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“1+2=▢”の教育は良くないのか?

日本では「1+2=▢」の答えはと教える。
海外では「▢+▢=10」は何があるかと教える。

こんなことを聞いたことはないでしょうか?

これは日本の教育に一石を投じる良い表現として広まりましたが、今回は、同じ切り口で本当に必要な教育とはどういうことなのかを書いてみたいと思います。

日本の学校は確かに「1+2=▢」を教える

たしかに日本の教育は「1+2=▢」のその“▢”の答えを教えるというのがありますよね。小学校なんか特に足し算をやり始めた頃っていうのはそういった教育が典型的かなと思います。

ただ海外「▢+▢=10」の“▢”を考えさせる問題は確かに良い問題のように思えますけれども、これはこの日本の教育で「1+2=▢」これが理解できていないと「▢+▢=10」でいきなり“▢”を答えろと言われてもわからないんです。
ですので日本の教育として「1+2=▢」がその教え方がよくないかと言われると決してそんなことはなくて、基礎としては必ず必要な教育であるということが言えると思うんですね。

なのでまあ日本の教育がそんなに悪いかというと個人的には全くそうは思っていなくて、教えるべき基礎というのはきちんと教えているんじゃないかなというふうには思います。

そしたら、日本の教育学校教育で足りないところを補っていると言われている塾とかがどう教えているのかっていうのを次に考えてみたいと思います。

「▢+▢=10」と言われたら、、、

そしたら塾の勉強というのがどんな勉強なのかってことを考えてみますね。

「▢+▢=10」としましょう、塾の場合は、例えばこのような問題が出たら「1+9がありますよ、2+8がありますよ、3+7がありますよ、・・・」ということを教えるのが塾なんですね。

ですので“▢”の中がどんなパターンがあり得るのかっていうことを考えるということではなくて、どういうパターンがあるのかということを教えるのが塾なんです。

つまり基礎として「1+2=▢」この足し算ができるという考えを応用して「▢+▢=10」の“▢”を埋めると言うことではなくて、教え方としては「▢+▢=10」となったら“▢”の中は1と9の組み合わせがありますよ、2と8の組み合わせがありますよ、というふうに答えのパターンを教えるというのが塾なんですよね。

この教育方法というのは、問題自体はは良いんですが非常に危険なんです。

つまり「▢+▢=10」と言われたら、と言うふうに問題を定義して答え方のパターンを教える、こうなってしまうと定義された問題にパターンを持って答えるということしかできなくなるんですね。

これが塾の一番危険なところです。

もう少しちょっと一般的な話をしますと、例えば高校受験があったとして、目指す高校の過去問とかの傾向を調べながら「この高校はこういう問題が出るからこういう問題が出たらこういう考え方で対処しましょう」、そういうことを教えてくれるわけですね。

ですので一定の試験と言うものに対する対策というのは効果を発揮すると思うんですけれども、それってじゃあ何が得られたかっていうとその高校のパターンを知ったと言うことであって、“考える力”が養われたというわけでは全くないんですよね。

これが塾の一番危険なところです。

それではじゃあ海外の「▢+▢=10」と言うことをどう教えているのかって考えてみます。

海外では可能性を“考えさせる”

海外でヨシとされている「▢+▢=10」の教育は日本の塾とは少し違います。
たとえば、こんな感じです。

▢+▢=10
▢+▢=9
▢+▢=8
▢+▢=7


こうした並びを作って、どんな数字が当てはまるかパターンを見出させようとします。

すなわち“考えさせてる”んですね。

日本の塾は答えになるプロセスを全部教えるのに対して、海外の場合は他のヒントも与えながら、しっかりと考えさせます。

これが「▢+▢=10」の教育が良いとされる一番のポイントです。
しかしながら、「1+2=▢」の基礎教育があった上でしかこの問いは成立しないことはお分かりかと思います。

それではここで日本の教育を改めて考えてみましょう。

「1+2=▢」の教育は本当にダメなのか?

日本の学校教育がダメかと言われてたらそれはNOですね。すべての基礎になる「1+2=▢」の知識がないと応用も“考えさせる”も何もないのです。

ですので、日本の学校教育ではもう一歩“考えさせる”必要はあるかもしれないものの、基礎知識は十分に教育していると言えるので、全然ダメじゃないんです。

ダメなのは、その基礎知識をちゃんと学んでいることを理解していない親の方かもしれません。

基礎知識を使って“考えさせる”ことを日常でやっていないんです。
必要なのは日常的な“問いかけ”なんです。

「今日何時に出掛けるんだっけ?」
「準備に何分かかるの?じゃあ何時に準備はじめる?」

「ロールケーキあるけどうちの家族〇人だからどのくらいに切ればいいかな?」

「この茶碗の中にある米粒って何粒くらいあると思う?」

など、日常の中で子どものレベルに合わせた適切な問いかけをすることが“考える力”を養う上で大事なことなんです。

学習習慣のない子どもの塾通いは危険でしかない

先ほども言ったように、「▢+▢=10」となったら▢の中は1と9の組み合わせがありますよ、2と8の組み合わせがありますよ、というふうに答えのパターンを教えるというのが塾です。

日常生活の中で考える問いかけをされていない子どもが塾に通ったらどうなるでしょうか?

答えだけを知って、考えられない大人になっちゃうと思いませんか?

家で勉強しないからと塾に通わせる親が後を絶ちませんが、残念で仕方ないです。
自分で考える力もなくて家で勉強する習慣もないのに塾に行けば、そりゃあただ答えを教えてくれる場所に行って答えを教えてもらうだけになります。

なぜ、こんなことを思うのかというと、その成れの果てとも言えますが、学歴ばかりが高くて仕事ができない大人が増えまくっていると感じるからです。

これは、日本の学校教育の問題ではなく、塾や塾に行かせる親の問題なんです。

もう一度、子どもの教育について考え直してみませんか??

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