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私の考える自己犠牲

次のカウンセリングまでに少し自分の考えをまとめておかないといけないのが
『自己犠牲』についてです


カウンセラーさんと
スキーマテストというのをやって見たところ、
私は『見捨てられ不安』『自己犠牲』『服従心』など。。他にもあったと思うんですけど
今思い出す感じだとその辺に心が大きく囚われていて、
幼少期の親との人間関係や
兄との人間関係の中で
私は精神的に虐待を受けていたこと。。
その痛みが今でもトラウマになっていて
似たような環境に身を置きやすいことなどが
なんとなくわかっているんですけど


その心理って様々なところとつながっているのですが、
過度な自己犠牲や服従心というのはどこからやってくるのかというと
根本は見捨てられ不安からきているような気がするんです。

過去に見捨てられたような出来事が何度もあったことで、そうならないように。
傷つかないように、自分の身をけずり、
他人に服従することで認めてもらおうとしてしまう。。

『自分』という者の価値観を
他人に全て委ねてしまうんだと思います。

でも実はこの恐怖を感じているのは
子どもの頃の自分なんですよね。


私を子育てしている時の親は
私に対して『身を美しく』と書いて『躾』って読むと言って、自分の価値観のなかの美しさを
私に繰り返し押し付けていて、
私自身が持つ美しさを否定して育ててきた結果。

私の心は常に怯えていて
その結果上下関係を望む支配的な人を惹きつけるようになっていますが、
本来は『私自身』を認めて欲しかったんだと思うんです。
『素の私』『完璧ではない私』です。

その完璧ではない私。
人の期待に応えられない私を
許してあげないといけないのは私で。
私が期待に応えられない自分を責めている限り
親のような人。。
私を下に見て欠点ばかりを責めるような人を惹きつけてしまうので
どうにか許してあげたい。。のに。。
なかなかそこまで辿り着けずにいます。

優しい人を見つけたつもりになっても、いつの間にか親のような
過干渉の人、私をなにもできない人間、
私の決断は危険なこと、言うことを聞けない困らせる人のように言い放つ
支配的な人に好かれ
私はこう思う。私はこうしたい。私の気持ちを聞いてほしいという願いは
激しく拒絶されて、粗末に蹴散らされる。。
そのバランス。。尊重や共感されない環境にいつのまにかなってしまってます。
このいつのまにか。。というところがわからないんです
相手がもともと支配的で不安定なのか。。
私のなにかが正常な人すらも支配的にさせるのか。。

この話をすると、私の周りは私をいたわって
私は全然悪いとこないしむしろめちゃくちゃ人に好かれる内面してるよと
言ってくれるのですが。。ホントのところはわからないのが正直な気持ちです。。


身を美しくをモットーに躾けられた私。
等身大の私は親の思い描く完璧な姿ではないことを心の奥で気にしているのでしょうか。。


私自身が過去に安心する人は大体最初だけでも私に向かって
『そのままでいいよ』と言ってくれた人が多いので、心の底ではそう思われることを望んでいて、安心なんでしょうね。

『等身大では足りない』
『ありのままでは受け入れてもらえない』という鎖をいつか手放す日が来たらいいなと思います。


自己犠牲っていいことないですからね。。
自己犠牲が機能する間柄って上下関係でできていて対等な人間関係ではないので。

立場が下のする方は自己犠牲を行うことで
いい方向に話が進めばいいなって期待してますが、
実際どんなに自己犠牲してもそれが身を結ぶことはなかったので。。

自己犠牲って、やればやるほど
相手はその上にあぐらをかくので
その姿を見てまたさらに自分が傷つくだけなんですよね。。

カウンセラーさんに最初に言われた
『究極のギバー』

そんな私が愛着の傷を乗り越えて
対等に持ちつ持たれつ
同じ分だけ愛情をチャッチボールできるような未来になればいいなと思って
毎日心理学を学んでます。

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