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「おしまい」って安心する。

年末が、好きである。

もうほんとに、それはそれは好きである。もちろん、花々が咲き乱れる春の季節も、紅葉が街を染める秋の季節もいいなと思う(夏ははっきりと嫌いだ、夏生まれなのに)。でも12月になると、はああーー好きだ、って毎年思う。これはなんだろう。

そもそも私は「終わり」が好きだ。子どもの頃から、朝よりも夜が、始業式よりも修了式が、入学式よりも卒業式が好きだった。だって、「始まり」って、緊張しませんか。これから何が起こるのかわからない「始まり」。見えない何かが待ち受けている「始まり」。始まってしまえば、身に降りかかったことを、ばったばったと切り捨てていかなきゃいけない。刀を構えながら、めっちゃ緊張するのだ私は。

一方、「終わり」は安心する。そう、「終わり」は安心するのだ。あんなことやこんなこと、ほんとに大変だったけれど、でも、それももう終わるのだ。いろんな気持ちになったけど、それを次へ持ち越さなくていい。全部手放して、おこたでお茶を飲んでいればいい。

人は、心すこやかに生きていくために「年末」という概念を作ったんじゃないかなとさえ思う。だって「年末」がなかったら、つらすぎると思うのだ。全部を背負って、永遠に次へと持ち越しながら、生きていかなきゃいけない。両手に荷物いっぱいになってしまう。でも、「年末」があるから、やっていける。この荷物を手放して、すべてをリセットしていい。ああ、手放していいんだ。また、やり直せるんだ。

今年も、そんな季節がやってきた。焦らなくていい、手放せばいい。まっさらな「始まり」に向かって、そんなようなことを思うのだ。(2019/12/02)

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