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25歳の私

25歳 ・ダービーに応募を試みるも間に合わず辞退 ・自分の興味を探るために本屋に通う ・爺ちゃん胃がんの手術 ・神楽の旅へ出る ・学校の展示などを視察 ・神楽の旅へ出る ・アットュシ、モデル、ダービーの応募に試みる ・爺ちゃんのオンラインサイトを作る ・ママ癌発覚 ・メガネをかけ出す ・私塾学校に応募 通い始める 25歳のトピックスは上記 23歳で実家に戻ってきてそれから地元の縫製会社で働き出したものの、精神状態を崩す日々が続き気がつけばまともに人生を歩むことができなく

    • 私にとって大切なこと

      丁度一週間前の今頃 私は学校の方と面談をしていた あれから私は学校に行く意味は何でだだろう。私はなんで学校に行きたいんだろう。と考えていた そんなことであっという間に一週間が経った 最近は寝る前に考え事で頭が忙しくてなかなか寝付けない日々が続いてて気がついたら朝が来ていてまた始まったといつも通り起きる でも最近はヨガも運動もししていない 昨日ははちゃめちゃに踊ってこれが限界だなと思っていた ①私にとってたいせつなこと家族 ママが幸せであること 私にとって、母を思うこと

      • 身体平和

        この間、学校の方に自分に合った分野を選択するために面談をしてもらった ただ、面談というとりも相性の良さそうな分野を導いてもらう感じだった 話を聞いていく中で自分が伝えていたことは ・手を動かしたい ・作りたい ・アイデンティティ ・創作法を学ぶ そういったポイントキーワードを拾い上げていた 意外な好奇心も芽生えたりもしていた 例 フェミニズムを学び、討論し、身体と対話していくのもありかもしれん 例 建築で空間的な音を学び身体の幅を広げられるかもしれない メリット ・作品

        • 私の原点回帰そして今

          1. ファッションとダンスの未来とは? 2. なぜ私は生きれるのか 3. ただの生命活動 4. 私の過去と未来の結びつき 1. ファッションとダンスの未来とは? ファッションとダンスの関係について考えます。 光へ向かう虫達のように蠢いていたその頃を解釈すると、生と死の証だと言えます。言葉で綴れるようになった今、それらをより鮮明に理解できます。 現時点でファッションの未来に想像力を膨らませると、火星への移住やバイオテクノロジーを使った化学の進化にともない、身体の環境適応が

          原点回帰

          銭湯を辞めることを社長に告げた 何をするの? と問われたので東洋医学を学ぶと答えた 興味のある事を示すことしかできない様だった 辞める理由。認識していたらまた違う方向に移ろっていたのだろう そして、社長は言う 変わりはいくらでもいるから。 その言葉を聞いてハッとした そうだ。私は私にしかできない事をするんだった。 我に帰った その瞬間に何かが吹っ切れ、背中を押してもらったようだった ところで、東洋医学に興味を持ったきっかけは躰が教えてくれた感覚からだった

          原点回帰

          これを書き終えたら ただ生きよう それは自分のためでもなく 誰かのためでもなく 今を生きるだけ

          これを書き終えたら ただ生きよう それは自分のためでもなく 誰かのためでもなく 今を生きるだけ

          気づき

          ある日、新店舗の店長に抜擢された 反射的にやりますと答えた クラブの仕事も辞めることを決め 銭湯一本に集中していこうと試みる それでも再び向き合った これでいいのか? 何だか違うような気がした 私の夢は銭湯経営となっていて それが今叶おうとしている なぜそれを望むのか? 場作りがしたかった それはなぜか? みんながありのままでいられる場所が必要だと感じたから それはなぜか? 東京の社会に立った時 人間が人間ではなくなっていく様を見てこのままでは危な

