見出し画像

言霊は存在すると、うちのクマが言う

ことだまという言葉をご存知だろうか。

幽霊でも心霊でもない。

言霊だ。

ことばには魂が宿るという、

日本古来の思想、信仰だ。


故に言葉は大事に使うべし、と

言う人もいるが、


残念ながら沢山の人が目にするメディアでは

そうでも、ない。と個人的には感じているが、

いかがだろうか。


人の耳目を引くフレーズを使うことと、

文法正しく使うことと、


言葉を大事にすることは違う。と思う。


言葉の持つ影響力を肝に銘ずるというのが、

言葉を大事にするという意味ではないか。

言葉の持つ影響力は

人を祝うことも、呪うこともできる。


その言葉は

祝いか、

それ以外か。

俺か、俺以外か。

(私はローランド氏の表現活動のファンである)


見分け、聞き分けるのは簡単である。


その言葉を聞いて、

元気になれば祝いである。

その言葉を聞いて、

自分のみぞおちがきゅっとしまるようなら祝い以外である。


きゅっと内臓が締まる言葉を、

あなたのため、みんなのため、社会のため

と言われるかもしれないが、

身体は正直である。自分の身体が基準である。

みんなのために傷めても、だれも代わりに身体を貸してはくれないのだから。


自分の身体を守るために、

全力で、祝いに、自ら寄って行こうと心掛けている。


どんな言葉に日常触れているかで、

無意識が変わっていくのではないか、と思う。

元気は、自分の中にあって守り、

誰かと交換するためのものだ。

不意な見知らぬとこから飛んできた言葉に、

すり減らすものではない。

身を縮める言葉には、自分を閉じていいのだ。


うちにいる大きい茶色のクマのぬいぐるみは、

下の子が

3歳の誕生日のすぐあとに、

上の子の卒園した幼稚園のバザーで

ベビーカー上にて3歳児の即断即決で買ったものである。


3歳になりたての子どもの少ない語彙の中から

一番可愛くて価値のあると思ったらしい言葉が

クマの名前としてつけられた。


「ハッピー」である。


バザーなので値付けされていた300円で購入したのだが、

顔も可愛いし、当時新品のように綺麗で使用感もなく、

化繊素材でありがちな皮膚の違和感を感じさせることもなく、

また、枕としても抜群に気持ち良い。

(もし子どもが成長してぬいぐるみを卒業したら

喜んでハッピーをお下がりをもらうつもりである。)

どうしてこんないいものをバザーに出したんだろう?と

不思議に思う。

神社の境内のバザーで、

かつ、

3歳になった下の子の妊娠中に切迫早産で安静を余儀なくされた際、

献身的に上の子の送迎や夕飯まで

世話を買って出て応援してくれた

先輩ママさんの手によって

バザーの店頭から子どもに渡されたといういきさつもあり、

なんとなく

神さまの使いのような雰囲気もある(お稲荷さまだったが)

黄色い蝶ネクタイのクマのハッピーは、

今も毎日子どもの布団で添い寝役を務めてくれている。


ハッピーは勿論しゃべらない。

私も、ぬいぐるみの声を聞く能力はない。

ただ、

ハッピーハッピーと子どもが家族がぬいぐるみを

呼ぶたびに、

やはり空気は和やかになるのだ。


ハッピーという言葉は、

祝いのことばとして、

長い間、

沢山の幸せな気持ちになった人に使われているからだと思う。

こういうのが

言霊なのかな、と思う。


ハッピーは大きいぬいぐるみだ。

ハッピーを家の中で見失うことはそうない。

なのでハッピーは自然と呼ばれる機会が多い。

例え何の気持ちも乗せなくても、

ハッピーと口にする機会が、

もしハッピーがいなかったら、

日常にどれだけあるだろうか。

何回か子どもが改名しようとしたが、

いつもすぐハッピーに戻る。

ハッピーに感謝である。


私のnoteも、

読んでくださる方の祝いになれるように

意識して書いている。


毎日、毎朝、

今日が終わるまでに

今この世界に存在しない言葉の塊を

形に出すことができるのか、

一抹不安もよぎるが、

なんとか書いている。ありがたいことだ。


これを読んでくださるあなたの今日という生命に

心からの祝福をのせて。ハッピー!

画像1

(そしてもしよかったら、

この記事の右下のハートマーク押して、

私の生命も祝ってください!笑)

















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?