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買いだめするなら「豆と弾薬とバンドエイド」の真意。「パニック買い」と」「暴動」がほぼ同じタイミングで起こりかねない国で。

新型コロナで「銃の弾薬」を米国人が買いだめしているという話。
私もそれについて触れた書き手のひとりですが、寄稿した記事でも述べた通り、このニュースを報じた「アメリカン・ライフルマン」は、銃規制に反対する全米ライフル協会(NRA)による出版物だという点は、一応おさえておいたほうがいいと思います。

弾薬やサバイバルギアの販売を促進する意図が、記事の狙いとして含まれているかどうかについて注意が必要だ。

これを踏まえた上で、やっぱ「アメリカ、おもしろー」と、記事を楽しいんでいただけると幸いです。

強調したいのは、この米国人の国民性の部分。

米国の“弾薬買いだめ現象”の裏側には、日用品が手に入りにくくなるタイミングで「暴動や略奪が起きるのではないか」「仮に起きても、政府が守ってくれる保証はない」という米国市民の危機感があるとする見方がある。
というのも、2005年に大型ハリケーン「カトリーナ」がルイジアナ州を襲った際には略奪が起きるなどの混乱が生じた。無論、その背景には脈々と続く人種差別や格差と不平等の問題があるのだが、アメリカでは「日用品が手に入りにくくなるときに暴動・略奪が起きる可能性」を想定することは、必ずしも過剰反応というわけではない。
 
2011年の東日本大震災後の日本で「暴動が起こらなかったこと」は、海外でも大きく報じられた。つまり裏をかえせば、非常時の暴動に備えて「自分や家族を守る護身用品が必要だと考えること」は、多くの国で共感できなくもないことなのだ。

そもそも、なぜ(一部の)米国人は銃を手放すことを頑なに拒否るのか。

16年にオパマ前大統領が、涙ながらに「銃規制法案」を訴えたことがあったが、大統領が涙を流して「銃規制をやりましょー、頼むからやらせてくれー」と訴えても、米国の銃規制は一向に進まない。

「なぜ、アメリカで銃がなくならないのか?」について、岡田斗司夫さんは以前、とても興味深い指摘をされていました。

銃がなくならない理由のひとつに、米国人には「国家に武力で対抗する権利」がある。

国家(政府)がやってることが気に入らなかったら、市民は「選挙」と「武力」で対抗する。その権利が(米国では)保障されている、という話をされています。

合衆国憲法修正第2条:
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保有しまた携帯する権利は、これを侵してはならない。

この憲法で定められた「修正第2条」が、銃規制反対の根拠になっていて、規制案が進まない大きな理由になっているーーという話は、聞いたことがある人も多いかと思います。

銃規制の支持者は「憲法が制定された18世紀の米国と、21世紀のいまの米国の環境は大きく異なる」、だから「この修正第2条は(現代に合わせて)改正されるべきだ」と主張してきたわけだが、既得権益を持つ者たち(たとえば、武器の販売で儲けている人たち。あと、その人たちから金銭的サポートを受けている政治家)の反対によって、これが、まぁ、通らない。

ここを指摘する人は多いのですが、岡田さんは、そもそもの米国の建国思想とはなんぞや、それがメンタリティとして現代の米国人の価値観にどう受け継がれているのかを考察されています。

日本では、
国家(や行政)に雇われている軍隊や警察、ざっくりいえば、この人たちが市民を守るから、市民は武器を持たなくていい、ということになっている。

国家が、市民を守ることを約束し、それを守る「イイ奴」であるうちはこれで問題ない。だが、国家が市民にとっての「イヤな奴」であれば、話は変わる。

岡田さんは、米国の建国思想には『国民に対してイヤなものになったときに、いつでも市民が国家を武力でひっくり返す権利を持っているべきだ!』と、話しています。

それは、思想、メンタリティとして、現代の米国人にも脈々と受け継がれている(無論、そうじゃない人もいるのだが)と。ここが、日本との違い。

米国人のメンタリティ、感覚には、

「国家で裁けない、法で裁けない存在は、民間で裁く」
「暴力装置っていうのを、常に、民間の側に持ってないと、安心できない」
「(国家と市民の)パワー(力関係)が、拮抗していないと、嫌なんですよ」(←市民は、いつでもまた革命が起こせる状態にしておきたい)

というのがあると、話しています。

上述で述べた通り、日本人的には「国家(政府)イイ奴であれば、市民はべつに暴力装置を民間が持つ必要がない」。仮に「民間がそういう暴力装置を持てば、犯罪が増える」と考える。

一方、米国人は、極端な話、「市民は、武力によって、政府からの独立を保てるようにしておきたい」。そんな感覚を持っている人も少なくない。

「アメリカが、もう、これは隠しようがなく、刀狩をしなかったから、銃規制をしなかったから、いやんなるくらい暴力があふれているし、いやんなるくらい差別もあるし、いやんなるくらい暴力的な国なんですけども、その代り市民の一人一人が反政府思想というのを持ったうえで武装できる権利というのを保証しているんですね」。

そりゃ理想を言えば「誰も武装しなくて良い社会」が好ましいですが、現実はそうではない。

この違いに対し、もしも「どっちが好きかときかれたら」の岡田さんの回答も面白い。共感するところ、私は多いです。

ただ、米国の暴動やヘイトクライムの多さ、これはホントよくない。

「個人個人が武器なんか持ってなくて、おかげで凶悪犯罪が起こらないという日本のほうが好きなんですけど、思想としては、個人が武装して国家に反逆できる権利っていうのを保証しているというのかな、国がそういう存在を認めているアメリカっていうのに、ちょっと憧れは感じちゃうんですね」

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