをそれぞれ取り出し、畳み、担ぎ、そしてまた10分程歩き、家に着いた。
そしてそのままベッドカバーをかけ、毛布をセッティングし、フロアに丹念に掃除機をかけたあとでカーペットを敷いた。

そしてそのままの勢いで先日の無印良品週間で買って床に放置していたファイルとブックスタンドを使い、ずっと片付けられなかった本棚の書類たちを次々と整理整頓していった。
ファイル5冊分の資料を要るものと要らないものに分け、要るものは綺麗にファイルに収納し、要らないものはシュレッダーがないので手とハサミで細かく裁断した。
そして大きなゴミ袋3つ分にもなったそのゴミを夜中1時にマンションのゴミ捨て場に捨てにいった。
そして夕方洗ったまだほのかに暖かさの残る毛布をしっかり頭までかぶり、寝た。

ここまで、何もかもが余裕だった。
大袈裟も一度も出てこず、面倒臭いも、出来る訳ないも、疲れたも、頭が痛いもなく、何もかも余裕で終えて風呂に入って寝た。

そして翌日も掃除魂に火がついた私はダイソーでペーパーブックスタンドをたくさん買い込み、組み立て、昨日出来なかったその他の本や資料も全て綺麗に整理した。
そのままでは飽き足らず、自律神経が狂ってから出来ていなかった過去の確定申告のレシートを全てスキャンし、また出た紙類を手で小さく割き、大量のゴミ袋に詰め、捨てた。
その間に食事も作り食べている。

なんか、何もかもが急にクリアで余裕で現実的で、大袈裟に抱き付いていなくても全然大丈夫だった。びっくりした。
完全に変な感じなんだが、つまり急に、ずっと出来なかった事が信じられないほどサクサク進んでしまった。
検診にも行けなかった私が、毛布も畳めなかった私が、本棚にも触れなかった私が、何もかもあっという間にこの2日間でやり遂げてしまった。

予兆はあって、数日前の急性上咽頭炎で熱が出てそれが下がっていく過程で『なんかいつもと違う』と感じていた。
先月、今月と発熱ばかりしていたんだけど、そうやって熱が出て治癒する度に明らかに元気になっている感じがしていた。
それは単純に発熱からのギャップじゃなくて、身体自体が発熱によって元気になっている感じだった。

そんな訳で、直近で起きた不思議なことをまた大袈裟としてTwitterに書こうと思ったんですが、あまりに長文になりそうだったので初めてnoteに書きました。

また長文になる時はこちらに書こうかな。

(ちなみに後日作成した大袈裟についての説明が最高すぎたので載せます)



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