ママの誕生日と後悔の変化
2月16日はママの誕生日。
もしママが生きてたら、65歳くらいかな。
11年前の今頃、ママは余命1年と宣告をされた。病名は何だったのか覚えていない。たしか、脳腫瘍で特殊な病名だったように思う。「余命」という言葉以外、聞こえて来なかった。
ママはひとり暮らしだったため、倒れた時の発見が遅れた。
私が3歳の頃に両親が離婚してから、ママはずっと別の県に住んでいた。私には2人の兄がいて、そのうちのひとりがママのそばに住んでいた。その兄がいなかったら、ママは冷たくなってから発見されたかもしれない。
ママは心の優しい控えめな女性だった。自分を犠牲にしても、周りが幸せならそれでいいと思えるような人。
私が小学生くらいの頃かな。なぜかママは、「50歳くらいで死にたい」とよく言っていた。それを聞くのは寂しかったし、大人は退屈なのかなと思った。余命を知ったママは、穏やかだったそうだ。
ママのために出来る限りのことをしよう、と兄たちと決めた。
最初は頻繁にお見舞いに行った。でも日に日に、ママは食べるのも、話すのも苦しそうになっていく。それを見るのが辛くて、私はたまにしかお見舞いにいかなくなった。
ある夜中、ママからの電話。眠れなくてかけて来たらしい。でもこっちは眠いし、父親は今日も暴れているし、仕事のかけもちはしんどい。そんな理由で、「明日仕事だから切るね」と電話を切った。
ママにはパートナーも友達も、両親も兄弟もいなかった。その中でひとり、死に近づいていくのは孤独で怖かったと思う。冷静な頭で考えたら分かることなのに、突き放した。
お見舞いに行って謝ろうと準備をしていたら、兄から訃報の電話。斎場につくと、ママは棺の中で安らかに眠っていた。でも兄の話では、たくさんの管に繋がれて痛々しかったと聞いた。苦しんだんやろうか。私のこと恨んでるやろうか。
泣きながら、ママに何度も「ごめんなさい」を言った。そこから後は記憶がない。いつの間にか、火葬場でママの骨を拾っていた。
12月の命日とママの誕生日が来るたび気持ちが沈んでいた。旦那さんや友人にいくら慰めの言葉をもらっても、後悔は大きくなるばかり。
たまに夢に出てくるママは悲しそうな顔をしている。いつか私を呪い殺すんじゃないか、と本気で思った。自分が幸せに楽しく生きることにも、罪悪感。
何年か前、旦那さんが過労でぶっ倒れた。放っておいたら文字通り、”死ぬ”かもしれない雰囲気だった。
「明日死ぬなら、今、何がしたい?多分それが自分が本当にしたいことやと思う。」
よく聞く当たり前の言葉を偉そうに伝えたけど、自分はそれが出来てないやんか。彼と私どころか、みんな、明日生きているかなんてわからへん。それなのに、なんで当たり前のように、「必ず」明日が待ってると思えるんやろう。
みんな、いつか死ぬ。
自分が気をつけて安全に生活していても、何が起こるか分からない。世の中も不安定だ。明日世界戦争になるかもしれない。自然災害が来るかもしれない。
だとしたら、ママみたいに自分を犠牲にして終わるなんて嫌だ。ママの生き方を否定するんじゃない。私の後悔の仕方はママの供養にも、罪滅ぼしにもなってない。私こそ、こんな生き方で良いわけがない。
「おいしいもんたらふく食べて、好きなこといっぱいして、好きな人といっぱい笑って幸せ。上出来!」
そんな生き方がしたい。
「後悔のない人生」なんて無理だと思うけど、「後悔が少ない人生」にはできるはず。
全力で、楽しく、元気に生きる。時々、落ち込みながら、悩みながら、罪悪感を覚えながら、後悔しながら生活しよう。
最近は、命日よりもママの誕生日をよく思い出す。たまに夢に出てくるママも笑顔なことが増えてきた。こうして想いを文章にできている。
私の生活も変わった。自分の趣味や頑張りたいことを楽しんでいる。旦那さんもストレス少なく、仕事や趣味ができている。
後悔を乗り越えてはない。ママの病気のことを話す時は今も泣いてしまう。たらればを考えて苦しくなる。後悔と悲しみは消えないんだろうな。でも今はそこに、「背筋をピンとして生きよう」が追加された。
今年は気持ち穏やかに言える。
ママ、お誕生日おめでとう。
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