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徳島密航記1999(4・終)

※この記事は、1999年3月に、当時大学生だった筆者が、大阪から徳島へプロレス観戦に出かけた際に記したルポです。掲載に至ったいきさつは下記のリンク先の記事をご参照下さい。
※(4)だけでも試合の内容とか当時の筆者が書きたかったことはだいたい分かります。

(1)~(3)はこちら。

 ついに来た。このために、わざわざ海を渡ってやって来たのだ。まず、青コーナーから、アレクサンダー大塚の入場。ちなみに入場曲は「AO Corner」という名前らしい。長渕剛みたいな歌い方のボーカルの声が響く。サビの最後の「青コーナ一から」という歌詞だけ聞き取れた、と思ったら、そこで一気に曲調が変わって、次にやってきたのはものすごい歓声! その大歓声に包まれて、そして殺到する観客にもみくちゃにされながら、アレクが入って来た。Tシャツに大きく「A」の文字。リング下で、深々と一礼。リングに上がると、じっと目を閉じて仁王立ちしている。その奇妙に静まりかえった間を打ち壊すように、鳴り響く鐘の音。そこへ低く流れ込む般若心経、静かに滑り込んでくる音楽、とたんに張り詰めた空気の中で黙ったままの観客、さらに仁王立ちのまま動かないアレク、リングアナのやけにドスの効いたコール、そこに大きく覆いかぶさるボーカル、そして、再び沸き起こる大歓声…大騒ぎする周囲とは別空間にいるような静かさで、笠を深く被り、錫杖を鳴らして、人生がやって来る。思わず、目を見はった。この、見る人を引きつける異様な力は何なのだろう。リングに向かって合掌する、その動作だけで目を離せなくしてしまう絶妙な間の取り方を、一体彼はどこで身につけたのだろう。音響や状況的な手助けももちろんあったが、それ以上に自分自身の力で、彼はその場の空気をがらりと変えてしまった。これを、カリスマとか華とか言うのだろうか……。私はこの時、売店で見かけた人生に「普通のおっさん」などという感想を持ったことを、かなり真剣に反省した。
 最初に花束贈呈があったのだが、何と言うか、人生ほど薔薇の花束が似合わない人ってのも珍しいと思う。しかも綺麗なお姉さんから手渡されている姿は、どう好意的に見ようとしても、やっぱりキャラクターに合わない。入場シーンが異常にかっこよく頭に焼きついてしまった私には、この光景がどうしてもネタにしか思えず、でも笑うこともできないので、非常に苦しかった。アレクの方は、別段おかしな風にも見えず、普通に受け取っていたのだが。
「試合は握手と2人だけの会話で始まった」と私は試合終了後のメモに書き残しているのだが、実はアレクが差し出した握手の手を、人生が手首を掴んで止めて、そこで何か会話が成されたらしい、というのを例の「週刊プロレス」904号で知った。やっばり、私の観察眼というのはどこかピントがずれているのかもしれない。それを立証するかのように、私はその会話の後にアレクが自分の顔を叩いて気合を入れなおしていたことも、その直後にいきなりアレクが放ったジャーマンのことも書き記していないのだ。それよりも、その後5分余り続いた、静かなアマレスの攻防の方が、私には印象的だったのだろう。アマレスのルールなんて知らないから、後ろを取られるのはあまりよくないことだ、ということくらいしか分からない。でも、人生がこんな動きを見せるのは、少なくとも私が知っている限りでは初めての事だった。今の人生のキャラクターとアマレスの動きとの間には、確かに大きなギャップがあるのだ。週プロ904号の記事には、こんなことが書いてある。
 
「まるで、高校のレスリング部道場で汗を流していた頃を思い起こすかのようにひたすらグラウンドへ没頭していく2人…暑かった夏合宿、埃っぽいアマレスマットの匂いが脳裏をかすめていたのだろうか。
『リングに上がれば、新崎戦というものに関して何か思い浮かぶかなと思っていたんですけど、じっさいに上がってみたら過去のことばかり思い出して…2人が出会ってからの人生が凝縮されて、お客さんと新崎さんと、ボクの心に刻み込まれたんじゃないかと思います』(大塚)」
 
