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旅の始まり、マニラで空港から動けなかった話

旅の始まりはいつだって不安だ。見知らぬ土地で、何が起こるか全く想像がつかない。

5年前の8月末。成田からわたしの長い旅は始まった。最初の行き先はフィリピン・マニラ。治安が悪くて有名な所である。


◇ ◇ ◇


「しばらく日本を離れる。」そう友人達に伝えてから出国まで、色んな所で送別会をやってもらった。

大好きな寿司屋でたらふく食べさせてくれた両親。海外生活のアドバイスをくれた先輩。わざわざ遠くから会いにきてくれた人。浴衣をいただいたマラソンのグループ。2、3人の飲み会のつもりが、友人30人が集合していたサプライズ送別会。その時は、驚きすぎてしばらく声が出なかった。

今の自分はこれら多くの人からできていて、みんな旅にでるジャジャ馬の私を応援し、背中を押してくれた。

本当に感謝しかない。私にできることは、無事を報告すること、世界のことを少しでも伝えること、そう思っていた。

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これから先、どんなものを得られるのだろうか。想像するもの全てがワクワクに満ちていて、キラキラ光っていた。成田国際空港の手荷物検査場に立った私に、不安はなかった。


◇ ◇ ◇


5時間のフライトでマニラに着いた時、ワクワクは消えていた。どうすればいいか全く分からない。こわい、ひとり、不安。

初めて旅をする場所では、事前に宿泊施設を予約しておく。マニラの空港から車で20分くらいの、治安が良さそうな場所のホステルを予約していたが、どうも重い腰が上がらない。

マニラの空港wifiを繋いで、日本にいる両親や友人達に連絡をした。そのまま1時間以上、動かなかった。正確には動きたくなかった。

日本が、みんなが恋しい。このままメールでずっと繋がっていたい。一歩踏み出せない。憧れていた海外の地に足を踏み入れたというのに、私は今までの生活や日本に、しばらくの間浸っていた。


タクシーの運ちゃんが座っている私に声をかける。私は無視をしてずっと携帯をみている。運ちゃんが諦めてどこかへ行く。

ああ、もう動かないといけない。日が暗くなったら、その方が厄介だ。誰が信頼できるのか、全くわからない。英語も分からない。頼れる人はいない。


思い切って1人に声をかけた。少し高いけど信頼できそうなタクシー、そのなかの人が良さそうな運転手。今思えばそれはメーターなしの白タクだったんだけど、なんでもよかった。

このエリアなら運賃はこれだと、ご丁寧にラミネート加工した価格一覧表まで持っている。なんだか高いなと思ったけど、きちんと示してくれているから、そんなものだろうと乗ることを決めた。値段交渉しようとも、英語が話せないので、どうしようもなかった。無事にホステルに着いてくれればそれでよかった。

どこから来たの?明日は観光するの?迎えにいくよ。

話しかけてくれる運転手に、英語話せないからとダンマリを決め込む。

少し渋滞に巻き込まれたものの、無事にホステルに着いて、ホッと息を撫で下ろした。

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後でホステルの人に教えてもらったところ、価格一覧表は観光客向けの超ぼったくり価格で、支払ったのは相場の3倍だった。いきなり洗練を受けた気分。でも良い社会勉強だ。英語が話せるようになって、いつかリベンジしよう。


◇ ◇ ◇


あの頃の警戒モードを懐かしく思い出す。今では価格交渉だってすっかり慣れてしまった。新しい土地で何をすべきか、注意するポイントも分かる。

それでも緊張感はなくさない。見知らぬ場所でひとりの時に気を緩めるという行為は、どんなに旅慣れてもしてはいけないと思っている。


あっ、わたし今ゆるゆるモードだなと思った時は、マニラの自分を思い出す。こわくて動き出せなかったあの頃の自分を。

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