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連載12 第二集 エッセイ編 『かみさま きょうも おひさまを つけてくれてありがとう』あきとまさきのおはなしのアルバム '88 


「信濃へのラブソング」 広沢里枝子 

 

 「信濃へのラブソング」とタイトルのつけられた、このLP版を、私が、フォークグループ「マリオネット」の友人達から受け取ったのは、一九八〇年の早春。たしか、大学の卒業式も、だいぶ過ぎた頃でした。

 LP版には、思い出深い曲が、多く収められていて、中でも表題作は、皆で、大切に歌い合ってきた曲です。私も、フォークグループを、作っていたことがありましたが、どこかに気負いがあったせいか、これほどに素直な、やさしい作品を、産みだすことは、できませんでした。私の歌いたかった歌を、マリオネットは、すてきなチームワークで、歌ってくれています。私は、この一枚のレコードを、がらんどうになった下宿の四畳半で、恋人だった夫への、断ち切れない思いとともに、カバンの底深く、しまいこみました。

 学生時代、私は、網膜色素変性症からくる弱視が、急に進んでしまい、三年生頃からは、文字も読みにくく、彼や友人達の、親身な協力に支えられて、暮らしていました。それは私達が、ふたりの恩師の不当解雇に抗議し、「学問の自由」を掲げて、寒中、あの吹きさらしの大学のロビーに、座りこんだ頃とも、重なっています。その時感じた、真実への渇望と、その後の虚無感が、彼と私を、一層強く、結びつけたのかも知れません。

 けれども一方では、私達の結婚を、双方の両親に、認めてもらうことは、できませんでしたし、せめて卒業後も、上田に残れないものかと、考えつく限り当たってみた就職捜しも、障害者差別の壁の厚さと、自らの力不足を、思い知らされるばかりでした。このままでは、彼の重荷になるだけの生き方しか、できなくなってしまう。どこの土地でもいい、なんとかして生きられる場所を見いだして、自立しなければと、私は、思いつめはじめたのです。

 しかし、下宿を後にしたその日、見送りに来てくれた彼と私の間を、電車の重いドアーが隔てた瞬間、私は、全身の力が抜けて、その場に、へたりこんでしまいました。その時の衝撃を、どう言い表してよいか、わかりません。やっとのことで、席に戻った私は、帽子で人目を避けながら、信濃連山を見上げて、泣き続けるだけでした。

 その後、彼は、両親の住む長野県に、私は、名古屋の点字図書館に就職し、ふたりが再会したのは、半年後のこと。その半年間というもの、私は、大事に持ち帰ったレコードに、針を落とすことさえ、意識して避けていたほど、日中は、張りつめた気持ちで、過ごしていました。

 けれども夜になって、信越線の夜行列車の響きが、聞こえてくる時、私は、思わず寝室のカーテンを開けて、窓ガラスを、こすってみずには、いられませんでした。車窓から漏れる光の帯は、闇を切って、信州へ、信州へと、私の心を運んで行きます。涙があふれて…。そんな時、いつの間にか口ずさんでいたのが、「信濃へのラブソング」だったのです。

 闇の中で、何度繰り返して、歌ったことでしょう。どんな曲よりも、ただ、この一曲だけが、私の気持ちを、知っていてくれるように思えました。信州にいた頃、なにげなくそばにあった、やさしさ、ぬくもり。それが、私にとって、どんなにかけがえのないものだったか。無くしてみて、はじめて心底気づかされたのです。

🎵悲しみは 雪解け水と 一緒に流してしまえるさ
幸せよ 草笛の歌と 一緒に 空へ 舞い上がれ
そして いつまでも忘れないで 信濃への 愛の歌🎵

 歌い続けた、いくつめかの夜、私は友人達からの、この熱い呼びかけに勇気づけられながら、信州へ、彼のもとへと、飛ぶようにして、帰って行ったのでした。

 こうして、私達は再会し、その後、二年半をかけて、双方の両親から、結婚の承諾と、祝福とを得ました。

 そして今、私は、二才と三才になる、ふたりの男の子の母親として、この信州で、夫と、姑達と、盲導犬と共に、暮らしています。視力は、ほとんど失いましたが、家族や地域の人々に支えられて、不安はありません。私は、今でも、「信濃へのラブソング」が大好きです。長い旅に、つきあってくれたレコードも、この頃では、曲に併せて、部屋中を跳ね回る、子供達と一緒に、タンバリンを叩きながら、楽しく聞いています。

 「おかあさーん、せかいで いちばん きれいな はなだヨー。おかあさんに あげるー!」
 「かあたーん、アゲウオー!」
 田のあぜで、摘んだばかりの花を抱いて、子供達が、駆け寄って来ます。庭にも、今は、秋の花が満開。これらは、私が妊娠中から、四季を通して、穏やかな気持ちで過ごせるようにと、特に花をつけるものを選んで、姑達が、植え育ててくれたものでした。刈り入れ間近な田からも、裏山からも、わきあがるように、虫の音が聞こえています。子供達も、この豊かな自然の中で、彼らの父と同じ、信州人として、育っていくことでしょう。

 ここに来てよかった。これからも、ずっと、そう思い続けていけたら、幸せです。信濃への愛の歌を、胸底で、大切に歌いながら。

「信濃へのラブソング」 (マリオネット)
一 
冬の寒さが厳しいほど 春の喜びは 大きいものさ
いぬふぐりの 小さな花にさえ 思わず ほほ笑んでしまう
汽車の窓から アルプスが 見えた朝に ひざまづいて
見知らぬ人たちの幸せを 祈れるような そんな所
悲しみは 雪解け水と 一緒に流してしまえるさ
そして この町が大好きさ ここに来て よかった


こんな谷間の 町や村にも 人間たちは 強く生きる
雪を頂く 山の姿に 僕らは夢見 あこがれる
悲しみは 雪解け水と 一緒に 流してしまえるさ
幸せよ 草笛の歌と 一緒に空へ 舞い上がれ
そして いつまでも忘れないで 信濃への愛の歌


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