 5分経過、いきなりマウントポジションからアレクが膝を落とした! マルコ・ファス戦の時もこんなだったのかな、などと悠長に考えている場合ではない。アレクのスリーパーが入っているではないか。しかし、人生は後ろから締め上げるアレクを背負ったまま立ち上がってしまい、そしてこの辺から、素人の私にも分かりやすい試合展になってきた。試合の経過については、先に書いたとおり専門誌を見た方が正確なので細かいことは書かないが、私でも分かった技は、アレクのジャイアントスイング、細かい分類は分からないけどスープレックス、鉄柱をノータッチで超えるトペ・コンヒーロ、人生の拝み渡り、腕十字、極楽固め…でも、だんだん見ているこっちまで痛くなってきて、正直まいった。時間が経つにつれて体力が徐々に尽きてくるのを、2人共とんでもない意地と気力で撥ね返そうとして、それがまたぶつかって火花を散らしているのが、2階席にいる私の所までビシビシと飛んでくるような気がして。観客は、いつの間にか人生とアレク派に別れて声援を送るようになっていったのだけれど、私はどちらにもなれなかった。元はといえば人生に入れ込んでいたのだから、人生側についてもよさそうなのに…。ただただ、この2人の世界をじっと見ていたかった。正直、決着などついてほしくなかったのだ。しかしこの試合は時間無制限、それでも両者リングアウトかダウンということもあり得るのだ。実際、アレクのトペ・コンヒーロを食らった人生が場外カウント19ギリギリで戻って来たこともあったし、両者ダウンしてカウント9でやっと起き上がる、なんてこともあった。それでも、体力の限界をとうに超えているであろうに、また立ち上がり、体の中にあるものを全て振り絞るようにして、闘い続けるのだ、この人達は。いつの間にか会場は異常な熱を帯びて、まるでそのリングの上だけが全ての出来事のように、ただその出来事だけに没頭していく不思議な感覚を、多分リング上で闘っている2人を含めて、この会場にいる全ての人が感じていたように思う。
 しかし、出来事には必ず終わりが来るのだ。人生のパワーボムから高野落としが決まって、カウント3が入った瞬間、恐らく観客の大半が、少なくとも私も含めて私の周りにいた観客の全てが、それぞれに言葉にならない叫び声を上げた。「34分26秒…」リングアナの声は、その後歓声にかき消されて聞こえなくなった。2人共、しばらく倒れたまま動かなかった。そして少しずつ、起き上がっていく人生と、それにつられるように顔を上げるアレク。何事か人生が話しかける。アレクの表情が歪んでいく。そのまま、ゆっくりと立ち上がる2人。片方の手を両手で握りしめて俯くアレクの頭を、もう片方の手で人生がなでる。観客は、ただひたすら拍手を送り続ける。ようやく手を離して、今度はマイクを握るアレクだが、やはりというか、出てきたのは涙声だった。以下、あまりよく聞き取れなかったので、週プロより抜粋。
 
「今日はボクが負けてしまいましたが、けっして勝ち負けなんかじゃないんで、みなさんそれだけはわかってください。徳島県出身のレスラーが2人、徳島の地に2人が対面して闘ったことを心の中にしまって帰ってください」
 
 この表情をどこかで見たことがあるな、と思ったら、1.12の後楽園で、涙ながらに人生に直訴するアレクの写真だった。あの時も、こんな風にアレクはマイクを握っていたのだろうか。あの記事がやけに臨場感に溢れていたせいか、この時、奇妙な既視感にとらわれてしまった私。次に目に入ってきたのは、コーナーのクッションに額をつけている人生の姿。人生は・・・何だか泣いているみたいだった。
 人垣の中を、出口へと向かうアレクと、リング上からそれを見送る人生。扉の手前で、アレクが振り返った。再び会場中から拍手が沸き起こる。その様子を、週刊プロレスの鈴木記者はこう書いている。
 
「大塚にとって、涙が始まりを告げた新崎は、涙で終わった。でもそれは負けた悲しさではなく、ようやく人類を成就できた『嬉しさ』以外の何物でもない。(中略)二人とばかり思っていたら、こうして1937人の人が自分たちと同行してくれた喜び…。健闘を称え合う2人に送られたのは、ただただ拍手。声を出したらこみあげてきたものがあふれてしまいそうだったから、誰も歓声をあげられなかったのだと思う。」
 
 そういえば、最初の1.12の後楽園の記事も、この対戦決定を報じる記事も、そしてこの試合の記事も、この鈴木健という記者が書いているのだ。そのことに気づいたとき、私は正直にやられた、と思った。細かい経緯など知るよしもないが、彼にはきっと、この2人の対戦に何か深い思い入れがあったのだろう。そしてその思い入れを原動力にして記事を書き、その文章が読者の心を動かし、あまりこの2人に関わりのない筈の読者(私のことです)の心までも動かして、ついには徳島の地にまで呼び寄せてしまったのだから、この記者のペンの力は相当なものである。そして、そんな記事を書ける鈴木記者を、こうやって誰が読むとも知れぬつたないルボを書くことでしか、この2人への思いを表現できない私は、とてつもなく羨ましく思うわけである。
 アレクを見送った後、人生がマイクを取った。思えば、人生の声を聞くのはこれが初めてだった。
「今日来て下さった皆さん、私と大塚の夢に付き合ってくれて、どうもありがとう」
 それだけ言って、足早に去っていった人生。もう、泣いてはいなかった。
 
