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56.0045 最後に分かる上司の愛情😭

私は、今の会社に勤めて15年目に入る。
今までの生涯で、一番長く勤めさせていただいている。

そして、この会社に入るまでに私は仕事をいくつも変わった。

 私が職業意識(言い方古い?💦)に本気で目覚めたのも、子供を抱えて仕事復帰してからだ。。

まだ、私にその職業意識が薄い若い頃に勤めていた会社でのことを記したい。

こうして その恩人のことを書けることに感謝する。

私が25.26歳の時に勤めていた会社。
これまで何度もnoteで紹介させてもらったところだ。
親会社は、きっと誰もがその名を知る 大会社。
その子会社で、事業はとても面白いことをしていた。飛行機を使った実験をしていたのだ。取引先は大学の先生、研究室。著名な方もいらっしゃった。
私は、総務兼経理として、給与計算、社会保険などの労務管理、経理、決算全て担当させてもらった。規模が小さかったからできたのかもしれないが、あの会社で企業の動きの一通りを学んだ、と言ってもいい。
周りは父親くらいの年齢の男性が多く、私を娘のようにかわいがってくださった。小さな会社だったが、とても個性的な人が多かった。
会社は女性が圧倒的に少なくて、私を入れて3名だった。私ともう一人が同い年で、もう一人が年下の女性だ。後は全員男性。
だから私の上司はもちろん男性。部長だった。
仕事は、全て部長から指示をいただき、私は手を抜かず一生懸命やっていた(と思う)。ところが、この上司が厳しい。厳しい。
そして、その部長は昭和時代真っ盛りの世代だからか?、機嫌の良しあしがその日の仕事に思いっきり影響される。それが許される時代だったんだね。
そういう時は、私に、どう考えてもキツく当たられた。
トイレで泣いたことも一度や二度ではなかった。
でも、ここでめげるのが何だかくやしくて、気を取り直してがんばった。
私は、仕事に手を抜くのが、嫌だった。誰かが見ているから、というより、自分が一番気持ち悪いから。手を抜いたことは自分が一番わかっているから。
 だけどだけど、私だって、当時は25,26歳の若き女性。
もう一人の同い年の女性が、ちやほやされているのが正直うらやましかったものだ。飛行機を使った実験には、空席ができた時、社員が乗ってもよいということがあった。その女性はすでに体験していたので、私も一度くらいは乗ってみたいなあと思っていた。ところが、上司の部長からは頑としてOKが出なかった。 仕事が優先だろ、といわれる。今思えば、当然だよね。
 ある時、来客対応(だったかな?)で失敗があった。こっぴどく私が叱られた。そのあと、その原因がもう一人の女性だったことがわかると、部長は私に叱ったのとは真逆でその子に叱ることはなかった。
この時も悔しくて、悔しくて涙が出た。どうして私だと怒られて、彼女だと怒られないのかな?
いわゆるヒイキなんだな。と卑屈になりかけてしまっていた。
そんな中、私は自分の夢(会計士の資格をとる)を見つけ、会社を辞めるという決意をした。 その会社にずっといても楽しかったかもしれない。でも、自分の可能性に挑戦したかった。
 退職を決めたとき、『結婚するのかい?』と大変多くのおじさまたちにお祝いの言葉をいただいてしまった(笑)。26歳で、さらにキャリアアップを目指して学校に行く、という私の選択が理解できない優しいお父さんたちが多かった。
 そう言いながら、送別会も盛大にしていただき、新たな道に向けて、希望に燃えていた私! そして、部長にも、(いろいろと怒られてきたけれど、当たられてきたけれど!)育てていただいたことに感謝したいと、お品を用意して(それが何だったかは忘れてしまった)最後の日にお渡しした。

 その時、初めて、部長がとっても優しい目で、

「美樹ちゃん、これまで美樹ちゃんに厳しくしてごめんね。でも、あんたならできる、と思って厳しくしてきたんだよ。これからもがんばれよ」

と言ってくださったのだ。 私はびっくりした。 本当にびっくりした。

  「私ならできると思って 厳しくした」???

26歳の私では、部長の言葉にびっくりするばかりで、
その真意はわからなかった。

上司というものは、大概すべてお見通しなのだ。
部下のレベルも、部下の気概も。


あれから、何度も仕事で壁にぶち当たったとき、
私は、この部長から最後に言っていただいた
あんたならできると思って 厳しくしたんだよ
という言葉を 思い出した。
 
そう、今、厳しい状況なのは、きっと 私ならできるから!!

結局、その部長とは、退職したあとも、
ずーーーと、毎年年賀状をやり取りしていた。
年賀状に、励ましの一言が書かれていた。
すごくすごく嬉しかった。
子供が生まれた時もお祝いの言葉が書かれていた。

ある年からプツリと来なくなる。
喪中のハガキが来たのだ。
私は、泣いた。
もう、部長には会えない。直接お礼を言うことができない。
でも あの退職する日、部長と交わした会話を
私は一生忘れない。 

💚💛💚💛今回もお読みいただき、ありがとうございます💛💚

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