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どこにでもいる普通の、私と母の話。(エッセイ)

※2021年にブログに書いていた文章を、その後編集・転載しています。私はこの元記事を書いた1年後(2022年)に娘を出産していますが、「母と娘の関係性」というのは「母と息子のそれ」とはやはり何かが違う、と感じます。うまく言えませんが、同性だからこそ色々と求めたり心配したりする部分は、あるのではないでしょうか…。※


私と母は、そう頻繁には会わないけれど、時々会う。

世の中には、親友のように仲の良い母娘や、離れていても毎日のように電話をするという母娘が存在すると知っているが、私たちはそうではない。

私が仮に毎日母親と電話するとして、何を話せば良いのだろうか?

話題は尽きるし、沈黙だらけだろう。もしくは、間違いなくどうでも良いことですぐ喧嘩になるだろう。

今日は、そんな私たちが先日、約1年半ぶりに会ったときの話です。

先日、ショッピングモールで1年半ぶりに会った母は、元気そうだった。

最近彼女がハマっているインスタで見つけたという、キラキラしたべっ甲の髪留めの画像を私に見せては、「こんなの欲しいわ〜」と言う。

Tiktokで見た、(私の息子と同じくらいの年頃の)「この男の子の動画がかわいいねん」、と言う。

一方で私はSNSはほぼ、ツイッターしかやらない。

相変わらず、そのあたりの感覚が私より若い。

23歳で私が就職して神戸の実家を出るまで、私たちはよく喧嘩をした。

「親しき仲にも礼儀あり」というのは本当にそうで、思ったことを全部そのまま口に出せば、家族でも激しく衝突する。いやむしろ、家族だからである。

以来、私はなるべく余計なことは母に言わないようにしている。

先日会った時も、背中がかなり露出したトップスを着ていた彼女に対し「年の割にやけにセクシーな服を着てるね」と言いそうになったが、あえて言わなかった。

ぶっきらぼうな物の言い方が鼻につくこともあり、「そんなにキツく言わなくても…」と思う場面もあったが、あえて口にしなかった。

母は父とお見合い結婚した後すぐ、私を25歳のときに、そして私の妹を27歳のときに出産した。

「◯◯(私の名前)も32歳か。32歳っていったら、私はもう7歳5歳の子どもがおった時やわ」と母は言った。

母は昔のことを振り返り、「『子育てがしんどい』なんか、思ったことない」と言った。

「というか昔は今みたいに、情報も何も無かったもんな。だから逆に良かったのかも」と母は続けた。

しかし私は、私と妹が幼かった頃に、母が泣きながら自分の母親(私にとっての祖母)に電話で何か話していた姿を、覚えている。

その昔は母にも、いろいろとあったのだろう。

母は結婚してからはしばらく専業主婦をし、私が小学校低学年になった頃からは近所でパートをしている。

今も、家から車を少し走らせたところにある大型スーパーで働いているようだ。

私が「また◯◯(夫の名前)の仕事の都合で、3年後くらいからどこか海外に住むかも」と言うと、

母は「良かったやん。私もあちこち海外に住むとか、そういう生活してみたかったわ」と言った。彼女は海外旅行が好きな人だ。

ところで母が私の人生について「良かったやん」と言ってくれたのは、私にとって、よいことだった。

私が学生の頃から、母は「結婚しても、主婦になんかならんとバリバリ仕事していてほしい」と繰り返し私に言っていた。

私に中学受験をさせ、進学校である中高一貫校に行かせたのも、そんな思いがあったからかもしれない。

だから、約5年前に私が体調を崩し仕事を辞めて主婦になったときから、私には「母をがっかりさせたかもしれない」という思いが心のどこかにずっとあったのだ。

しかし、これは私の人生である。

私は私の人生を、現在進行系でのびのびと生きている。

だからすでに子が2人巣立った母にも、引き続き自分の人生を、母らしく自由に生きていってもらいたいと思う。


私が今回、こういった母との文章を書こうと思ったのは、ただ「別に仲が良くとも悪くともない、積極的に頻繁に会うわけでもないが関係が途切れているというわけでもない、普通の母と娘」が存在している、ということを普通に書きたかったからだ。

世の中、そういった関係性があってもよいと思うし、むしろこういった関係の母娘は、かなり多く存在するのではないかと思う。

この日私と母は、互いの生活の話など他愛もないことをあれこれと話し、「じゃ、また」と別れた。

私と母は、そう頻繁には会わないけれど、きっとまた時々会う。

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