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No.588 小黒恵子氏の記事-8 (わたしの時間列車の旅)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 今回は、1996年に中央キャンパス(?)に小黒恵子氏が寄稿された記事のご紹介です。

わたしの時間列車の旅   小黒恵子
 
時間列車は時を刻んで今も走り続けています。
誰でも遥かな歳月の過程には、何回もの人生の岐路に立たされます。そして毎年迎える誕生日にもうこんなに、人生の時間列車が走って了ったのだと愕然とするのです。
私は戦後の混沌とした時代に、紆余曲折の道を辿りました。そんな時、週刊新潮の表紙の絵を創刊号から書いていた抒情と郷愁の画家、故谷内六郎さんとの出逢いがありました。自然の風景の中にいつも男の子と女の子がいる詩情溢れる絵でした。その美しい絵の世界と、谷内さんの純粋な人柄に魅了されました。その出逢いによって私の人生の道が変わりました。
これからはこどもの情操教育が必要な時代であると思ったのでした。そして私は詩人サトウ ハチロー先生の門をたたきました。
日暮れて道なお遠き旅人として、僅か三年でしたが、門下生の一人として本郷弥生町に週二度ほど通いました。
その後、谷内六郎さんの装幀で、童謡詩集「シツレイシマス」を出版し、思いもかけずマスコミの注目を浴びて、童謡の世界への大きなパスポートとなりました。
レコード会社や雑誌社等からの依頼の仕事が多くなり、大変立派なジャケットの十四曲LPの芸術祭参加作品を、ビクターの委嘱でやらせて戴きました。次々と仕事が増えて、心身のバランスを崩して了った時代がありました。
然し今迄の仕事の実績のおかげで、NHKの「みんなのうた」「おかあさんといっしょ」「なかよしリズム」他の番組の仕事を重ねるようになりました。
そしていつの間にか、詩人、童謡作家という肩書で、今も現役としてライフワークの道を歩いています。それに伴って、役職や講演や審査員等々の仕事も増して、健康には注意を払っています。
平成三年七月には、かねてから計画していた童謡記念館を開館しました。明治十二年建築の住居を改築致しました。庭の緑と建物を一体としたものを童謡記念館として、いずれ川崎市に寄贈し末長く存続させたいと考えています。
庭の緑の中には、樹齢二百年から三百年の欅や柿や椎の木等十四本が、川崎市の指定保存樹として、プレートにナンバーを刻んで空と握手しています。開館以来入館料はすべて、世界自然保護基金(WWF)に寄付しています。
三周年記念には、作曲家の高木東六先生をお招きして、「ピアノとトークと童謡と」のイベントを致し、百三十名の来館者があり感激でした。
開館日は毎週土曜日と日曜日で、専属のピアニストの生演奏により、童謡や唱歌などお客様にも歌って戴いたりしております。
今夏七月には開館満五周年を迎えます。それを記念して文部大臣認可による公益信託「小黒恵子児童合唱振興音楽基金」を創設しました。全国の優秀な少年少女合唱団のなかから毎年一団体を顕彰し、百万円を副賞として助成することに致しました。それにより児童合唱音楽の振興と普及、さらには音楽文化の発展を図ると共に情操教育に寄与したいと思います。
賞の名称は、「花とライオン児童合唱音楽賞」です。変った名称ですが、花も動物も地球に共存する仲間たちです。時には花のようにやさしく美しく、時にはライオンのように強くたくましく、少年少女たちに成長して欲しいとの願いを込めたものです。
今秋十月十二日(土)には、津田ホールにて芸術祭参加作品として歌曲「花ものがたり」のコンサートを開催致します。全十四曲私の作詩による私のコンサートです。
私は夢と希望を抱いて生きて行きたいと思っています。夢と努力は表裏一体です。
私は思うのです。人生六十代は最後の努力と情熱をかける年代であり、残りの種子を蒔く季節であると。その種子はいつの日か社会の片隅で、小さな花を咲かせるでしょう。
時間列車は今も走っています。人それぞれの季節の夢と希望をのせて旅は続いています。

おぐろ けいこ
昭和26年法学部卒。詩人、童謡作家。社団法人日本童謡協会常任理事、毎日ファミリーソング大賞、赤い靴児童文化大賞各審査員。童謡、歌曲、合唱曲の作詞を行う傍ら、講演活動、エッセイ執筆など様々な分野で活躍。日本作詞大賞(童謡賞)、日本童謡賞などを受賞した。詩集に『ユトリロの絵の中で』(読売旅行出版)、『モンキーパズルの詩』(教育出版センター)、詩曲集に『ライオンの子守唄』(音楽之友社)、『うたのパレット』(カワイ出版)など多数。中央大学学員講師。
小黒恵子童謡記念館=神奈川県川崎市高津区諏訪三-十三-八 ☏〇四四-八三三-九八三〇(土・日曜日のみ開館)

中央キャンパス? 平成8年(1996年)●月●日

現在は、川崎市に遺贈され、リニューアルしてオープンしています。色々とイベントも行っていますので、当館ホームページでご確認ください。

  最後までお読みいただき、ありがとうございました。
  次回も、1996年に新聞に紹介された小黒恵子氏の記事を、ご紹介します。(S)

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