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怒りんぼ

保育士おへそのごま の保育エッセイ(14)

「怒りんぼ」

 4歳児のAちゃんMちゃんが木登りをしていました。見守っているごまの元に2歳児のNちゃんがポケット図鑑を持ってきて「ごまちゃん、このカエルなに?」と図鑑を指差しました。Mちゃんは小さい子に対してとても自然体で関わりを持つ子です。この時も「え、なになに?Mちゃんも見せて」と関心を示しました。これに対してNちゃん、「ダメ!いまNちゃんが見てるの!!」と図鑑を抱えて取られまいとするかのよう。何も取るつもりもないのに…としょげかけたMちゃん。
 「あらま。なんだかNちゃんプリプリ怒ってるね。取られちゃうって思ったかな?」と状況を整理するつもりで口をはさみました。そこへ「ホントだ。怒りんぼだね」と少し笑いながらAちゃんの言葉。
 これに、思わずごまは、まじまじとAちゃんを見つめてしまいました。理由は後述しますがごまの内心は(あはは!あなたがそれ言っちゃうー?)という驚き半分にほんの少しのからかいの気持ちも。
 そんな僕の内心はAちゃんにも伝わったようです。ニマッと笑うと「ま、Aもだけどね!」と言うとサラッとしたいい笑顔。

 こんな返しをされちゃうと、大人も白旗をあげて降参です。「あははは♪そうだねぇ〜。Aちゃんも〇〇組(3歳児クラス)の頃はプリプリ怒ってたねぇ〜。でもさ。最近は怒らないでちゃんとお話してくれるし、ホントお姉さんになったよね!」と伝えるとニンマリ誇らしげな表情。僕はと言えば、本当に成長したなぁ…としみじみAちゃんとの2年近くの日々を反芻して、感動していました。

 2歳児後半から関わるようになったAちゃんは、よく怒ってよく泣く子でした。周りをよく見ていて、大人の言っていることも理解して自分なりに見通しを持って動ける、しっかり者。けれど一度怒ると大声で泣いてわめくか、ひと言も口をきかずに拳を握りしめて相手をにらみ続ける激しさを見せ、毎日のように噴火する火山のようだという印象でした。
 そんなAちゃんですが、一度きちんと向き合って、この子の怒りのもとはどこにあるんだろうと探るように関わったことから、僕にとっての印象は変わりました。
「ごまちゃんはさ、Aちゃんが何がヤなのか分かんないけどさ、とにかくヤダっていうのは分かった。ヤなんだよな、だから怒っちゃうんだよな。うんうん。ヤな時は怒っていいんだよ、怒れ怒れ!ヤダーーー!!って言っちゃえ」なんて語りかけながら、しばらく側にいたら、少しずつ泣き声やにらみつける表情が落ち着いてきて、「Aちゃんはさ、ヤだったの」とポツリ。僕が彼女の内心を言葉として聞いた初めてのひと言でした。
「そっかー、やっぱりヤだったんだよね。うん、Aちゃんがそうやって教えてくれたら分かったよ。うーん、でも何がヤだったのかなぁ。それはわかる?」
「……いっしょに食べたかったのー!!」

 驚きました。僕はこの時まで、Aちゃんは自分の思いや要求をうまく言葉にできずに、モヤモヤしたものを抱えてその表現として泣いて怒っているのだと思っていたのです。だから、必要なのは「嫌だ!」と口に出す言語化の援助から、だと思っていたのです。
 違いました。彼女は自分の内心を言葉にする力は持っていました。けれど、それを素直にタイミングよく出すことができず歯がゆくて、周りが察してくれないことにも苛立って、それで自分にも周りにも怒っていたのです。
「そうだったんだ!〇〇ちゃん(職員)と?」
「(うなずく)」
「一緒に食べたかったんだね。でも、そっか〇〇ちゃん先に行っちゃって、それでヤだったんだ。そっかそっかー。うん、そりゃヤだよな。んじゃさ、Aちゃんひとりで言うの難しかったら、ごまちゃん一緒に行くからさ、〇〇ちゃんに『一緒に食べたかった』って言いに行こうか、ね」

 そんな出来事があって以来、僕が彼女を見る目が変わったからか、怒って泣いている時も側に座って「話聞こうか?」と促すと、ポツリポツリと思いを言葉にしてくれるようになってきました。

 3歳児に進級してからも、Aさんはよく怒っていました。しかし、それまでの全方位に当たるような怒り方ではなく、物事が自分の思いと違ったときに「なんで察してくれないのよ!」とでも言うかのようにプリプリと怒ってすねて一人で物陰で膝を抱えてこちらをにらむような怒り方に変化してきました。
 例えば。持ち上がりの担任とほかの数人で遊んでいて。ご飯の時間が近くなった頃、遊んでいる中の一人が「〇〇ちゃん、今日一緒にご飯たべよ」と担任に声をかける。その瞬間、Aちゃんの表情がこわばり、キッと担任をにらみつけると物も言わずに足を踏みならしてその場を去り、近くの物陰で膝を抱えて黙り込む。というような具合です。
 彼女の中では、「今日は〇〇ちゃんと一緒にご飯食べるんだ♪」という思いが半ば決定事項のように存在していて、でもそれを口にだすことはしてなくて。「ワタシが一緒に食べたかったのに……」という思いがフツフツと湧いているのは分かるのですが。(それはさすがに、言ってくれなきゃ分からないよ)なのですが、3歳児くらいではまだまだ自他の境界線があいまいで、【ワタシが思っていること】が他者も同じように思っているわけではない、ということがうまく想像できないのですよね。

 そんな彼女の思いをていねいにくみ取り一緒に言語化しながら、他人にはあなたの考えていることが言葉にしないと伝わらないよ、ということを繰り返し伝えてきました。
 そうするうち、相変わらず、タイミングよく素直に自分の思いことばにすることは難しいのですが、それでも彼女の思いを聞き出していくうちに、少しずつ少しずつ、気持ちを言葉にするハードルが下がってきているように感じていました。

 そして、4歳児に進級する頃には、まだまだプリプリ怒ることは多いけれど、それでも自分の思いを「〇〇だった!」と怒りながらも言葉にするようになり、そうすると周りも「そうだったんだね」と理解してくれるようになり、という好循環もうまれはじめていました。

 その頃にはもう、僕との関係も、彼女の怒りに付き合うことが日常茶飯事になり、「ほらまた、Aちゃん、プリプリAちゃんになってるよ。お話聞きましょうか?」と声をかけると、苦笑いのような表情で思いを語ってくれるようになっていました。

 そんなAちゃんが、自分の小さい時を見るような思いだったのでしょうか。Nちゃんのプリプリ具合を見て「怒りんぼだね」と言いつつ微笑ましいものを見るようにしていたこと。僕の思わずの表情に気づき、これまでの自分を振り返って「Aもだけどね!」と笑顔で認められたこと。さらに、その後の僕の言葉を受けて、過去の自分と現在の自分を客観的に比べて、自らの成長を誇るようなニンマリ顔を見せてくれたことが、僕には本当にまぶしく嬉しく思え、胸が熱くなりました。

 他者視点を獲得し、自己客観視ができるようになるのは4歳半頃と言われますが、過去の自分を引き合いに、今の自分を比べて自分の成長や変化を感じるというのも、自己客観視の育ちの現れです。

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