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説得はコミュニティを腐食させる。「自分には価値がない」と嘆く人が見えてないものとは?◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』(完)【ぷろおご伊予柑の大預言 番外編】


『遠くへ行きたければ、みんなで行け』読書会


2022年12月8日に行われた読書会は、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』の訳者の方々を特別ゲストにお招きしました。
こちらはその対談を加筆編集したものです。

◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』編


No.1 木曜の読書会スペシャルの背景とゲスト紹介
No.2 『People Powered』のコミュニティ観について
No.3 「遠く」ってなんだろう
No.4 コミュニティは手段?それとも目的?
No.5 心地のよいコミュニティってなんだろう
No.6 コミュニティの価値に気づくには?
No.7 コミュニティに入るときに気をつけたいこととは?
No.8 コミュニティのサイズとバリエーションの相関関係




自分なりの楽しみかたを見つければ、世界はゆたかになる


ぷろおご:自分がやっていて楽しければそれでいいというような社会理解はあんまり人気がないからそもそも見えないというのがありますよね。

博士課程行ってる人って全員おもしろいじゃないですか。おもしろいというか、本人が「え、これを知らないの?」みたいなかんじのときの、いや、知らないけどあなたが楽しいことだけはわかるというような・・


わからないんです。わからないから楽しみづらいんです。でも、それってなんでもそうだともおもっていて、将棋でいうと藤井聡太がつよいということ以外は何もわからないわけですよね。ゴールとかないし、運動神経とかじゃないからわからない。

彼らは勝つから楽しいじゃなくて、指してて楽しいんでしょうね。だけど、それを"見る"にはそもそも能力が必要になる

ここにまず勝ち負け以外の楽しみがあるということに気づく能力がないといけなくて、学生とか若い人はとくに、そうした能力を得る機会が少なくて、むずかしいよね、という元も子もないはなしになる。元も子もないけど、しょうがないって言っちゃうと、話が終わってしまう


高須さん:今のぷろおごさんの話、強い人間ほどヌルゲー化するんですよね。つまり、東大に行った方が面白いことやってる割合が高くて、イケてる大学に行った方が教授自身がいきいきと研究してる割合が高い


ぷろおご:生まれてみたら港区だった人はすごいですよね。なんかわかんないけどみんなオシャレで、お金のこと考えずに生きられていて、趣味があって、みんなそれぞれ習い事していて、好きなことがある。結局、どこで生まれるかみたいな話


伊予柑:高須さんは実況解説のプロなんですよ。あらゆる発明イベントに行って、「すげえ!」って無限に言う。将棋でいうと解説する人なんです。あれって棋士解説がないとわからないですよね


高須さん:そのへんもぷろおごさんの映画の話と似ていて、世界で一番映画を見てるとそれだけで、コメンテーターになったりするんですよね

全然知らない発明大会に行った時に、100個以上行ってる人間が来たぞ!みたいになって、うちの大会はどう思うか教えてもらっていいですか、とか日本との違いについてコメントをお願いします、とか言われたりする。僕自身は何かを作ってるわけじゃないんだけど、

そういう意味でマイナーなテーマを見つけてしまうと強いんだけど、プロ奢ラレヤーさんもプロ奢ラレヤーがいない状態でなったのがすごくて、それはどうやるとそうなるのかはよくわからないポイントだったりします。

学生だと、たとえばコミケとかに行くのはすごくおすすめで、コミケは、本当にこんなので100、200人おもしろがる人がいるんだっていうテーマが超あるんですよ。紙パック100円コーヒーばっかりを飲んで、同人誌5年も10年も作ってる人とかがいる


そのコミュニティの「すごい人」はどうやってきまるのか?


高須さん:サイズの観点でもいろんなコミュニティを見た方がよくて、コミケも面白いけど、文学フリマになるとより変な人が集まってる。文学フリマぐらいになると変すぎてこうなりたくないなって人の方が多かったりするんですよ。

コミケですごい人って世間一般で見てもすごかったりして、もとから尊敬できるんですよ。でも、文学フリマですごいのは、オレ、そっちには行きたくないわ・・みたいに思うぐらいの人がすごかったりして、そういう意味でいろんなコミュニティを見に行くなかでサイズみたいなものも大事だったりするかもしれない


ぷろおご:2000年代初頭のインターネットって今のコミケや文学フリマみたいなもので、誰もがどんな情報にも触れられることができて、自分の知らない世界とも、ふと出会うことができるはず・・・!みたいな前提だったと聞いているんですよ。全然インターネットを知らないんですけど


