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世界一周なんて、一生無理だ

ずっとずっと世界一周に憧れていた。会社員の頃、不安定な自分の心を埋めるが如く、世界一周ブログを読み漁って、そしていつか自分も世界一周の旅に出ることを夢見てきた。

《世界一周》という言葉は、私にとっては夢であり、憧れであり、その言葉の響きは、旅をしている今でも色褪せない。

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そもそも世界一周ってなんだろう。
世界一周の定義が、“日本を出て、大西洋と太平洋を跨いで、日本に戻ってくる”というものなら、私は世界一周していることになる。むしろ、一周どころではない。

でもなんだか私の旅は、世界一周がしっくり来ない。旅で出会った人に「世界一周中ですか?」と何回も聞かれけど、「はい」と答えたことは一度もない。

「長めの旅をしています」や「大陸ごとに旅してます」と言っているけど、何故か世界一周しているとは言えない。

あんなに世界一周に憧れていたのに、何故だろう。

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世界一周といえば、どんなことをイメージするだろうか。何カ国も旅をしている、海外のこと良く知ってる、面白い体験をしている。この辺りをイメージする人は多いと思う。

《世界一周》という言葉で、上記のような経験をしている人という、共通認識があるように思える。

もちろん、なにかの指標があるって分かりやすい。例えば初めて会った人。この人はどんな人なんだろうと思った時に、「世界一周したことあります」と言えば、分かりやすいし、話のネタにもなる。何か分類、カテゴライズされるのなら、私も「世界一周した」と言う。

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でも、旅をすればするほど、世界一周から遠のいている感覚になるのだ。その地に行けば、知らなかった魅力的な所が見つかる。他の旅人から情報をもらう。でも、今回の旅では行けないから、またいつか、になる。行きたい所リストが増える。旅をすると、この繰り返しなのだ。

これは旅に関わらず、どの分野だってそう。限りある人生、時間とお金を何に使うか。少しその世界の扉を開けると、より深い世界がある。もっと知っている人がいる。どこまでやるかは自分次第だ。

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旅で出会った友人と、このような話をしたことがある。

それは《世界一周なんて一生無理だよね》ということ。

彼女は5年くらい旅をしていて、スポンサーもついているプロブロガーだ。世界は3周くらいしているし、70ヵ国以上訪れている。そんな旅人でも、世界一周は一生無理だと感じるんだ。

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日本にあるゲストハウスのオーナーと旅の話をした。

「自分がやりきったと思うまで旅がしたい」と伝えたら、彼女はこう答えた。

「やりきったと思う時は、死ぬ時だよ。旅は中毒みたいなものだから。」と。

それを聞いた時に、なんだか分からないけど、スッキリした。私にとっての世界一周は、一生かけてもできないと思う。でも、それでいいんだな。

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きっと私は、これからも「行きたい所がいっぱいあって、終わらないー!」と言いながら、旅を続けるだろう。そして、ずっと世界一周に憧れながら、わたしの旅をするんだと思う。


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