見出し画像

連絡する前から「やってきた元上司」

「想念のなせる業」について改めて痛感させられた出来事がありました。

わたしは他人の想念や調子をなんとなく感じ取って、心身に影響を受けてしまう傾向があり、世間ではエンパスと呼ばれたりしています。私の場合は体感で影響を受けるだけで、原因が誰の何なのかは分かりません。短期間の間に同じ不調を繰り返すことがあれば、生活に支障が出るので、その人物のあたりを付けて、なるべく近寄らない、気を付けるなど地味な防衛をしています・・・。

ただ、「特定してしまった」ケースもあります。直近の例だと元上司です・・・。

元上司は3月に定年退職しました。会社中のみんなから好かれ、頼りにされて、明るくて元気で優しくて体力無尽蔵の「下町の母」です。いつも誰に対しても誠実に向き合っていて、これ以上良い上司は望めないというほどに素晴らしい上司です。私自身もいつも励ましとフォローを頂き、感謝しかありません。

私は社会人になってから、よく変調をきたしていました。オフィスにいる間だけ、不整脈になったり、毎日手足に異様な量の汗をかく、突然心当たりなく落ちこむなどです。オフィスに近づくと、汗腺がすでに皮膚の下でザワザワしてくるのです。「会社に行きたくない」とかはないのに、です。家に帰るとピタリと治まります。「おかしいな。誰か不調なのだろうか。」と思っていましたが、ある時、「上司ではないだろうか?」と当たりをつけてしまいました。それは、短期間のうちに一対一の面談が立て続けにあった時、例外なく、帰宅後に床に倒れ込むほど体力気力を消耗し、おまけに精神状態までもが鬱っぽくなってしまうことに気付いたからです。しかも、仕事の進め方の話や、研修の振り返りといった内容で、怒られたり等は一切ありません。上司は、相変わらず元気で優しいのです。

確信は無いものの、会議の時にはなるべく遠くに座るなど、だましだましやり過ごし、やがて上司が退職してからは、謎の体調不良が嘘のように消えてしまったのです。これでようやく元上司と特定してしまったわけでした。しかし私は、彼女個人を内心「嫌い」とか「苦手」と思っているわけでは決してなく、むしろ「この方が上司でラッキーだな」と思っているのです。私は一体、彼女の何に反応していたのか?という謎が残ります。表には見えない負の感情があるのだろうか、じつはとても苦しんでいるのだろうか?いろいろ考えました。

結局わからずじまいのまま、謎の体調不良が消え去り、新しい上司のもと元気に仕事をしていた4月上旬のある日。元気に帰宅後、突然、例の「謎の体調不良」の波がやってきて、一気に調子が下がってしまいました。重たい粘性の見えない何かが、頭に背中にみぞおちにへばり付き、取れなくなってしまった・・・みたいな感覚です。精神状態も比例して下がってしまいました。仕事中に頭が朦朧とします。しかし、心当たりは何もないのです。頭を抱えていた翌日の昼、元上司からランチのお誘いLINEが来ました。上司の想念が、一晩「先に」わたしのところへやって来ていたのか?という説が、私の頭を巡ります。妙に納得感があったのは、体調不良の現れ方が、以前上司と面談後に体験していたものと酷似していたからです。

上司とランチをしたならばきっと調子が下がり、翌日以降の生活に支障が出ると困るので翌週の金曜日にランチの約束をしました。

そして当日。ランチの間ずっと、上司との会話からひしひしと感じたのは、「寂しい。忘れられたくない。まだ繋がっていたい。必要とされたい」という並々ならぬ想いでした。一番強かったのは、「私はまだ必要とされたい」だったかと思います。
そう口にすることが出来ないからか、「みんなが元気にしているか心配で心配で、教えて欲しい」「あなたはとても優秀で自慢の部下」という言葉を、それはそれは何度も何度もくり返しました。
そして、「ディナーも誘ってね。約束よ」と言い、時間が迫って来ている中、別の話を始めてなかなか立ち上がろうとしません。私の心をなんとか引き留めようとしていると、ひしひしと感じました。

ここで私は理解しました。「周りから必要とされる私」であることを、とてもとても求めているの人なのだと。必要とされることにより、自尊心を保ち、自己承認し、自分の存在意義としていたのだな・・・と。それが会社から供給されなくなった今、ぽっかりと存在意義の源を失ってしまったのでしょう・・・。

「困ったことがあったらいつでも頼ってね。できる限りのことをする心づもりよ」というのは、やわらかい利他の愛です。あなたが困ったら、OK、いつでも動くよ。というスタンス。周囲にとって有益な愛の想念です。
しかし過剰な「必要とされる私でいたい!(=それによって私は自分を価値ある人間だと承認するのだ!)」という想いは、困っている人を助けたいのではなく、実のところ「自分自身を助けたい」のです。他人想いのようで、本当の動機は自分否定を癒すための人助けなのです(・・・じつに巧妙です)。そして、その想念は、必然的に「困っている人」を身の回りに求めます。周囲にとっては、有害な想念となってしまいます。人へ与える作用ではなく、人から奪う作用です。
彼女の場合、それがフルパワーでやってくるのです。

だから、私は面談などで「褒められているのに」、粘っこくて重たい空気感をいつも頭からつま先までの皮膚で感じ取っていたんだ・・・、と、答え合わせが出来てしまったのです。私が見事に、部下として、彼女を「必要とする」人を演じてしまっていたからです。

他人想いで世話好きな人は、二種類いるようです。
心の底から「この方の人生にプラスになるといいな」という無色透明な利他の気持ちでやっている人。
「人を助けてあげることのできる立派な人間で私は在りたい」という、自分の欲求が混ざり込んだ気持ちでやっている人。

この2タイプの人は、結果として相手にやってあげることは同じでしょう。どちらも、外からは奉仕的な人と映ります。ですが、そこに込める「想い」の質がぜんぜん違うのです。だから巧妙です。

彼女は想念の力が非常に強いです。これは一種の才能でしょうから、私としては、ぜひ良い方に使って欲しいです。
その前に、自分がなぜこんなにも「周囲から必要とされたいのか」見極めてほしい。心の奥に潜む自己否定があるはずです。「自分の無価値感を、人から必要とされることで穴埋めしたい」とどこかで思っているはずです。なぜそう思ってしまったのか?何かのきっかけがあったと思います。
その上で、外の世界へエネルギーを向けてほしいなと切に思います。

彼女を必要とする場面は、彼女が見知っている範囲からしか与えられないわけでは、決してありません。長年勤めた会社からしか与えられないわけではありません。
「私が求められる場を与えてください。その場において私の能力を大きく用いてください」と祈ることができれば・・・
心から満たされる場所が、与えられると信じています。「会社を定年しちゃって、黄金時代が終わっちゃったな」と思っていたけれど、「まさかこんなところで!?わたしをこんなに必要としてくれる環境が用意されているなんて!??神様からのギフトに違いない!!」と確信できる日が・・・・・・私の元上司にも、巡って来ますように。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?