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「ADHD」について【プロ奢voicy書き起こしvol.16】

この無料noteは、プロ奢ラレヤーのvoicy 「ADHD」について(2021年1月8日公開)の内容をもとに作成したものです。

はい、どうも。
プロの奢られ屋やってます。

稀にラジオやテレビに出演したり、普段はtwittertiktokなどで集客をして、そこから「奢りたいです」という依頼を受けて、池袋ら辺でメシを奢られたり

月700円ぐらいの月額マガジンを書いたり、こっそりオンラインサロンを運営したりしています。通算かれこれ3000人、あるいはそれ以上に奢られてきて、プロの奢られ屋を名乗っています。


今回からはちょっと方針を変えて「プロの奢られ屋」という意味不明な仕事で飯を食っている謎の人間の独り言を垂れ流していこう。ということで

特にテーマや方針など決めずに、僕がその日、twitterのトレンドのワードから思ったことなどを少しだけ調べてぼんやり話したり、リスナーからのリアクションに応じて話したり、興味ない社会について知るきっかけになればと思っています。

流行や話題になっている単語をテキトーに拾ってテキトーに無関心を示しながらテキトーに話すことで僕が社会性を取り戻していこうという試みです。

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「ADHD」について

今日はtwitterで話題になった「ADHD」(注意欠如・多動症/注意欠陥・多動性障害)についてぼんやり話していきます。

最近「ADHD」流行ってるじゃないですか。

「私、ADHDかも」とか、「これに当てはまったらADHD」という誰が作ったのか分からない謎の診断を、よく見かけるようになった。

そのことについて特に思うことはないんですよね。冒頭から、話の骨を折ってしまいましたが、僕のことを知っている人達は納得するんだろうけど、僕も多分、当事者だと思う。

社会的生活はできないけど、生活自体に困っていることがない、だからこそ思うことはなくて、とはいえ「会社で勤めなさい」とか「靴下を履いて学校に行きなさい」とか言われたら、できない。

ADHDの診断、その条件っていうは変な話、自己申告になってしまうわけじゃないですか。「社会生活を営んでいく上で困っているかどうかが診断の基準だ」というものらしいので。

正直言うと、他人である医者がADHDを診断するのも難しいと思います。

だって、精神的なものっていうのは、癌とか骨折とかと違って患部を発見できるものではないじゃないですよね。

本人が思い込んでいたり、記憶を覚えていない事もあるだろうし、あやふやなところがあるけど、今困ってるか困ってないか、で診断される。

その「困ってる」は社会のせい?

そう考えるとですね、ADHDかどうかということよりも、みんながあんまり考えてないけど、本当は考えなければいけない問題として、そもそも困る社会に問題があるんじゃないの?という話になってくるわけですね。

「困っているかどうか」という主観的な感覚を基に診断されるなら、住む社会が違えば困らない、つまり病名が要らなくなると思う。

だって、社会や環境によってその人が感じる生きやすさ、生きづらさっていうのは違いますよね。

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例えば、日本に住んでる日本人と、インドに住んでる日本人、タイに住んでる日本人、住む社会が違うわけだから、それは求められるものも違うということでもありますよね。

求められるものが違うなら、困る・困らないも対応して変わってくるのは当然じゃないですか。

これはね、比喩というか圧倒的な偏見ですけど、僕には何人かインド人の知り合いがいますが、まじくそテキトーで、もう遅刻という概念がないですからね。

「遅刻」は、「時間通りに来る」という社会通念が働いていて、初めて発生する概念なわけで

日本は電車が3分遅れただけで謝るけど、インド、それこそヨーロッパでも電車が2時間遅れたのに「許してくれてありがとう」みたいなアナウンスが流れる。

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「いや、許してねえし、勝手に許さすな」と僕も日本人なので、ついツッコミを入れてしまうんですが

その人のできないことだったり固有の性質に対して、社会がそれをどう反応するか?ということにつながると思っていて

つまり、社会や環境が変われば、与えられる判断や評価というのは変わるわけです。

だいたい感染するわけでもないのに、日本に最近「ADHD」が増えたというのも不思議な話じゃないですか?

その背景には、社会の「普通」のラインが非常に高くなっている、あるいは高いことにみんな気付き始めている。ということがあるかもしれないなぁと思っています。

「ADHD」という安心材料

「普通ができない」という実感がある時に、人間はその理由を求めるじゃないですか。

それで、「自分は何か障害があるんだな」「ダメな人間なんだな」「他の人に比べて劣っているんだ」と、うまいこと枠にハマろうとする。

理由づけによって安心することができる。「ADHD」という枠があることで安心できるなら、その材料としては非常に良いのかな、とも思います。

でも、まあそんなこと言い出したら全員ADHDじゃないか?となるんですけど、僕に言わせれば、日本人は全然ADHDじゃなくて、本当に真面目ないい奴らですからね…

はい、ということでね、

こういう感じで、ある意味、社会の外側から第三者目線で、テキトーなことをぼんやりと喋っていきます。続けることが大事なので、テキトーにやっていきたいなと思っています。

これについて話してくださいとか「今、世間ではこれが賑わっているけど、プロの奢られ屋はどう思う?」とかね、ぜひ教えてください。トレンドワード探すのすら僕には、ちょっと腰が重いので…

コメントでリクエストしてくれたらやりたいです。

voicy、YouTube、noteどのコメントでもいいですし、twitterに感想をシェアする時でもいいので、是非ネタをください。

大体「興味ないんですけど」って始まりになると思うんですが、興味なくても知識として知っておく分には、損はないと思うので、僕の社会性を皆さんでテキトーに育ててもらったら……

ということで、voicyは僕の日課にしていきたいと思っているので、続くまではぜひお付き合いください。スポンサーになりたい人は金を下さい。

はい、じゃあ今日はこれで終わり

バイバイ

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