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クレバーなシナリオと演出ゆえの退屈さ『エクソシスト 信じる者』

社会的に正式に悪魔の存在を認める。

数あるエクソシスト作品のいずれかで言っていた。

腑に落ちた。

社会的に正式に悪魔の存在を、認めるとは、どういう事か。

リーガンのようなケース。

メンタルに起因する症状の可能性のある場合、
周りが信じているふりをしていては、悪魔も退散しない。

ふりではなく、
社会的に認知されている存在という扱い。

社会的に認知されている存在に、
敬意を払って、交渉して、退散して頂くというスタンスを日常化する。

つまり、
悪魔の承認欲求を満たしてあげる。

悪魔にも承認欲求が必要なのか、、、。
必要なんです。
というバージョンだった。

本作、信じる者。

原因の解釈は似ていた。
クレバーなシナリオ、演出は、
ホラーとしては、
やや退屈ではあるが、
撮影、照明、
フレームの切り方、伏仰、
高さ、窓外を安易に飛ばさない自然光の取り込み方、
室内の灯りの活かし方、
作品のコンセプトと共に、
非常に理にかなっている。

その反面、
あの手この手で観客を恐怖に落とし込むような安易な事をしないので退屈さは否めない。

信じるか信じないかは、
観客しだい、
と、
派手なエンターテイメントにしないのは賛否が分かれるだろうが、
見えづらい小さくて確かな技術に支えられているのは、レジェンド作品、フリードキンへのリスペクトでもあるのだろう。

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