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40過ぎ、自分の体型を語る。

当方、46歳女である。ここへ来て、ついに禁を破ってみる。
自分の体型について、しっかり語ってみようと思うのだ。

ずーーーっと、触れてこなかった。周りに対しても、触れてくれるなオーラをガンガンに出してきたと思う。客観的にみて私は、笑いが取れるレベルのデブっちょだ。なのに私は、せっかく取れる貴重な笑いを、一切取らずに生きてきた。

なんでかなーって考えて、46歳にしてようやく、腑に落ちたものがあったのである。

たとえば、運動会。学芸会や、お墓参り。小さい頃、ほかの友だちと並んで何かをする行事や、親戚が一堂に会する催しが終わるたびに、決まって母に言われた言葉がある。

「しーちゃん、お願いだから、それ以上太らないで。おかあさん、ほんとに恥ずかしい!」。

私に「女子力」なんてものが芽生えるずっと前の話だ。だから物心つく前から、自分はものすごく太ってるんだと思って育った。自分で鏡を見てもよくわからないけれど、他人から見たら自分は「恥ずかしい」シロモノなのだと思って育った。

だから「痩せたい」と思うなんて、身の程知らずだと思った。思春期とやらがやってきて、他の女の子みたいに、素敵なお洋服や、素敵な髪型や、ましてや素敵な体型なんかを高望みすることは、自分には許されないことだと思っていた(その頃の自分の写真を見て、「全然太ってないじゃん!!」と愕然としたのは、何十年も後の話である)。

自分の体型をギャグにするなんて、もってのほかだった。みんながダイエットの話なんかを始めると、私はすーーっと気配を消した。今だって、そういう話題が持ち上がったときの、身の置き方があまりよくわからない。だって「痩せたいなんて思っちゃいけない人」だから私は。「最初から恥ずかしい体型の人」だから私は。

「年頃になったら、痩せるよ」。やがて大人たちは、私を励ますみたいにそう言うようになった。だけど私は「痩せたいと思うことさえ許されない人間」だったから、それを聞いて「それはいかん!!」と焦ったのだ。あの子ホントは痩せたかったんだね、なんて思われることは、末代まで呪われる恥だった。スナック菓子を食べまくった。カールのチーズあじが私の身体の一部だった。

とにかく食べることが大好きだった。「年頃」とやらがやってきてもなお、私はふくらみ続けた。今じゃ名実ともに「カンロク」の4文字がぴったりの、立派なオバチャンになった。自分のキャラと見た目が、見事に一致した感がある。

そして。

ちょうど一年前、去年の大晦日の出来事である。実家ではりきって大掃除を手伝って、親の求めに応じて、笑って、笑わせて、おせちやお雑煮の下ごしらえも終えて、ふうとひと息、晩ごはんの食卓についたときのことだ。

思えば私は両親に対して、反抗というものをほとんどしたことがなかった。「反抗期」っていつのことだか、思い返してもよくわからない。父と母はそんなに仲良しではないけれど、私が入ると空気はそれなりに流れる。天気のいい休みの日には、両親と私とで散歩に出かける。そんな時間が、私は決して嫌いじゃない。とても安らかな、大切な時間である。

でも、その夜は何かが違った。お鍋の準備は完璧にできていて、あとは食べるだけだった。そしたら、上機嫌の母が私に言ったのだ。

「しーちゃんは、量は控えめにね。こないだ○○さんに『娘さん、大きいのねえ!』って言われて、おかあさん、一緒に歩くの恥ずかしいの!」

愕然とした。こんなに、こんっっっっなに尽くしてもなお、私は「恥ずかしい」存在なのか。ほんのちょっと見かけただけのご近所さんから、ほんのひと言言われただけで、この人は私のことを「恥ずかしい」と思うのか……!

握っていた箸を、もとの位置に戻した。自分の茶碗を、すべて片付けた。そして、つっかえつっかえ、言った。

「そこまで言われて、平気でものが食べられると思う? 悲しい。本当に悲しいです」。

私が初めて示した「怒り」だった。涙が止まらなかった。

いいかげん、怒っていいんじゃないかと思った。私は今まで、「恥ずかしい」と言われてもへらへらーっと笑って、ものを食らい続けてきたのだ。そんなこと気にしてません、痩せたいなんて思ったことありません。そういう顔して、ばくばくと食らい、ふくらみ続けてきたのである。

「お前がどんな体型だろうと、私はお前が誇らしい」。
そう言われたかった。ずっと、そう言われたかったんである。

私は食事をとらず、父も母もすぐ部屋に入った。今年の大晦日は、なかったことになるんだなと思った。だけど、ひとりで紅白を観ながら、私は不意に思ったのだ。

私には、反抗期が来なかったんじゃない。今この瞬間までずっと、ずーーーーっと反抗期だったんだ。「恥ずかしいからそれ以上太らないでちょうだい」という言葉に私は、今日まで全力で、抗い続けてきたのだ。

私の人生は、ほぼ全部、反抗期だったのだ。

大きな胸のつかえが下りた気がした。私にも、反抗期があった。あの日、カールのチーズあじを秒速で食らいながら、私は全力で反抗していた。ああ、よかった。私も、私の方法で頑張っていた。抱きしめたかった。あの頃の自分を。

一方で、大人になってよかったとも思った。今の私には、母の心配がよくわかる。彼女は私に「失敗」させたくない一心だった。けれど私は今、人生に「失敗」などありえないと思う人生を生きている。どんな人でも、どんな体型でも、その人にしかつかめない幸せがあるのだと信じて疑わない。

道が違った。それだけの話だ。

今年も、年末がやってくる。たぶん私たちは、何事もなかったみたいにして紅白を観る。それも私たちの歴史だ。人生だ。泣いても笑っても、すべての局面を愛していたい。(2019/12/07)

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