見出し画像

年に1度、お堀の水が無くなる「水落ち」のお話

本日は柳川の裏側のお話。江戸時代から続くお堀の大切な行事である「水落ち」についてお届けしてまいりたいと思います。


水に守られ、水と生きる。柳川の街

朝日が差し込む美しいお堀

柳川の町のどこにいても、気づけばそこにある穏やかな水辺。のんびりと舟が行き交う川下りのある風景は柳川の町に欠かせない存在です。

水の流れがゆっくりだからこそお舟をゆったりと愉しめる

水に恵まれなかった、「水の都」

「水郷柳川」と言われるくらいなので、なんとなく柳川は水に恵まれた街である印象を持つ人も多いのではないでしょうか。

ですが、柳川は日本一干満の差を生み出す有明海と共にある地域であり、筑後川と矢部川に挟まれた低い湿地帯です。

そのため、古代から洪水と水不足の戦いだったそう・・・

有明海の干潮の際の夕日

それでも、人々はこの土地に住まうことをあきらめず、地面を掘って作った水路、「掘割」を作りました。

生きるための生活用水を確保し、堀と干潟を活かした難攻不落の柳川城を築き、豊かな田畑を作るために人力で水路を張り巡らせて、干拓地を広げてきた。そんな、人々の結晶が掘割なのです。

柳川市全域ではなんと930kmにも及ぶ掘割。網の目のように広がり、なんと直線距離だと横浜くらいまで行ける距離に匹敵するそう。

そして、私たちも改めて記載しながらびっくりなのですが、中心部には、たった2km四方に60kmもの水路が張り巡らされています。

橋には「もたせ」という大切な水を長く滞留させ活用する機能も

年に1度、お堀の水が無くなる「水落ち」

水落ちとは、お堀の水を抜くこと。

水落ちを開始するための一仕事

上の画像は、城堀水門という城内に入る唯一の水門に板を取り付け、水をせきとめている様子です。水の侵入を防ぎ、そして下手の水門をすべて開放することで水が抜けるという仕組みになっています。

柳川城がもともと水の城と呼ばれていたのは、この水門を閉め、上流の矢部川の堤防を切り崩して水を流すと、城の周りのエリアを残して周辺が水浸しとなり、島のようになるという壮大な水の仕掛けを持っていたことからと言われています。

江戸時代に作られた先人たちの知恵が、現代にも引き継がれている。それこそが柳川の街の魅力の一つだと感じます。

奥深くまで続く掘割探検も楽しい

なぜ水を抜く必要があるのか

この掘割は水流が非常に穏やかなため、掘割の中には水藻が群がり生え、底にはちりやごみが滞留していきます。

掘割の環境を良好に保つためには、川底の清掃と日光消毒をしたりと整備が欠かせないのです。

日光にあたり、干されている堀

有明海の海苔養殖への影響などを考慮し、毎年2月に10日間ほど行われています。2024年は2月20日〜2月28日まで。

昔はこの期間、魚を捕ることも大きな楽しみの一つでした。明治の末までは、城内にある日吉神社の秋季祭礼の前に行われていたとのこと。
捕った魚で酒宴を催していたそうで、きっと素敵な宴だったのでしょうね。

掘割の清掃活動

この城堀と道の一斉清掃のために「柳川"堀と道"クリーンアップ大作戦」というイベントが柳川市中心に開催されています。

春の訪れを告げる「お堀開き」

お堀開きの神事の様子

3月1日には再び新しい水を堀に入れ、装いを新たにした城堀の「お堀開き」と呼ばれる神事が催されました。1年間の川下りの安全と観光業の盛況を願う神事です。三柱神社と日吉神社の宮司が神事をとり行います。

水上に祭壇を作る様子

舟2隻の上に板を敷いて設けた祭壇といった、水上で神事を行うのが柳川らしく、神秘的でした。

お舟の上にも清めの盛り塩が

柳川にもいよいよ春が訪れます!

三柱神社の欄干橋から眺める春の夕暮れ

三柱神社の欄干橋から眺める景色で一番美しいと感じるのが、春の夕暮れ。
お舟とお堀、その中に桜が咲き誇る姿に心奪われます。
この景色を今年も眺めるのが、最近の一番の楽しみです。

〈三柱神社 桜まつりライトアップ2024年期間〉
※現在準備中

お堀の機能をもっと知りたい方

掘割を水害から守る機能について紹介している記事はこちらです!

2024年の堀干し期間について
2月20日(火) 16時(水落とし)
2月28日(水) 12時(水門オープン)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?