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初日の入りを、撮りました。

だって、初日の出なんて、起きられるわけがないんだもの。

私が小さかった頃は、たぶんこういう「縁起もの」とか「季節ごと」とかを、周りの親や大人たちが大切にしていてくれたんだろうと思う。私たちの中に残っている「年末感」とか「正月感」とかは、その頃にはぐくまれたものたちなんだろうと思う。大人たちが「めんどくさいからやーめた!」ってなったら、すぐにでも、年末年始は普通の1日になるだろう。

ちなみに我が家は父母娘の3人家族である。娘の私がいつまで経っても次なる家族を作る気配がないので、お正月はまるっと3人で過ごす。「めんどくさいなー」「もうやめてもいいかなー」って言いながら、それでもハハはおせち料理を用意するし、大晦日の夜はにんじんを花型で抜いたり、紅白のかまぼこを市松模様に切りそろえたりする。

小川家はこのところ、夕飯の時間が年々早くなっている。紅白歌合戦を見ながら飲み食いしようよと言いながら、ここ数年は、紅白が始まる前に宴が終わってしまう。夕方からやってるテレビ東京の「年忘れにっぽんの歌」で、もう十分じゃないかと今年、3人の見解が一致した。だいいち、紅白に出てくる歌い手の皆さんに、あんまりときめかなくなってきた。歌い踊るアイドルグループの皆さんが、どのグループもおんなじに見える。

紅白が始まる頃、食卓の片付けも終わってしまって、チチもハハも部屋に入る。就寝時間も年々早くなっているチチとハハ。リビングに寝泊まりしている私も早々に布団を敷いて、紅白とダウンタウンと孤独のグルメを行き来する。そのままみんな眠くなっちゃったので、今年は年越しそば、省略。こうやって年中行事は、ダウンサイジングされていく。

元日は、おせちをつついたら、3人で初詣に出かける。この初詣も、ダウンサイジングすれすれの年中行事である。年寄りにはキツい大階段が、近所の神社には待ち受けているのだ。

こういうお正月が、ダウンサイジングの果てに、いつか、失われていくんだろうと思う。ハハの気力が尽きたら。チチの脚力が果てたら。そう遠くない将来、チチかハハか、あるいはその両方が、いつか、ここからいなくなる。失われていくものだとわかっているから、こんなに愛おしいんだと思う。

いつか来る喪失を思う、お正月。

そのとき、私はひとりで、どんなお正月を迎えるんだろう。

めんどがりだから、いろいろと省略しちゃうんだろうな。自分さえよければ何でもいい、気まま暮らしが性には合っている。少なくとも、おせちはたぶん食べ切れないから、せめてお雑煮ぐらいは作ろうかな。お出汁は粉末でごまかしながらね。(2020/01/02)


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