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みんなの銭湯というユートピア

銭湯のサウナには必ず、いつもいるおばちゃんが存在している。
それはおそらくどこのサウナにも存在しており、
必ずと言っていいほどコミュニティを形成し、他人の噂話を砂時計代わりにサウナと水風呂を嗜む。

サウナに入るおばちゃんは大体の人が顔見知りのようだ。
それは、私がいく先々の銭湯、また東京に戻った時に行く地元の銭湯であっても変わらない。

みな浴槽に入るなり、こんばんは!と挨拶し、
帰る時は、お先に!と声をかけて出ていく。

その間、決められたルーティンで風呂に入ったり体を洗ったりしながら、サウナで世間話を始める。

島で最初におばちゃんたちを認識した時、
まあ当然ここにもいるよな。という感じだった。


銭湯とサウナとの出会い

そもそも私が銭湯にハマり始めたのは、
会社を勢いで辞め、そのままコロナ禍に突入した年である。

無職という肩書と、パッとしない職探しの日々に、生きた心地がしない中、行き着いたのが地元の駅からふた駅電車に乗って、ひと駅めとふた駅目のちょうど間まで歩いたところにある銭湯だった。

古くからあるような外見とは裏腹に、
風呂場にある富士山の絵はカラフルでポップな感じで
若い人もちらほら見える。

靴をしまって広間に入ると、たくさんの漫画が出迎えてくれる。
「女」と書いてある赤い暖簾の先に進むと狭い脱衣所があり、
マッサージ機2台に横たわるおばちゃんたちが目に入る。

服を脱ぎ終えて、水を飲みほしてから風呂に入る。
小さいけど露天風呂がある。

「これはゆっくりできそうだ。」

まずは体を洗い流し、入って左手にある寝風呂に横たわる。
無職に対する社会の圧は厳しいものだが、
銭湯で入る寝風呂の水圧は心地よいものだった。

元々熱い風呂は苦手だったし、なんなら風呂自体が面倒で嫌いだった。
しかし大人になってから出会った地域の銭湯は、自分の存在を柔らかく支えてくれる場所になっていった。

週に一回、夕方くらいに通うようになっていった。

興味本位で入り始めたサウナに関しては、
水風呂を覚えてからというもの、言語では「ととのう」と表されるように、なんとも言えない幸福感で全てが満たされてしまう。

当時600円くらいで入れた地元の銭湯は、数日にいっぺん、何も考えないで心を清める駆け込み寺のような感じだ。

半年間続いた、何者でもない状態から内定をもらったその日の帰り道、その駆け込み寺へ挨拶がてら入りに行ったこと、その帰りに見た線路沿いの広い空に見えた夕陽の色をまだ記憶している。

それからというもの、島に来てからも銭湯とサウナは欠かせないものになったのだ。


サウナには欠かせないヌシという存在がいる

今住んでいる島の古民家に住み出して一年半になるが、ありがたいことに大家さんがようやくお風呂を直してくれたので、二日に一度車を走らせて行っていたいつもの銭湯は少しご無沙汰になっている。

今までは、こんばんは!といつものように挨拶してくれていたが、
最近はお久しぶり〜!と嬉しそうな顔で話しかけてくれる。

サウナでは近況を聞いてくるので、
もう先に、最近こういうことがあって今こんな状況なんですよ〜と話してしまう。

ヌシは閉店前の19:30になると、銭湯の椅子を片付け始める。(やる意味があるのかは定かではない)
東京出身の自分からすると最初は結構びっくりした。
「それ受付の人の仕事じゃない???」

でも、汚れた部分を誰もいない時に掃除してたりとか、
脱衣所で柑橘と夕飯の物々交換が行われていたりとか、
この人たちにとってこの場所がどんな場所になっているのかは想像がついた。

そういえばヌシが「このお風呂、潰れないで欲しいわ〜」と言っているのを何回も聞いたことがある。

そんなヌシの存在によってみんなの銭湯は、いつでも帰ってきたなと感じられる場所になっている。私にとってはどの銭湯も最高だ。

ゆえにユートピアと表したい。


お互い名前は知らないが、独りではない場所

そこで仕事の話をすることはあるが、今年は暑かったねとか、水風呂ぬるいよね(島の銭湯の水風呂は夏が緩い)とか、何も考えなくていい話をさも新鮮な気持ちで話す。
そんな話だけでサウナと水風呂を3往復する。

その時間は、「休み方を忘れてしまった私」にとっては休息できる場所になっている。
人とコミュニケーションをとることなんて休みになるのか?と思っている私もいたが、いつも行く銭湯に行って、誰もいないと
「なんだ、今日はひとりか〜」という気分になる。

お風呂上がりには、
すっかり顔見知りになった受付のおばちゃんが手作りのパンをくれる。
私は貰いすぎた野菜を渡す。

そのおばちゃんの名前は知らない。
おばちゃんも多分私の名前は知らない。

お金と場の提供以上の関係性が自然と形成されていく。
ひとりで行っても独りという感覚は薄くなる。
毎回そこにくる人たちは、そう感じるはずだ。


アイデアが湧き出てくる場

そんな銭湯にも誰もいない日はある。

メインのラドン温泉、大きい浴槽、小さい浴槽、水風呂、3人しか入れないサウナ(昔はぎゅうぎゅうで5人くらい入ってたらしい)という構成で、小さいお風呂なので誰もいないとプライベート銭湯か?みたいな状態になる。

それはそれでぼーっと入ることができて、気づいたら考え事をしてしまっている。
このnoteも水風呂に浸かりながら、書こうかな〜と考えていたものだ。

気づいたら頭の中を整理することよりも、アウトプットを必死にしてしまう自分がいるのだが、
安易に口から外に出てくるものよりも、ちゃんと頭の中でひとり熟考したものの重要性を感じている。

ひとり銭湯はそんな場所にはピッタリなのだ。
最初はぼーっと入って、気づいたらそういえばこのアイデアもう少し煮詰めとこうかなと自然と妄想が始まっている。
風呂から上がるとスマホに考え事をメモしている自分がいる。

そこに行けば誰かいる、
そこに行けばよく眠れる、
そこに行けばアイデアが出てくる、
そんな場所をユートピアと言わずになんと言うのか。


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