未熟なひと ~視線を変えて・本質をつかむ~

うまのあわない人に会うことは、世の中、あります。私にも、あります。

意地の悪い人

では、意地の悪い人とは、どんな人なのでしょうか。

意地の悪い人は未熟なひと。ただし、本人は意地が悪いとは、思っていません。相手が悪いと思っています。許せないと思っています。

その人と、距離を置くのはよい方法です。が、距離を置けない関係の場合や、距離を置くのはよくない、または、相手を変えてやろう、などと思い込んでいる場合は、距離が近すぎるので、なおさらイライラします。

では、どうすれば良いのでしょうか。


私の話

さて、ここからは、私の話です。

相手が意地悪だと思ったり、なんて思いやりがないのかとイライラしたことがありました。

はじめは、こちらが優しくし続ければ、相手が変わると思っていました。これは、私の傲慢でした。相手を変えようという気持ちで、優しくすると、相手が変わることはなく、こちらがイライラしているだけでした。この人とは、最後までダメでした。

ある時は、別の人ですが、諦めて、距離を置くことにしました。物理的には、なるべく。心の中でも、なるべく。ただし、最低限のマナーは守ります。次第に、数年後ですが、よくなりました。この人にも、事情がありました。最近は、なんとか、よい関係になれそうに思っています。

ある時は、また別の人ですが、距離を置きました。しかし、改善しません。私は、その間、ずっと、嫌だなと思いました。困り果ててしまい、もうダメだとヘトヘトになりました。


未熟なひと

そんな時、意地が悪い人は未熟なひと。と聞きました。フンフン、そうだそうだ、と一瞬思いました。

すると。ふと。

未熟なひとに、腹を立てていた、私自身も、未熟なひとだなと、思いました。

そう、私が未熟なひとだったのです。

あーあ。そうか。と、目から鱗が落ちました。

それで、今までの考えでは、未熟な自分が良い相手の指摘するような人になる、もしくは逆に、良い自分が未熟な相手を変えるだったのですが、これは間違いと思いました。

未熟な自分が良い自分になれるようにがんばる。これしかないなと、思いました。

私の視線が変わったことで、相手の一挙手一投足には関わらずに、未熟な自分をよりよくする方に力を入れられるように、なってきたような気がします。

また、相手の悪い所を気にしすぎる点が、自分の未熟な点だったと反省しました。


対応策

もしも、未熟なひとに出会ったり、自分が未熟なひとだったら。腹を立てるよりも、改善策をとると良いと思います。

それには、本質が分かっている必要がありそうです。腹を立てている時点で、本質はつかめていないと、思います。人間には、分からないことは山ほどあります。

冷静に、分析して、本質をつかめる人になりたいです。そうすれば、未熟なひとである自分は、少しずつでも、成長してゆけるような気がします。


今後

本質をつかめる人になれるように、がんばりたいです。そのために、勉強と、経験と、思考と、思いやりを、たくさんできるようにしたいです。また、進む道は見えにくい道なので、間違えないように、優しさは、いつでも持って灯火としていたいです。


ありがとうございました。


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