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女装を嗜む井川さん(第4回):四男・雪也の場合

とある大学のキャンパスを、モノトーンコーデに身を包んだ小柄の学生が歩いている。
彼は井川兄弟の末弟の雪也。この大学に通う三年生だ。
その日は午後の講義が終わり、待ち合わせ場所に向かっていた。

「ユキ!」
待ち合わせのロビーで彼を呼んだのは、同じゼミの4年生・桂木謙人だ。リクルートスーツに身を包んだ桂木を見つけると、雪也は慌ててそちらへ向かった。
「すみません、ちょっと授業が延びちゃって…。」
そう言って桂木の座るベンチの隣に腰掛けた。そして鞄の中からルーズリーフの束を手渡す。
「ありがとうございます!めっちゃ助かりました!!先輩かなり真面目にノート取ってたんですね。」
雪也が手渡したのは、昨年桂木が受けていた講義のノートだ。今年同じ授業を受けている雪也は、急なレポートを課されその参考にと桂木からノートを借りていた。
「俺も先輩のノートから写したんだけどな。それで役立ったなら何よりだよ。」
桂木は笑った。
「あの先生話の何が大事なのかわからなくて…、ノート取るのに苦労するんですよ。今日も途中から眠くなっちゃって、ノート半分くらいしかとれませんでした。」
そう言いながら雪也はスーツ姿の桂木の姿を見つめる。
「今日は面接か何かあったんですか?」
「いやいや、企業の説明会だよ。少し気になった企業があったんだ。」
桂木は先日、隣県に本社を置く紡績メーカーに内定をもらったと聞いた。それでもなお就職活動を続ける桂木に驚いた。
「内定したところ気に入らないんですか?」
「いや。せっかくいろんな会社見られる機会だから、もう少し受けてみようかなと思ってさ。ここがダメだったら今決まってるところに行こうかと思ってる。」
「すごいですね。他の先輩とかは就職決まった途端に旅行とか計画してますよ。単位も全部取って、卒論の締め切りまでにはまだ時間もあるし。羨ましいです。」
雪也は不機嫌そうに口をとがらせた。
「俺もこの企業の選考が終わったら思いっきり遊ぶぞ。俺は今この会社を受けたいからこうしてるだけなんだから。」
「そうですよね。でもやっぱり就活は自分が納得のいくところがいいですよね。」
「そうだな。そういえばユキもそろそろ就職ガイダンスが始まっただろ?」
「はい、でもいきなり服装だの髪型だのの話になって頭痛くなっちゃいました。」
そう言って雪也は改めて桂木の全身を見た。整えられた短髪に、細身の身体にフィットしたダークスーツ。キレイに磨かれた皮靴。私服の桂木も知っているが、やはりスーツを着る1歳しか違わないのに大人びて見えた。
「今の格好だと完全に書類選考で落とされそうだもんなぁ。ユキかわいいからスーツ着ると高校生くらいに間違えられるんじゃねぇの?」
そう言って桂木は笑った。
「それはよく言われるんですよ。入学式のときも七五三みたいだって兄からさんざん言われて。だから今この格好が一番しっくりくるんです。」
「確かにユキは今よく聞くジェンダーレスって言葉が似合うよな。やっぱり意識してるの?」
雪也の顔を見ながら桂木は尋ねた。
「自分ではあまり。ただ好きな服装をしてるだけで。髪も自分の好みに合わせて伸ばしてるだけなんです。男らしいとか女みたいって言われてもあんまりピンとこないんですよ。」。
「ユキは面白いよな。俺も最初に会った時女の子かなって思ったし、女の子になりたいんだと思ってたよ。」
桂木の言葉を雪也は否定した。
「全然そういうのじゃないんです。こんなことばっかり考えてるから、就活のガイダンスでも『男子たるもの短髪たるべき』とか言われるのがいまいち受け入れられなくて。」
そんなことを話していると、桂木のスマホに着信が入った。
「あ、今日この後家庭教師のバイト入ってるんだよ。また飲みにでも行こうな。」
電話と鞄を抱え、桂木は慌ててロビーの隅へ駆けて行った。

講義棟を出ると夕日眩しく、肩まで伸びた雪也のダークブラウンの髪を反射させた。
(就職かぁ…。再来年の春にはどんな進路を決めてるんだろう…)
長兄の春樹は自営業、次兄の涼太と三男の秋仁はそれぞれ大学卒業後に企業へ入社し、それぞれ仕事に就いている。とくに3つ年上の秋仁などは、これまで髪を伸ばしたこともなく、桂木のように何の違和感もなく就職活動に取り組んだことだろう。

「就職のために髪を斬るくらいなら、そんなのにとらわれない仕事に就きたいよ。」
そう呟きながら、雪也は家路につくことにした。

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女装したりバンドしたり漫画描いたりしてる人
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