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モハメドの”ホームワーク”が忘れられない

特別な思い出はないけど、私にとって忘れられない人がいる。

それは、モハメド(ムハンマド)だ。

彼とは、カナダ留学の語学学校で出会った。私たちは同じ時期に入学して、英語力が一番下のクラスに入った。このクラスは片言かつ、単語で自分の意思を伝えるレベル。

モハメドはサウジアラビア出身。年代は20代半ば。体型は小柄。人懐こいチャーミングな顔立ち。性格はおふざけキャラ。お坊ちゃま、だという噂。

授業はいつも、彼のこの一言から始まる。

「ティーチャ。アイ ドン ハブ ホームワーク」

お手上げ状態だ、というように両手を広げるモハメド。ホームワークを忘れたのでもなく、持っていないのでもない。やって来ていないだけだ。机の上に教材はおろか、筆記用具すら出ていない。

モハメドはいつもこうだ。

授業中は無駄口を叩くか、机の下でスマホをいじっている。サボりも多い。校内のルールは英語オンリーなのに、先生がいないと母国語を使う。

ホームワークを全然やってこないから、先生に呼び出されていた。それでも持ってこない。いい加減にしろ。全員が思ってたと思う。

それでも彼を憎めないのは、「ソーリー」と素直に謝るからか。テヘっとした表情には愛嬌を感じる。授業中以外なら、おもしろくてイイ奴なのだ。

でも私はイライラしていた。こっちは限られた時間とお金で学校に通っているのに、彼は授業を妨害ばかり。私は片言で単語をつなぎ合わせるように言った。

「モハメド。ホームワーク、ちゃんとしなよ」
「アイ ドン ハブ ホームワーク」

私は笑ってしまった。彼は本当にブレない。こっちの言っていることは絶対分かっているはずなのに、あえてその返し。私の怒りはどこかへ消えた。

いつしか先生も、クラスのみんなも、モハメドの「あの一言」を待っている気がした。だから彼がサボりの時は、ちょっと物足りなかった。

彼との思い出はそのくらいだ。

私が語学学校を卒業して、もうすぐ10年。彼とはあれ以来、連絡を取ってない。それでもたまに、「あの一言」を思い出す。

去年、私は独学で歴史の勉強をした。そこで、イスラム教の預言者の名前が「モハメド」だと知った。

私の脳内には、「アイ ドン ハブ ホームワーク」のモハメドが出てきた。神々しい姿で。

モハメド、元気にしているかな。


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