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行動する傍観者

この「行動する傍観者」というyoutubeは、アルテイシアさんの本『フェミニズムに出会って長生きしたくなった。』で知った。

この動画は、アルテイシアさんが脚本を書いているのだ。

まず、個人的に衝撃を受けたのが
「ぶつかりおじさん」
という性暴力が存在することだった。

というのも、この本を読むほんの数週間前。
私の6歳の娘が、その被害に遭っていたから。

娘の習い事の帰り道、狭い道だが人通りの多い場所がある。
片側一方通行で、すれ違うときは少し体を斜めにした方がいいかも、くらいの道。
いつも通る道。

私が前、その後ろを娘が歩いていた。
すると、30歳前後くらいの眼鏡をかけた、背の高い男性が、向かいからなかなかの早さで、ずんずん歩いてきた。
ぎゅうぎゅう人が歩いている中で、みんなゆっくりなのに、すごいスピード。ちょうど少しカーブになっているところを歩いていたこともあり、急に目の前に現れたイメージだった。

私はとっさによけたが、娘は目線が低いこともあるのか、その男性に気づけなかった。
普通なら、男性がさっとよけて歩くものだろう。だけど、そのまま男性は突進した。

小さな娘は、当然その力に耐えることなどできず、後ろにひっくりかえってしりもちをついた。

驚いたのと、しっかり手をにぎってあげればよかった、という後悔。
そのまま振り返りもせず、ずんずんと歩いていく男性の後ろ姿。
その背中を憎々しく思いながら、
娘に「大丈夫!?」「ごめんね、手をつないでおけばよかった」と
声をかけた。
幸い、娘は怪我もなく、無事だった。

その時、周りにいたたくさんの人たちは、
「なに、あの人!?」
「ひどい!」
「かわいそうに…大丈夫かな。」
と口々に言ってくれた。

すごくショックな出来事だったし、その男には何の罰を与えることもできなかったんだけど、周囲の人がそうやって声をかけてくれたおかげで、なんだか救われた。

6歳の女の子を、たまたま通りかかった大人の男性が突き飛ばす。なんてひどいことなんだろう。絶対許されることじゃない。

一瞬警察を呼ぼうか迷ったけど…。ここでさらに、この寒空の中、警察に長時間調書を取られたりするのは、さらに傷を深くしそうで。断念した。

そう、傷。
娘の体の傷は大丈夫だったけど、心の傷が心配で…。
あの人は間違っていて、あなたに一切の非はない。
ママもなるべくあなたを守れるように気を付ける。
そんなことを、折に触れて伝えるようにしている。

男性にぶつかられて、転ぶ。
40年以上生きてきて初めての体験だったのだが、これは実はよくあることだったらしい。

そのことが、アルテイシアさんの本と、このyoutubeで分かった。
「ぶつかりおじさん」というらしい。
自分より弱い女性にぶつかって転ばせる。
そんな卑怯な輩がこの世には存在するのだ。

クソめが。(本音でる)

そして、何より突き動かされたのが
「行動する傍観者」
という言葉。

犯人と、被害者。
もし、目の前で発見したとき。

1.犯人に立ち向かう。
2.何もしない。

の二択だと思い込んでいた。
でも、こんな常軌を逸した行動をする人間、立ち向かったところで危険すぎる。

さりとて、何もしない、というのも辛いものだ。
いじめを見て見ぬふりをするのは、間接的にいじめに加担しているのと同じ、みたいな。

だけど、ここに
3.被害者の味方になる。
という選択肢があったらどうだろう。

アルテイシアさんによると、

「大丈夫ですか?」と声をかけるだけで、被害者は安心するし救われる。
被害者が、周囲の人を味方だと信じられることが大事。

とのこと。
うんうん。
ほんとそうだ。それだ。

娘が突き飛ばされてしまったとき、周囲の人たちは確かに味方でいてくれた。何もできなかったけど、「あいつはひどい奴」「この子は何も悪くない」「大丈夫かな」「かわいそうだな」と思いやってくれたことには、かなり救われた。

過去の自分の痴漢被害を思い出しても、やっぱり誰かが「大丈夫ですか?」「ひどい奴ですね。」と言ってくれたなら、きっと傷の深さは違っていただろうと思う。

加害者に立ち向かうのは難しい。
けど、被害者に寄り添うことはわりと簡単だ。

うん、これからそうしよう。

と決意を新たにした日の夕方。
信号待ちをしていたら、信号の向かい側で、たぶん40代後半くらいの女性が、自転車で転んだ。

縁石をうまく乗り越えなかったのだろうか、ガシャーンと自転車ごと転んでしまったのだ。
ショックからか、怪我をしてしまったからか。分からないが、その方は、すぐに起き上がれられないでいた。

信号はまだ赤。

よろよろしながら、なんとか体を起こした女性は、自転車にまたがったまま、自転車を起こそうとしていたが、なかなか起こせない。

信号がやっと青になった。

私は、迷わず走った。
自他ともに認める運動不足中年なので、周りからは歩いているように見えたかもしれないけど、とにかく、その女性めがけて私は走った。

「大丈夫ですか?!」
「痛かったですよね。」
と声をかけながら、自転車を起こし、荷物を拾った。

女性は「大丈夫です」「ありがとうございます」
と言いながら、そのままゆっくりと走り去っていった。

わたし、迷わず、走れた。

一人の人間にとっては小さな一歩だが、
人類にとっては大きな飛躍だ。

アームストロングの名言が頭に浮かぶ。思わず月を見上げた。

自転車で転んだ女性は「被害者」ではないけど。
私ができることは、すごく小さいけど。
でも、「何もしない傍観者」でいることから抜け出せたのだ。
大きな一歩を踏み出せた。
それを実感できた瞬間だった。

こんなの、すごーく当たり前のこと。わかってる。
以前の私でも、手助けしていただろう、とは思う。

でも、「迷わず」「走って」は向かえなかったかも、と思うのだ。

以前なら、
他にも周りに人がいるし。
自力で起き上がれるかもしれないし…。
と少し様子見タイムが入っていただろう。

でも、迷わず走れた。
そんな自分を誇らしく思えた。

あのとき、私を走らせてくれたのは、間違いなくアルテイシアさんだった。
この清々しさ!
世界がまた広くなった。


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