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「自分を好きな人が苦手」というスパイラル

たとえば、新しい職場で働くことになって。たまたま、同じ研修グループになって、言葉を交わした人がいたとする。

私は長いこと、初対面の相手に腹を割ってもらう「インタビューライター」という仕事をしてきたので、多少、口下手な人や、話運びが上手でない人にも、ある程度、面白く腹を割っていただくことが、なんとなくできる。

初対面の人と話すときも、ほんの少し、その筋肉を使う。だから「オガワさんと話すと楽しい」「オガワさんになら話せちゃう」って、言われることがそこそこある。

そうすると、往々にして起きる状況がこれだ。全員ではないけれど、一部の彼ら彼女らは、何かにつけて、私に「話しかけてもらいたそう」にする。常に私の視界の中に入ってくる。にこにこと、こちらの気配を伺っている。席を立って移動するたびに、その人の目線がついてきているのがわかる。でも、向こうからは、何も投げかけられない。

そうなると、私のシャッターは、ずどーーん!!と音を立てて閉じる。

「話しかけてもらいたそう」にされるのが嫌だ。「目で追われてる感じ」も嫌だ。小さい頃から、人に顔色をうかがわれるのが、世界で一番嫌いだ。嫌いなんだよーーー。

彼ら彼女らから話しかけてくることはない。でも、「話しかけてもらいたい」感むんむんである。ラクしようとしやがって。あたしはあなたのコミュニケーション疑似体験マシーンじゃないぞ。何十年かけてこのスキルを磨いてきたと思ってるんだ。

この、アレルギー症状みたいな私の過剰反応は何だろう。「顔色をうかがわれる」とか「目で追われる」とか、つまり「この人、私を好きかもしれない」のいくつかを、これまで素直に受け取れていたら、私の人生、違ったものになっていたんじゃないのか。

そんなことを思う。思いながらも、やっぱり基本、ほっといてくれる人に惹かれる。話したいなら話せばいいし、そうでないならそうしなければいい。もう大人なんだから、人とどう向き合うかなんてさ、自分で決めようよ、自分で。(2020/05/31)

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