          気づき

          京都

          無事に帰国 実家に帰るまでに電車内の広告を英語に略したりしていた 2ヶ月間で神経が変わっていた 私はフィリピン滞在時に京都の不動産にアポイントと気になる銭湯の店主に働かせて欲しいと連絡を取った 日本に来てすぐに京都へ行く 4軒周り山科のシェアハウスに決めた 2階建ての古い家(畑付) その日の最後に連絡を取っていた恩師とお会いした ハイカラな銭湯にハイカラな店主 心がワクワクした 薪を焚べている姿を見て原始的な姿にさらに胸が熱くなった その空間は私が理想とす

          フィリピン留学

          語学留学でフィリピンバギオを選んだ 貯金で行けるところがそこらへんだった 渡米日が決まるとそれまで英語の勉強に打ち込んだ 勉強の仕方など高校でやってきたことしかできず、ひたすら暗記に取り組む わかりやすい教材を購入し なんとか理解しようとした そんな日もつかの間に、あっという間に前日を迎え家族で温泉に行き送ってもらった 羽田空港 最後に銀だこを食べた 雲の上にいる感覚が心地よかった 飛行機が到着しドキドキの入国審査 なんとなくできた シム交換もなんとなく

          フィリピン留学

          卒業

          卒業式の日 母親に切ってもらった白髪のおかっぱウィッグ 黄色のチーク クリアグロス パールストーンのシールをフェイスラインへ 金色のテープを目のアイライン上に 100均で購入した半透明のビニールバック そこに近所の花屋さんにてオススメの花を入れて行く 素敵な衣服を作っていた友人に真っ白の布で仕立てられた衣服を借りる 靴下をレイヤードさせ 仕上げに鈴をつけたヘアゴムを足に装着 白のヒールを合わせる 尾崎豊の卒業を聴く 一人で今日も盛り上がってる 式典はすでに始まっていた

          二年目

          専門学校ニ年目 学校を辞めよう。 福祉業界へのシフトチェンジを試みる ファッションと福祉の架け橋になるためのビジョンが出揃い始めていた頃 しかし、ファッションの専門学校を辞められなかった 理由は相談した人に止められたから その方も私もどこかで期待していたのだった 世知辛さを抱きながら専門ニ年目が始まる やるからにはやる ファッションプロデュース&バイヤーコースに移りショップ経営を学んだ 少しでも役立つことが学びたかった 先走る気持ちが空回りしていたのか、授

          一年目

          学校が始まる 早々にスタイリストアシスタントの仕事を始めた 恩師とはインスタグラムのDMを通して繋がる 学校は週3 それ以外はアシスタントとして活動 専門学生時代は目の前のことに精一杯だった しばらくしてスタイリストアシスタントは辞めることなった ある時、学業とアシスタント、生活の生計が困難になり、さらに自分の力不足を痛感した 専門学生をやろう。 と座り直した そう決断したのも束の間にだった 思考は ”私にしかできないこと” を模索していた アシスタン

          東京

          入学式 水色の髪色 お花のカラコン 黄色のマツエク ピンクの口紅 地元の古着屋で見つけた水色コート ダンスの衣装で着たトップス フェイクファーのマフラー ピンクの帯締め プラスチックで出来た大粒ビジュー 銀色のキルトバック プラダの香水 イメージを構想して身に纏い 会場の中野まで向かう するとスナップ写真を撮られた スナップ写真 馴染み深い存在 高校時、原宿によく行った 気の合う友達と双子コーデをし 古着屋を巡ったりした そこでは非日常的な体験をした スナッ

          卒業

          高校 進路選択 流れるまま導かれる 歯科衛生士、保育、美容、ファッションの専門学校を巡る これからの未来に胸を膨らました ただ心残りがあった存在 ”ファッション”と”ダンス” 既に目星は”東京” 分岐点に立った その場に躰を連れていき 今を磨り合わせて行くよう 徐々に姿が現れる ダンスは生憎タイミング合わずに去っていった ダンスかファッション ではなく ダンスとファッション という提案を通して 再び現れた ファッションの道に躰を置く そうして”