気づき
ある日、新店舗の店長に抜擢された
反射的にやりますと答えた
クラブの仕事も辞めることを決め
銭湯一本に集中していこうと試みる
それでも再び向き合った
これでいいのか?
何だか違うような気がした
私の夢は銭湯経営となっていて
それが今叶おうとしている
なぜそれを望むのか?
場作りがしたかった
それはなぜか?
みんながありのままでいられる場所が必要だと感じたから
それはなぜか?
東京の社会に立った時
人間が人間ではなくなっていく様を見てこのままでは危ないと思った
銭湯ならばそれを救えるという希望があった
でも、それは本当にやりたかった事なのか?
そう問われると、これが本来の目的ではなかったと気づいた
そもそも始めは、服飾専門学生として勉強に励むと座り直した
だか、東京の街に出向いてファッションを楽しめるヒトが限定されていると気づいた頃
その取っ掛かりを解決すべく”福祉”へ移り”銭湯”を生かした人間蘇生への模索と移った
けれど、銭湯の現場に立ちみんなの居場所を作る事には法による制限があるという現実を知った
というよりも、私自身に問題がある事に気づいた
ファッション/福祉/銭湯
とか壁を作っていたり
不利不幸とかを決めつけていたり
無意識に識別していた
そもそも人間味を無くしていたのは私だった
銭湯に携わり番台で頭を冷やすことができた
(この世の仕組みについて絵を描いていた気がする)
京都の風土に触れて温もりを思い出させてくれた
救われたのは私だった
本来の姿は、居場所づくりとか、ダイバシティーとか過保護な話ではない
生きる道はシンプルでなるようになる
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