高須さん:2000年ぐらいのインターネットはコミケぐらいの変な人しかいなくて、1998年ぐらいのインターネットになると文学フリマくらいの変な人しかいない。

アクセスしてるだけで全員変人みたいな感じなんだけど、その世界の一番すごい人もいて、そんなにすごくないみたいな。2000年ぐらいになると、適度に面白がってる人もいるし、適度に食えるみたいな感じで、


伊予柑:今は、新宿渋谷ぐらいになりました

高須さん:そう、今だとみんながインターネットをやってるから普通にすごい人が普通にすごかったりしてる。分野がデカくなりすぎると、勉強ができる人間が勝っちゃうんですよね

伊予柑:それはそう


ここではないどこかは、希望であり、救いにもなる


高須さん:勉強する人間がすごく少なかった頃の日本は、超変な人ばっかりが起業してたんだけど、最近は東大生がたくさん起業する。勝ちパターンが見えてくると、何やっても東大が強いんですよ。YouTuberがまだそうではないのは勝ちパターンがまだ見えてないからで、でも、もう今のYouTuberだったら、普通になんでもできる人が強い気がする


伊予柑:はい、もう勝てないです


高須さん:電通とか東大が勝つレイヤーですよね。僕自身は電通や東大側ではないと自分で思ってるので、そんなわけでまだ誰も来ないとか来ても10人ぐらいとか、来てもほんとにダメな人しかいなとかそういうところの方がテンションが上がります


ぷろおご:だから、おれは逆に文章だとおもうんですよね。コストが高い。読めないし、読むのもめんどくさい。好きなものがあったりしないと読む習慣がないじゃないですか。

動画、メタバースとか流行ってるんだけど、コミュニティにおいては実はもっと、精鋭化したテキストベースの方が優れているとおもう。うちはそれでまわしているから、そこそこ正しいのかなとおもってる


伊予柑:そうすると、おふたりが言ってることは遠い方がいいってことですよね


ぷろおご:遠い方?


伊予柑:"日常的ではない"
高須さんの言っている、僕がいるコミュニティには10人ぐらいしか来ないから、とかぷろおごだったら文章の方が使われないから、とか。つまり、弱い人間は遠い方を選んだ方がよいともいえると思う


ぷろおご:仙人に会いに行ったほうがいいんですよ。滝を登って・・・「仙人ー!」とかって呼ぶと「なんだおまえ」って


伊予柑:前半の議論で遠くなんか行きたくない、おれたち弱いんだからっていうのが基底としてあったけど、今の話だと真逆になる。弱い人間は遠くの方がいいよ、近いところはライバルばっかりだよという


ぷろおご:ひとりで行ける限界の遠くは経験した方がいいよね。もともと「遠くへ行きたければ、みんなで行け」はアフリカの諺だとおもうんだけど、アフリカの諺的にいうと、次の街に行くとか、そういうときは人数いないとリカバリーできないよ、とかそういう意味だとおもっていて、

ひとりで行って帰ってこれるくらいの距離をずっと往復することはだいじだとおもう。おれはその日の体力が持つ限りそれを繰り返しているし、あとは習慣だとおもうんですよね。それをやることはコミュニティ前提の装備になる




高須さん:ところで、僕、ぷろおごさんに質問をいくつかしたいんだけど、いいのかな

伊予柑:どうぞ。お願いします

なりたい職業ランキングに「奢られ屋」が登場する日はくるか…


高須さん:ぷろおごさんのまわりってぷろおごさんになりたいみたいな人が何人かいたりするんですか?


ぷろおご:あんまりいないです。Twitterのフォロワーの中には何人かいるかもしれないですけど、おれの見える範囲で、そういうタイプのくっつきかたをしてくる人はもういないですね


高須さん:なるほど

ぷろおご:だから、憧れみたいなのはほぼいないとおもいます


伊予柑:高須さんになりたい人がいないぐらいの感じです。誰でもわかる。ぷろおごも高須さんも圧倒的な量をこなしているということを・・・



ぷろおご:僕のことをラクして生きてるとおもってる人も、最近はあいつみたいにラクして生きたいって言わなくなった。なんか恥ずかしいかんじなんじゃないですか。

一般的な価値観でいえば、自分の金でメシ食って女の子に奢った方がかっこいいじゃない。なんでああならなきゃいけないんだろうっておもってるんじゃないかな。そりゃラクして生きたいけど、その内訳はラクして女を抱きたいとかラクしてカッコつけたいとかだから、カッコつかないのはラクじゃない


