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黒猫怪奇譚〜紡ぎの章〜

割引あり

黒猫みー太の苦悶

みー太

 ある日、私は青白い靄に包まれたブヨブヨの生き物によって四角い壁から連れ去られた。空の低く空気の流れがゆっくりした空間に私を連れてくると、白く濃い液体を私に差し出した。その液体はまるで生命の塊のようで弱っていた私の魂を癒した。
 おかげで、ぼんやりしていた私の視界が鮮明になっていく。ブヨブヨだと思っていた生き物は毛が少ないだけで然程ブヨブヨはしていなかった。
 「ギビバギョヴガダ“ビーダ”デ」
 その生き物の青白い目が私を見つめている。よくはわからないが“ビーダ”とは私のことらしい。
 この日、私はビーダになった。

 あれから大体30回ほど夜と朝を繰り返した。そして、この空間にもだいぶ慣れてきた。
 私をここに連れてきた、あの生き物の名前は“スミレ”といい、ここは“イエ”というらしい。スミレはまだ日が上らないうちにどこかへ出掛けては夜遅くに帰ってくる。スミレは、朝は真っ白で夜は真っ黒だ。
 一度、スミレがイエの入り口で眠ってしまい。朝になっても真っ黒で、そのまま出掛けて行ったことがあった。その日、スミレは帰ってこなかった。次の日の朝、真っ白になり靄の薄れたスミレが帰ってきた。この日から、スミレをイエの入り口で寝かせてはいけないということを私は学んだ。
 それから私はスミレが“フトン”以外の場所で眠りそうになったら噛みついて起こすことにしている。そして、スミレがフトンの中に入るまでしっかり見届けてから私自身も眠ることにした。

 このイエには私とスミレの他に“モウヒトリ”がいる。モウヒトリはスミレがいつも“オユ”に入るための“フロ”に空いている小さな穴の中にて声だけしか聴こえない。モウヒトリとはまともに言葉が通じるため、私は彼からスミレ達の言葉を教わっている。
 彼のおかげで私がビーダではなく“みー太”であることを知った。

 『スミレが毎日通っているのは会社だよ』
 今日も私はフロに入りモウヒトリと話をする。
 『スミレはブラック企業に入ってしまっていて、一人で休む時間もない』
 「では、その“ブラックキギョウ”というのが悪いのか。しかし、何故スミレはそのブラックキギョウにわざわざ通っているのだ?」
 『それは生活があるからさ。生活を守るためにはお金が必要で、スミレはそのブラック企業からお金をもらっている』
 「その“オカネ”はブラックキギョウからしかもらえないのか?」
 『そういうわけではない。でも、彼女は今を変えられる自信がないのさ』
 「では、その“ジシン”があればいいのだな?」
 『ああ、そうだな』
 「ジシンはどこにある?」
 『それは、彼女の中にある』
 それっきり、モウヒトリは喋れなくなってしまった。モウヒトリが話せる時間は少ない。彼曰く“オウマガトキ”にしか声が出せないらしい。
 とにかく、ジシンを探すしかない。夜、フトンに入ったスミレの身体をあちこち触って確かめるがジシンらしいものは見つからなかった。
 「バベベビーダ。グググッダビボ」
 そう言いながらスミレは私をフトンに閉じ込める。今日はここまでのようだ。

 ある日、もう出かける“ジカン”だというのにスミレはイエから出なかった。“ゲンカン”に座り込んでしまった彼女は少し震えている。
 「ドブジドブ。ビーダ、グゴゲガギ」
 スミレの目から何か体液が流れている。
 「ビーダ。ガガギ。ギギダグガギ」
 スミレの震えがどんどん大きくなっていくに連れて目から流れる体液もドンドン増していく。
 「ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ、ギギダグガギ」
 スミレは、壊れてしまったのだろうか。スミレが私に手を伸ばすのを見て助けを求めているのだとわかった。
 「スミレ。大丈夫だ。ジシンはスミレの中にあるらしい。今は見えないが必ず私が見つけ出してみせる。だからブラックキギョウなどにいく必要はないのだ」
 すると、言葉が通じたのか、固まっていたスミレの身体が和らいでゆきゆっくりと私を抱きしめた。
 「ガギガゴグ。ビーダ」
 その日、スミレはブラックキギョウに行かなかった。“ネマキ”に着替えてフトンで死んだように眠ってしまった。
 『おーい』
 モウヒトリがフロで呼んでいる。モウヒトリから話しかけてくるなんて珍しい。
 『スミレは会社に行かなかったのか?』
 「“カイシャ”」
 『ブラック企業のことさ』
 「行かなかった。スミレはジシンを手に入れたのか?」
 『、、、さあね』
 「モウヒトリ、スミレはブラックキギョウに行かなければ苦しまなくていいのだな?」
 『、、、そうかもね』
 「そうかもね、とはどういうことだ?」
 『、、、』
 「どうした?モウヒトリ。もうオウマガトキは終わってしまったのか?」

