東南アジアの旅 (5) インドネシアの空港
クアラルンプール空港で八方塞がりになった私たちは、
とにかく今日中に
ジョグジャカルタへ行く術がないか考えていた。
『とりあえず、ジャカルタに行かへん?
インドネシアの首都やし、
ここ(マレーシア)よりは
ジャカルタの方が
ジョグジャカルタ行きの便、多い気がするねん。』
私は友人に提案した。
という事で、
マレーシア航空カウンターでいちばん早く発つジャカルタ行きのチケットを買った。
その先のジョグジャカルタ行きを探してもらう事にチャレンジしたけれど、
私たちの拙い英語力では無理だった…
もう、交渉する根気が無かった。
とりあえずジャカルタに行けば何とかなる気がした。
一人じゃなかったから、
とりあえず行ってしまえ!の選択ができた。
ジャカルタに着いてから、どんなふうに動いたか記憶は断片的だけれど、
とにかく大きい空港だった事は覚えている。
別のターミナルへの移動はバスに乗ったので、
とても大きな国際空港だった。
ここなら飛行機いっぱい飛んでそう!と感じられた。
ジャカルタ到着後、
私たちはきっとキョロキョロしていたんだと思う。
1人のおじさんに声をかけられた。
60歳ぐらいのおじさん。
ジョグジャカルタに行きたい旨を伝えると、
おじさんはついておいでといった感じ。
何者なのか分からないけど、親切そうだと感じ取れたので、ついていった。
おじさんは航空券を持っている人しか入れないのでは?というエリアへも入って行ったりして、
ますます何者なのか分からなかった。
ただ、知り合いがそこらじゅうにいる様子で、
いろんな人としゃべっていた。
ここで待っていてと言われて、
小さなカフェで待った。
そこも、航空券を持ってないと入れなくない?みたいなエリアのカフェだった。
隣のテーブルにいた、10歳ぐらい年上の日本人のお姉さん2人が話しかけてくれた。
事の詳細と、今おじさん待ちだと伝えた。
そのおじさんは何だか怪しいんですけどねぇと話すと、
インドネシアはこんな感じよ、とお姉さんたちは言った。
ちょっとした心付けを渡せば何でもしてくれるよ、と。
そこで悟った。
私たちはこっそり渡してないから
スムースに事が運ばないんだな、と。
リッチな旅をしている訳ではないし、むしろ贅沢せずに最後まで行こうと思ってた私たちは、
それを聞いても渡すつもりはなかった。
おじさんは航空券を手配できたと言ってきた。
今いるのジャカルタ、
次の目的地はジョグジャカルタ。
どちらもインドネシア国内。
当日購入なので安くはないと心構えはしていたが、インドネシアの物価を鑑みて、高くても日本の相場は超えないだろうと予想していた。
記憶が曖昧で、金額が不明確なのはご容赦いただきたいのだが、
確か
『高っ!高すぎっ!!』
と思わせる金額だった。
それはないわぁと伝えると、
おじさんは、
これでしかダメという態度だった。
それなら他をあたってくれと言う感じ。
そう言われると、
振り出しに戻り私たちはまた途方に暮れるかもしれない。
すでに午後3時ぐらいだったはず。
ここで、友人が怒り出した。
高過ぎる!と、抗議してくれた。
日本語だったのか英語だったのか。
人の怒りは、
言語なんて分からなくても態度で十分伝わる。
でも、おじさんも折れない。
友人が抗議しているさなか、
そのやりとりを見ていた1人のインドネシア人青年にわたしは声をかけられた。
日本語だった。
彼に詳細を話したが、
特に通訳をしてくれる訳でもなかった。
通訳してくれないんだ。
そっかそっか、そりゃそうだ。
まあまあ、と私は止めに入ったのを何となく記憶している。
友人は怒り続けていた。
一緒になって怒ってはダメだと思ったのか、
わたしはかなり冷静だったので、光景と感情をリアルに覚えている。
周りの視線を感じながら、少し声大きめでの金額交渉を重ね、
折衷案に落ち着いた。
¥15000〜20000ぐらいだった。
エアアジアだったら数千円で移動できる区間を
こんなに出したくないという気持ちが強すぎて、
少々声を荒げてしまった。
いよいよ出発も近づき、選択肢のない私たちは、
仕方なくおじさんから航空券を買った。
おじさんとの交渉中、
チラっと何度も日本語堪能な青年に目線をやったけれど、
彼はスンっと別の方向を見て座っていた。
助けてよー!と送った目線は、
彼には届かなかった。
こんなややこしい事態に巻き込まれては良いことはない。
何で助けてくれないんだとあの時思っていたけれど、
彼が正解。
困っている人を助けるのも、
見極めが大事だと学んだ。
何航空かも分からない飛行機に乗り込んだ。
結構大きい飛行機で9割ぐらい席は埋まっていた。
でも、わたしの名前が記載されてないボーディングチケットでは、
その飛行機を全然信用できなかった。
友人とは席が離れていたのも
不安を助長した。
前方の席だったので、
最後のドアを閉めるところまで、
逐一CAさんの安全に対する行動を見つめていた。
ほんまに大丈夫?
ほんまにドアちゃんと閉めた?
とか、考えていた。
落ち着かないままジョグジャカルタに到着した。
そして再び日本語堪能な青年に声をかけられた。
彼はホテルまで着いてきてくれた!
初めて降り立つ異国の空港では、
乗り場はどこなのか、
この国はメーターなのか交渉が必要なのか、
タクシーに乗るのは少しハードルが高い。
彼はそれらを全部やってくれた。
だまされる事におびえていた私は
すごく安心したのをよく覚えている。
タクシーの運転手さんにも、幾らか渡さないと遠回りされたりぼったくられるのでは!?
と、おびえていた。
彼がいなかったら、
インドネシアが嫌な思い出になっていたかもしれない。
夕食の時間の頃、
やっとジョグジャカルタのホテルにチェックインできた。