高須さん:そもそもそんなに楽じゃなさそうだしね

ぷろおご:実態として、おれがやってるからできるだけ。ストレスもかからないし、体力的にも自分がゼロコストでできることだけでデッキを組んでいるだけなので、


高須さん:それはコアラみたいなもので、そいつにしか食えないエサを食っている



ぷろおご:そうです。気がついたらおれにしか食えないエサの通になってた。それで、そのエサのことをしゃべってるとおもしろがられて、ラッキーみたいなのが増えてくる。

最初は僕に会いにきた変な人の話がメインで、客がついた。それをやってるうちに、おれと人間がおしゃべりしてるのを見て、「なんかちょっとおもしろいじゃん」ってべつの客層がついたみたいなかんじだとおもいますね、たぶん

高須さん::わかりました。ありがとうございます。質問はほぼそれでオッケー、めちゃくちゃ面白かった


なんだかんだでつづいている奢られ屋、なぜだかはわからない。もしかしたらぷろおごも知らないのかもしれない


ぷろおご:レンタルなんもしない人は、僕が活動当初にAbemaにでたのを見て活動をはじめたんですけど、やってみようかな勢はそれぐらいですかね

高須さん:そういえばレンタルなんもしない人は別人だったと今、気がついた。同じ人だと思っていたぐらい

ぷろおご:向こうはジャニーズでドラマ化されて、BBCとかアラビアの一番でかいニュースサイトとかで出たりしてる

高須さん:でも、レンタルなんもしない人の方が後なんだ

ぷろおご:僕の活動をパクったって公言していて、インドのニュースサイトとかにおれの名前がでてる。源流はTaichi Nakajimaとかってね


高須さん:たしかに、なんもしない方がよりエクストリームというか、「奢られる」は理解できるけど「なんもしない」は理解できないもんね

ぷろおご:そう、大喜利で

高須さん:よりエクストリームというか過激、でもどっちもすごいけどね

ぷろおご:レンタルなんもしない人がメジャーになってくれたおかげでそこから客が流れてくる

伊予柑:すごいのがアイディアというよりもこれが3、4年とサスティナブルに続いていることだと僕は思いますね

ぷろおご:インターネットの人はみんな消えていきますからね


価値は他人から与えられるもの?


伊予柑:そろそろ終わろうかなと思うんですけれど、今回対談してみてどうでしたか


ぷろおご:すごくおもしろかったです。おもに、みんな絶望してるんだなとおもって。何かしらをやり続けて現実と向き合っていると、どうしようもない部分みたいなのが見えるじゃないですか。ずっとやっていることがある人と長くおしゃべりしていると、この人はここの現実のこの部分に絶望して、それを大前提に話をしているなというのがわかる。

みんなそれぞれちがう現実を見て、ちがう現実のなかで、各々の絶望を大前提に生きて、何かをしてそのしゃべりをしてるんだなというのが見えてよかったとおもいました


伊予柑:ゆーさんはどうでしたか


ゆーさん:おもしろかったです。僕が見ているムラブリという人たちは盛り上がらない、全然poweredしない人たちで、勢いがないんですよ。でも、絶望をしてるかというと、してないんです。そこに僕は希望を見たいとおもっていて、

「飽きるんですよね」っていう伊予柑さんの言葉、人は飽きるから飽きないようにエスカレーションしていく必要があるという話、僕はそんなことないとおもうんですよ。同じ芋を食っても同じじゃない。ぷろおごも川を見ていてもおもしろいって言ってるし、


ぷろおご:さいきん、ゴミを撮って小説も書きます


ゆーさん:怖いけど、それはみんなできるとおもう。そこまでいったらエスカレーションする必要はなくて、わざわざpoweredする必要もなくて、遠くに行く必要もない。そういう前提があって遠くに行く方がらくなんですよ。

カルト化しない。おれは川を見てればいいから、って抜けれるから。そういう前提をクリアするのは個人なんですよね。クリアした個人が集まると、本当の意味でpoweredするというか、それが前提な気がするんですよ。そういうふうに僕は見てますね。

伊予柑さんの言っていた、この本の「一対一で、人の気持ちまじ大事」という部分は僕からすると、人がひとりで生きていくために必要なことをまずクリアしようというところからはじめる必要があって、それをしないと人は集まらないんじゃないかなと、そういうことを考えました