 カイシャに行かなくなってからスミレは苦しそうではなくなった。その代わり、動きが異常にゆっくりなった。鳴くことも無くなり、モノを食べなくなった。たまに目から体液を流したかと思うと小さく呻き声を上げる。
 そんな日が何日か続いた。スミレが動けなくなってしまい私も食べ物がもらえず、スミレと共に弱っていった。
 『そろそろかな』
 フロから声が聞こえる。
 「モウヒトリか?」
 『ああ。みー太。だいぶ弱っているみたいだな』
 「そうなんだ。スミレが動けなくなってしまって、どうすればいいか知らないか?」
 『んー?どうすればいいって?』
 「ああ。お願いだ、助けてほしい」
 『あー。違う違う。違うんだよみー太。本当はとっくにこうなっていたはずなんだよ』
 「、、、どういうことだ?」
 『スミレはもっと早くに壊れて、こっちに引きずり込めたはずなのに、お前が来るから』
 フロからニチャニチャという音と共に血生臭い匂いが漂ってくる。
 「どういうことだ?」
 『猫には退魔の力があってだな。そのせいでいつまでも排水溝の中にいることになったんだよ。でも、ようやくそこまで弱ってくれた』
 青白い靄が部屋に充満し始める。
 「“ネコ”とは私のことか?“ハイスイコウ”?モウヒトリはこうなることを望んでいたのか?」
 『ああ、そうだよ。昔ミキサーにかけられて排水溝に流されてからずっと寂しくて寂しくて仕方がなかったんだ。それに』
 聞き馴染みのある鳴き声を発する赤黒い化け物がフロから現れた。
 『女はまだ引き摺り込めていないんだよ』
 全身の毛が逆立つ。急いでスミレに駆け寄るが反応がない。彼女にはモウヒトリの姿が見えていないらしい。
 「スミレ。早く逃げないと」
 『無駄だよ。彼女をよく見てみなよ』
 スミレを囲む青白い靄は出会った時よりも更に濃くなっていた。おまけに彼女の輪郭は薄く、曖昧になってゆく。瞳の黒も白くなっていく。
 「、、、スミレ。かつて私は無限に近い広い世界を持ちながら、あの四角の中に囚われていた。その矛盾の中で私は身動きが出来なかったのだ。しかし、スミレがあの四角から私を出し、“みー太”という形をくれた」
 スミレの虚な目がこちらを見る。
 「私は、スミレに壊れてほしくない。スミレが生きるのを手伝わせてはくれないか?」
 視界が溶けてゆく。自分の形を捨て微かにあるスミレ自身の靄と混ざり合う。スミレの中にあった。青い靄を一つ残らず食べていく。血生臭い味のするそれが私は嫌いではなかった。
 ふと、自分の形を見ると僅かに空いた隙間から家を出ていくのが見えた。
 そうか、行ってしまうのだな。しかし、私たちはまた会える。それまで、ここで待っているよ。


スミレ

 部屋の空気が優しくひんやりとしている。なんだか、何かから解放されたような、スッキリしたいい気分だ。なのに、みー太がいない。みー太だけがここに足りなかった。
 窓の隙間が空いていたからそこから出ていってしまったのだと思う。
 それでもなんだかここにいてくれている気がして、寂しくなれない自分に『薄情だな』とか『最低だな』とか言葉を浴びせながら久しぶりにベランダに出てタバコに火をつける。
 風が心地いい。つい先刻まで死にたくて仕方なかったのに、そういえば何にも食べてないな、とか熱いお湯に浸かりたいな、とか生きる事ばかり考えている。
 栄養不足のせいか街に靄がかかって見えた。

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