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千雪さんは千雪さんだから千雪さん

 桑山千雪さんのW.I.N.G.編をプレイした。実は2回目で、前回は準決勝で終わってしまった。

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 千雪さんは家庭的(*)、温和、器量良しと、ほとんど欠点のない人だ。面倒見がよく、努力家。雑貨屋をやりながらアイドルを兼業で始めた(俺が頼み込んだわけだが)、283プロのアイドルのなかでも大人びた大人だと思う。

*裁縫や料理が得意、子ども好きといった特徴をまとめて表す言葉がさしあたってこれしかなかったのだが、万人にとっての家庭というものは必ずしもそうであるわけではない

 しかし、当初私は千雪さんに対して少し壁を作っていた。というのも、千雪さんは「でき過ぎている」と感じたのだ。具体的に言うと、ステレオタイプの「良い奥さん」として千雪さんがデザインされているような気がして、そこに、ともすれば現代病的なフェミニズムが発揮されてしまったのだ。
 ええい、頭をよく見せようとしてわかりにくい文章を書くのはよくない。「桑山千雪って、男に媚びてるキャラだな~!」と思ったのだ!わかりやすくいうと!

 千雪さんとの会話の中でもそれはしばしば感じた。俺のジャケットの裾のボタンを繕ったり、俺が御馳走するとなれば「牛丼がいい」と俺に合わせてくれたり、「旦那になる人は幸せだ」と言われて喜んだり、古風というか、ちょっと都合がいいんじゃないかと、かえって斜めに見てしまった。

 だが、むしろそれこそが大きな間違いだと、シナリオの終盤で気が付いた。彼女は何も媚びてなどいない。千雪さんは、千雪さんだから千雪さんであるというだけなのだ。

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 彼女の根源にあったのは、逞しさだった。自分のまま、自分の欲しいものを手に入れようとする純粋さが、千雪さんらしさだったのだと思う。

 千雪さんは、裁縫や料理、家事が好きだから好き。牛丼が食べたかったから牛丼を食べたいと言った(当たり前だ、牛丼は旨い)。人の笑顔が好きな人だから、もし伴侶がいて、その人が幸せな笑顔になったら嬉しい。どれもただ単に、千雪さんが素の千雪さんとして振舞っただけの結果だ。それを媚びているとか、都合よくデザインされているだとかは、私の偏見であり、彼女に対して非常に失礼だった。私は千雪さんに対して、お祝いとともにお詫びをしなければならない。

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 千雪さん、優勝おめでとう!(それにしても俺はスナップが下手だな)

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あと、千雪さんの絵を描いた。

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 話は変わるが、たまたま「シャニマスに救われようとしている人」をみかけた。

 私も大枠は似たようなところだった(過去形でいいのか?)ので、共感した。私にとっての救いは小宮果穂さんで、この人にとっては黛冬優子さんのようだ。誰にでも太陽は必要だけれどそれがどんな形していようがどうだっていいのかもしれないね。

 シャニマスが──特に生きることに疲れてしまった──人の心に響くのはなぜだろうか。ここからシャニマス全体の考察を書くととても長くなるし、そういうのにはもっと得意な人が大勢いるから書かないが、だいたいは以下の歌詞に表れているのだろう。

うまくできない自分ごと 好きになれるステージ きっとある

 私はこのたった一小節が大好きで、ずっと心にきらきら輝いている。

 私も私とて、またまた仕事で頭を抱えているが、向き合おう。私なりにやるのが、私にとってもみんなにとってもいいはずだ。


まんがを読んでくださいね。