犬(てん)のいる生活の、こうふくさ。
ほぼ日の糸井さんの愛犬ブイヨンが3月に亡くなって、他人事ながらすごく悲しかった。今日新しく犬ブイコちゃんをを飼い始めたと知って勝手にすごく、うれしい今日。犬のいる生活の、こうふくさを、私も感じている。
我が家には、ものすごく甘えん坊のチワワ、天(てん)がいる。
もう一昨年になるのか、私がラオスにいる間に私たち家族の最初の犬の家族、ナナが長い長い闘病を終えた。
最後に一緒に入れなかった私は、今もどこかであまり実感が湧かないでいる。
一番大変だった、ずっと看病をし続けていたお母さん。ナナがいなくなってしまってから、もう年齢もあるし「もう犬は飼えない」なんて言っていた。
でも少し経った頃、「やっぱり飼おうかな・・・でも・・・」と迷っていた。まだまだ自分がどこで何をしているのか、数年先のことも分からない私は、「そうだね」としか言えないでいた。
そしたら、天(てん)が家に来た。これまた私がいない間に、家にやってきていた。最初に会った時は、私を見てびびって、ちびった。笑
ナナとはまた全然違う性格で、ナナしか知らない私は、犬って一匹一匹こんなにも違う性格をしているのか!と当たり前のようなことに驚いた。
びびりっちょでお散歩がきらい。(でも庭ではよろこんで遊ぶ!)兎にも角にも遊ぶのがだいすき。どんどんあまえんぼうになっていく。
今では家にいると、本当どこにでもついてくるのね。いくら遊んでも飽きるということを知らないのです。すごいよ、おまいさん。
家にちょっといたと思ったら何ヶ月か出ていって、また帰ってくる。そんな私をどんな風に思っているんだろう。親戚のおねいちゃん?でもね、家にいる時間は短いけれど、あそぶ時間がきっといちばん長い私に、今ではきっといちばんべったり、ぴったり。天がいる家に帰ってくるのが、いつもたのしみになっている。
家にいて、天がすぐそこにいること。もう、すごくうれしい。朝起きてくるだけで、2階から降りてくるだけで、買い物から帰ってくるだけで、ぐわーっと全身で飛び込んでくる。もう、なんてかわいいんだ。
私が、大人になって家にやってきた天。「大事にしたい」っていう気持ちが、確実に自分の中にあるのがわかる。ナナが家にきた時は、まだ私も小学生だったからか、「大事にする」ということがよくわからなかった気がどこかでいつもしていて、後ろめたい気持ちがあるような気がしていた。でも、ナナがいてくれたからこその、いまの「大事にしたい」がある気もしている。
これを書いている今も、天が「あそべ、あそべ」と足元にひもをくわえて、じゃれついてくる。しあわせだー
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