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あるものからはじまる場「あいだす」がオープンしてから初の夏

世間は夏休み、久比の子供たちも家族で出掛けているのか、予定がたくさんあるのか、しばらく見かけていません。その間にあいだすをバージョンアップさせたいなと思い、まずはできていなかった片付けや散らばっている道具などの整理をしています。

暑すぎて農船旗をターブ代わりに…

そして夏休みに入る前に嬉しいこともあったのと、今考えていることやろうとしていることの進捗を書いておこうと思います。


みんなが私たちを受け入れてくれていることを、ひとりの人間として喜ぶ

ごめんねと言ったらいいよと言ってくれる。ありがとうと言ったらありがとうと言ってくれる。そんなシンプルなコミュニケーションが大切だと、子供たちと接することで改めて感じました。

紙と糸と針金で「釣り遊び」

いつも来てくれる女の子が、その時遊びに来ていた高校生の子に物(フクロウのぬいぐるみ)を投げて、ガラスのコップを割ってしまったことがありました。
その時いたメンバーはその子に対してどうして投げたのかまず聞き(ぬいぐるみがうざいからという理由…まあそんな時期もあったかもしれない)、
自分が思っていることを伝えました。
「そのぬいぐるみをくれた人もみんなに遊んで欲しいと思って買ってくれたのにということと、物を人に投げることは自分はしない方がいいことだと思う。」と。自分はそう思うというところが重要…

私は何も知らず、その後その女の子とずっと遊んでいたのですが…
水遊びをしていて、私はその子に水をかけて服を濡らしてしまいました。私は咄嗟に「ごめんなさい」と声が出ました。その子は最初不機嫌そうでしたが、その言葉の後は「大丈夫」と言ってくれました。

しばらくして帰る時間になり、一緒に片付けをしていたところその子が急に「あのね、今日ガラスを割っちゃた…ごめんなさい。」と言ってきました。

その場では謝らなかったようですが、帰り際に今日起こってしまったことを、何も知らなかった私に伝えてくれました。
私はどんな経緯でガラスを割ってしまったのか知らなかったけれど、とりあえず「怪我しなかった?」と返したのですが、後で話を聞いた時に「話してくれてありがとう」と言いたかったなと思いました。

その時間や言葉、その後過ごした時間を通して色々考えさせた結果、「自分がしたことを謝る」という行動をさせたとするならば、とても大切な時間になったなと思います。

今回のことは、地道にやってきた子供たちとの関係性づくりからいろんな変化を実感した出来事になりました。
今は久比のいつもくる子供たちと、私たちだけの小さなやりとりに過ぎません。ですが、これから外からくる人たちを増やしていく上で、私たち「大人」が伝えるよりも彼ら彼女らが同年代のみんなへ伝えていくことの方が影響があると思います。

片付けに関しても、私たちが言わずとも、子供たちが他に来てた子に「片付けてけよ!」と言ってくれるのです。
今はもう私たちだけがあいだすを育てている訳ではないことを感じることができました。


グランドルールの必要性をあらためて感じる

子供という予測不能な存在があいだすに関わるようになり、ようやくあいだすや弱いものを守るための「共通認識」をつくろうという話しになりました。
これは人や創造性を縛るルールであってはならず、あいだすを持続させていくためのものだと思っています。
こちらは現在パンフレット作成中で近々公開予定です。

ストリート感のでた石👀


運営メンバー2人の意見が噛み合わず、休みをつくった

運営メンバーも基本2人なのでいろんなことに手が回らなくなっていました。
まめなでくらすことやその仕事、生活の中でやるべきこと、きてくれた人にまめなやあいだすの案内をする。次をつくるためのインプットの時間、アイデアを考える時間、それを相手に伝えられる状態にまで落とす資料づくり、デザインに落とすための時間。資金調達のこと、毎日来てくれる子供たちとの時間、これからあいだすをどうしていったら良いのか、自分達が起こそうとしている会社のこと…

2人とも必死に目の前にあることに責任を取ろうとしていました。でもそれが本当に責任を取れる状態なのか。その状態で運営し続けることが責任なのか?
疑問に思い、体制が整うまでこの2日間は自分達のやりたいことを進める時間にしようと思いました。

やりたかった片付けをする

いつも来てくれる子供たちに相談し、月曜と火曜を休みにしました。
東京で働いていた時は当たり前にあった休みが、こんなに必要なものだとは思いませんでした。なぜ必要なのか、それがなくなった時に実感しました。
この2日間閉めている間に手が回っていなかった片付けをしたり、自分達がやりたいことを話し合って準備する時間にしたり、外にリサーチに行く時間
にしています。


自分なりにやりながら考えること

机でおとなしく座って考えることが苦手な私は、とにかく小さく実験してその反応を見た時にしか理解や納得ができないのだと、あいだすをやることで感じました。

理屈は分かるのだけど、納得できないから行動できないことがよくあり、今まで興味があるものが偏っていたのはこれのせいだと気がつきました。

あいだすで起こっていることに向き合いながら、人と話しながらつくっていくことはとても手間のかかることですが、何も始まっていない状態で全てを決めて設計してから進むよりしっくりくるやり方だなと思っています。

そのスピード感の方が地域の人や私みたいな人を置き去りにすることはない場になっていくのではないかと思います。

photo by fukuzaki

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