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女装ってやらないと忘れるだろ...

ここ最近、すっかり女装のペースが落ちてしまった。なぜだろう。昔は週末の都度やっていたような気もしたのに。むしろなぜそんなにやっていたんだという気もする。

同時に女装した写真をアップする頻度も落ちたので、あげるたびに「久しぶりに女装した」なんてコメントばかりつけている。

まるで最初は躍起になって更新してたのに、だんだん間が空いて、最終的には「お久しぶりです」が文頭の定型文になっているブロガーのようだ。

そんな調子な私だが、その久しぶりの女装で毎回思うのは、女装はやらないと忘れるということだ。下地を塗ってファンデーションをつけて…という基本的な流れではない。その最中にある細かい感覚を忘れてしまうのだ。

「あら、アイライナーってこんなに弾いてたっけ?」とか、

「こんなシャドウのボカシ方だったけ?」とか、

「つけまつ毛ってどれくらいの長さにしてたったけ」とかいうような、細かい部分を忘れてしまうのだ。

段々やりだすと思いだしてくる感覚もあるのだが、ほとんどの時間が「こうだったけか?」という試行錯誤の時間になってしまうので、でき上がりも「こうだっけな」といった感じの残る顔になっている。化粧ノリが悪いというわけではなく、「化粧した顔ってこんな感じだっけ?」という感じが残るのだ。

思い出は美化されるものなので、もしかしたら実際はほとんど変わらないのかもしれない。加工のしすぎで実は大差ないのかもしれない。

とはいえ、毎回こんな感じで「こんな顔だっけ?」という疑問を残し、久しぶりの女装は幕を閉じるのだ。

筋トレやバッティングなどと同じように、化粧も続けていると手癖が出てくるものだと思う。それを「メイク筋」とでも言おうか。人それぞれ化粧の仕方があるので、繰り返していくうちにそれぞれ我流の工夫も出てくるはずだ。それはやっぱり女装の頻度がなせることなのだろう。

女装頻度が落ちた私にとっては、その筋力が落ちてしまっているのだろう。それはまるで、思いつきで筋トレをやってしまい肉離れ何ぞ起こしてしまうオッサンに似ている。思いつきでメイクをして「こんな顔じゃない」と感じる気持ちはおそらく肉離れのようなものなのだ。

今さらストイックに「美を追求するの!」なんて思うつもりはない。またお腹が割るのを目的で筋トレをする人のような継続的な気持ちもない。スポーツレクレーションやサークルのように、「久しぶりに化けたけど、やっぱろ面白いね」と思える気持ちで女装が楽しめればいいと思う。

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