伊予柑:最後に高須さん、いかがでしたか



高須さん:本の内容については、あとがきに書いたからそれで全部といえば全部で。イベントの話でいうと、人間難しいですね、みたいな。

僕、人のことがまったくわからないから、これだけアクティブに活動してるんですよね。何かやってるから僕に価値はうまれるんだけど、僕そのものはなんも価値がないから動いてる。そういう意味で、なるほど、人と会うだけでバリューになる人もいるんだなみたいなのがある

(編集部:人と会うだけでバリューになる人="会うこと"に価値があると感じさせる人)


ぷろおご:いや、でも、高須さんとかは主観的に価値がないとおもいたいだけであって、実際は高須さんが高須さんとしてどこかに来るとかそういうことに価値が移動してますよね



高須さん:違うユーカリを食べてる。あれなのよ。「人」はわかった方がいいんだろうなとは思うんですよ。もちろん、色々な活動をやってることの何割かは人気者になりたいな〜みたいなのがあったりする。

今はそれなりに名前があるから奢ってもらったりもするんだけど、僕に会いたいから奢ってくれる人はそんなにいなくて。僕に何か話を聞きたいとか、最近見た面白いものの話を聞きたいとか、つまり、面白い話が聞ければ僕じゃなくていいんだよなみたいなところに僕のバリューが発生している。別にそれで拗ねるわけではないんだけど、

要は自分が食べたいけど食べられないものを食べてる人がいるんだなあ、みたいな意味で面白かったです



ぷろおご:いい話ですね

伊予柑:これだけの話ができたのは、僕はこの本を選んで、そして翻訳してくださったおかげだなぁと思います


説得は悪手、自分の感じた価値に忠実に動けば勢いがうまれる


高須さん:ちょっとその翻訳の話もすると、山形さんと僕は本当に翻訳者としてのレベルがびっくりするぐらい違う。山形さんは羽生さんぐらい、そういうレベルにいて、僕は翻訳ではご飯が食べられないレベル。だから、拝み倒して拝み倒して監訳してもらっていて。

そのきっかけのひとつは、別のところで僕がやることを山形さんが面白がってくれていて、高須が面白いって言っている本なら面白いかもしれないなというので、他のことでつながりもあるから監訳してあげようみたいな。で、僕が1年くらいかかる仕事を山形さんは2週間でできるから、2週間で仕事してくれて


伊予柑:そういう人に愛されるだけのものを高須さんは持っていると



高須さん:なんでかって、僕が1年使ったからです。つまり、山形さんに2週間仕事してもらおうと思ったら、1年使わないと一緒に仕事ができないから、1年使った。

監訳者が面白がらない本をなんで翻訳したかというと、日本が元気になった方がいいなあと思う部分がいっぱいあって、日本の仕事に足りないものがこの本にはいっぱい詰まっている感じがした。この本、中国のイベントで知ったんですよ。

中国の「もっとオープンソースの力を社会でバシバシ使っていこうよ」みたいな感じの大企業の人がバンバン出てくるイベントで、この本を書いたヒッピーくさい欧米人が、こうやればもっと人々の力を開発に使えるよみたいな感じで発表をしていて、アリババとかテンセントの人がすげえ真面目に聞いてた。


中国では社会の力を自分の会社に持ってこれる人の給料がどんどん上がったりするんですよね。
それを見ていて、中国はもっと元気になるかもしれないけど、日本だとそっちの人たちの給料が上がる話はあまり聞かないから、まずそうな気がしていた。

「最近、本が出たんだ」っていうのがその人の最後の言葉だったから、とりあえずその本を買って読んでみた。しかもこれはアメリカでは3年前に出てるのね。僕が翻訳したってことは、つまり他の人が誰も翻訳しようとしなかったんですよ。そろばんに合わなくて。

なので、わし、別に翻訳で給料をもらってるわけではないから、暇な時間を突っ込んで翻訳をしようと思って、こうなった。だから読んでくれた人が日本のいろんな人をいろんな方向にPeople Poweredしてくれたら満足でございます。

ぷろおご:いやあ、今日はよかったなあ

伊予柑:People Powewd、ノリと勢いがいかに大事かってことはまじでよくわかりました

高須さん:のってこない社員を説得するとかまじでやめた方がいい

伊予柑:じゃあここらへんで終了したい思います。ありがとうございました。

『遠くへ行きたければ、みんなで行け』編 完



対談にご参加いただいたみなさん、ありがとうございました!




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3分で読める文章を、ほぼ毎日のように書きます。おれにケーキとコーヒーでも奢って話を聞いたと思って。まぁ、1日30円以下だけど...。

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