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[HSPのはなし]繊細だったり、絢爛豪華だったり、丸腰の武士だったり

ヘッダーのイラストは、

このnoteに登録しているクリエイターさんのものであるが、

このように分かりやすい絵に出会えるのも稀だと思う。感謝。

いわゆるHSP(ハイパーセンシビリティパーソン)

人一倍繊細な人。丸腰な人。刺激を避けるためになるべく静かにしている人。

対して

HSS(ハイ センセーション シーキング)

外向的で刺激を探しに行く人たち。
刺激を求めるためならリスクをいとわないという人たち。甲冑きて、馬にのって刺激もとめて突入していく武士。

この一見HSPと真逆の性質を持つHSSの混合型という人々が、HSPの気質の中に3割いるという。


丸腰で弱いのに、自ら過刺激の変化に突入していってしまう武士。HSS型HSP。

おそらくそれが、私の気質なのだと思う。

そして驚くことに、
これに気づいたのは最近である。

どちらかというと、

HSS型HSPへの関心は、

人一倍刺激を求め続けるのに、

その刺激で恐怖したり疲労している自分の子どもを見て、

そうではないか、と思ったところから始まったのだが、

このHSPやHSSや混合型の気質は遺伝要素がある。


それでも、自分がそうだとは、
滑稽なほど気がつかなかった。

認められなかったのかも知れない。
その理由はまだ言語化できない。


今は、趣味や求める刺激の種類は違うが

すごく、そっくり母子だと思う。


自分のことというのは、
実は一番誤解して生きているのかもしれない。

そのままの自分の姿を認めるには、

理想の、こうあるべきと思い込んでいる自分と余りにも乖離していて、

自分に落胆するからかもしれない。


強くあるべき。
賢くあるべき。
優しくあるべき。
正しくあるべき。
役に立つ人間であるべき。
おおらかであるべき。

乖離していても、
いいのに。

理想など、常識など、
苦しくなるものなら、
何かが間違えているのだ。

自分が、目の前の人が苦しいのなら、

そのあるべき姿とやらが、何か違うのだ。



私を知る人は、

「そなたのどのへんが繊細なのじゃ」

と薄ら思うかもしれない。

HSPだと自覚しても、診断をうけたわけでもない。

自分を

繊細なんです、と名乗りあげるのは、

私、絢爛豪華と申します。

と名乗りを上げるのと同じくらい、

なんだか申し訳ない気がする。

大体、

サンリオピューロランドで

ポムポムプリンのかぶりものをして踊っていたいなどという人間が、

繊細なんだろうか。

(下に、絢爛豪華の絢ですと名乗りあげるのに抵抗がある話の記事を貼っておきます。ご参考までに)


大学での午後の講義は

最前列に座るにも関わらず、

常時必睡(じょうじひっすい)のことわりを

あらわしつづけた。

(いや、寝ないために一番前に座っていたのだが)


知らない人だらけの集まりに行くのも、

死ぬほど動悸がするというわけでもない。

むしろ自分からしゃべりかける方だ。

それは自分がそうしたくてしている自覚もある。

人に関わりたい、

和やかな集まりの一員になりたいと

本心から願うのに、

その望みが叶うことで

刺激を受けすぎているらしいことに

自分の身体の疲労感で気がつく。


それは、ひたすら悲しいのだ。

葛藤しつづける。


HSS型HSP。刺激をもとめるのに、人一倍繊細な人。

どっちやねん!って自分にツッコミ続ける人生。


何かが、無理があるのだ。

自分の望みを叶える無理のない方法というのは、

まだ探し途中であり、きっとあるとも、信じている。

頑張らないけどあきらめない。by鎌田實。

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HSPについてまとめるのには、大変エネルギーを使うなあと、

感じた。

本も、ちっとも読み進められまない。

当てはまりすぎて、線だらけになるのだ。

ポイントをまとめるとか、混乱する。

時間がかかりそう。

自分やご家族が、もしやと思う方、

ご一読をおすすめする。

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それでも、

少しずつ、私も書いていく。

自分の子どもたちに

葛藤を抱えた自分の気質を説明する必要は、

あると思うからだ。














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