日常は、うれしくも寂しい。
ふいに、こういうことを、書き留めておきたくなったのだ。
朝起きる。顔を洗い、歯を磨く。服を着替え、髪の毛を整えて、顔にある程度のいろいろを塗りたくる。家を出て、毎日決まった目的地へ向かう。
会社に着く。すでに席にいる面々は、毎日だいたい決まっている。大きすぎず小さすぎないボリュームで、おはよーございまーす、とつぶやきながら自分の席に向かい、パソコンのスイッチを入れる。起動するまでのあいだに、手洗いに行って念入りに手を洗う。席に戻る。パスワードを打ち込んで、仕事に必要なファイルのいくつかを、前もって、ひらいておく。
おにぎりをひとつ食べ終える頃、社内放送でラジオ体操が流れる。でもほとんどの人が体操をしない。体操をしないで、なんとなしに、あの懐かしいメロディを聞く。聞き終わると、チャイムが鳴る。わらわらと立ち上がり、朝礼が始まる。その日の朝礼当番の口から、記憶の片隅にも残らない言葉たちがすべり出す。「きのうの実績は○○件、うち△△件が□□でしたー」。入社して2ヶ月半が経つけれど、いまだに私は、いったいなにが語られているのかをまるで理解していない。
それが済んだら、これから自分が端末に入力する予定の、書類の束を引き出しから持ってくる。席に座って、おもむろに作業を始める。
……やっと、ここまで来たのだ。目をつぶってても、これらの動きを、つつがなくできるようになってきた。フリーランス時代に脳内を巣食っていた「仕事のない私は誰からも必要とされていない」的な悲観は遠い昔の代物だ。
高いところと低いところを、まるでジェットコースターみたいに乱高下する人生に憧れていた。血のにじむような努力と、割れんばかりの拍手喝采。地道な準備と、晴れがましいリリース。充実した人生とは、そういったものを繰り返すことを言うのだと、若い頃は半ば本気で信じ込んでいたのだ。
そのジェットコースターに乗れる人間は限られていて、一部の、才能のある、選ばれた人間が祝福のもとにそれに乗り込むのだと思っていた。なんとかして、私もそこに乗れないだろうか。いや、乗りたいだなんておこがましいな。乗る人たちを座席に導く係員とかになれないだろうか。かつてジェットコースターに乗る人たちに、ボイスレコーダーを向けて打ち明け話を聞き出す仕事をしていたのは、そういった心根からくるなにものかだった。
今は、ジェットコースターは遠い彼方だ。朝一番の濃ゆいコーヒー。まだまっさらな書類を卓上にひらく瞬間の静けさ。唐突に配られるキットカット。今日の晩ごはんは何にしようかな、と踊る心。帰り道にradikoで聞く「ナイツ・ザ・ラジオショー(金曜日は中川家)」。
この世界には、こういう幸福があったのだ。乱高下するジェットコースターばかりを見つめてる間に、みんなはこういう幸福を生きていたのだ。なんだー、早く言ってくれよーー。今、やっとそれらの幸福を、ひとつひとつ、取り返している。
隣の席で、私の教育係をしてくれている若き先輩が、なんだか朝から意気消沈している。ゆうべ鍋をして、冷蔵庫に入れたポン酢の、瓶のフタがはずれていたんだそうだ。朝起きて冷蔵庫を開けたら、中はポン酢でびしゃびしゃで、あたりをポン酢臭が立ち込めてしまっており、「今日帰ったら、ひとりで冷蔵庫を動かして、冷蔵庫の下を拭かないといけないんですう」ってメゲている。
「もっと、いいポン酢にすればよかった」って彼女は言うんである。部屋の中に立ち込めても「いい匂い♪」って思えるような、柚子とかカボスとか、そういう芳しいポン酢にすればよかったと。「普通のポン酢にしちゃったんですよねー。悔やまれるなあー!」。問題はそこか?と別の先輩がツッコむ。「次に買うポン酢は厳選します!」。みんなで笑う。
こういうのが、涙が出るほどうれしいんである。
どんどん健康になっていこうと思う。なっていけそうな気がする。その一方で、ふと「これが一生続くのかな……?」「こうやって私の人生は終わるのかな……?」って思ってしまう朝がある。なにかを激しく待ちわびている自分に、ふと気づいてしまう夜がある。
それが、今の私だ。(2020/10/17)
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