 わらわらと帰り支度を始める人の中で、私もゆっくりとコートを着てを下げたが、頭の芯の部分がまだしびれたようになっていて、どうも足元がおぼつかない。そのままふらふらと駅前まで歩き、ふらふらとローソンに向かって夕飯を買う(試合が終わって会場を出たのがもう10時前で、飲み屋しか開いていなかったのだ)。やっとホテルまで辿り着き、シャワーを浴びて、サタデースポーツなど眺めながら買ってきた弁当を食べる。一服の後、半ばボーとしたままではあったのだけれど、忘れないうちにとメモを取りはじめたのだが、いつのまにかベッドに突っ伏して眠ってしまった。ハッと目が覚めると、夜中の3時。これはいかん、風邪をぶり返してしまう、と即座に布団を被って明かりを消す。しかし、きちんと眠る体制を整えた時に限って、睡魔というものはやって来ないもので、つくづく腹の立つ瞬間である。けれどこの日は、まだ十分にさっきの試合の余韻が頭を支配していたので、かなり疲れてはいたけれども幸せな気分で、睡魔がやってくるのを待つことができた。そして就寝。
 8時45分、セットしておいたアラームが鳴る。たいへんのんびりと身支度をして、10時少し前にチェックアウト。外は雨。舌打ちしながらビニール傘を買って喫茶店で朝食。ここでまたしても私の馬鹿さ加減が露呈されてしまうが、何と帰りのバスは1時半にならないと出発しないのだ。何故そんな時間のバスを予約したのだ、と昨日の自分を恨んだがもうどうしようもなく、再び暇をもてあますことになり、仕方がないので本屋など覗いてみたら、「紙のプロレス」なる雑誌を発見。こんなの知らないぞ。巻頭特集でUFOと小川を扱っていたので少し面白くない。中に、アレクのイインタビューを見つけた。昨日の試合に関するコメント(もちろん試合前に書かれたものだが)も載っている。でも小川が表紙なので買わずに棚に戻す。さらに物色中、前からずっと欲しかったマンガを見つけた。「船を建てる」全6巻中、何故か4巻と6巻は持っているので、それ以外の4冊をまとめ買いする。ロッテリアで読書に突入。煙草をふかしながらマンガに没頭する私を、隣に座ったヤンキー風の兄ちゃんたちがかなり怪訝そうな顔をして見ているのが目の隅に入ってくるのだが、私の顔に何かついているとでもいうのだろうか。何度か勇気を出してそちらの方に顔を上げてみるが、目が合うと向こうの力に負けて下を向いてしまう。ガンつけてると思われたらちょっとまずい気もするし。何なのだ。金なら持ってないぞ。それでも懸命に読破し、そそくさと店を出る。それでも時間が余っているので(ああ、もう嫌になってきた…)古本屋を物色。ものすごい量の本がひたすら平積みにされているので見にくいことこのうえない。これで商売になっているのか、少し心配になる。
 やっとバスが来て、一路大阪へ。帰りは窓側で少しラッキー。2日間、うろうろしてきた街並みがだんだん遠くなっていく。田舎育ちの私にとっては、これくらいの規校の町なら、大きすぎて迷うこともなく(小さすぎて退屈することはないのだ、不便なのは少し嫌だが)結構快適に暮らせるのではないか、とふと思った。ただでさえ、JR大阪駅から阪急梅田駅まで、未だに案内板とにらめっこしながらでないと辿り着けないほど方向音痴な私なのだ。それでも今まで何とか大した失敗もせずにやって来れたのは、この行き当たりばったり式楽天思考の賜物か、それとも単なる悪運の強さか…そんなことをぶつぶつ考えているうちに、もうバスは大鳴門橋へさしかかっていた。また、この橋を渡って向こう側に行くことがあるのだろうか。私のことだから、また突発的にプロレスを見たくなって、ひとりで一つ下げた恰好のまま、このバスに乗っていることもあるかもしれない。ひょっとしたら、もっと遠いところまで行ってしまっているのかもしれない。しかし分からないのだ、先に起こる事なんて。そしてまた私のことだから、また色んなアクシデントに見舞われて、それでも「何とかなるさ」とひょうひょうとそれらを飛び越していくのだろう…。
 みちプロはこの日も徳島で試合があったのだが、アレクはそこにはいなかった筈。そのアレクの試合後のコメントが知りたくて(人生のコメントも是非知りたかったのだが、彼は報道陣に対して多に口を開いてくれないので、あまり期待はしないことにした。案の定、彼は試合後のリング上でのマイク以外、何も話してくれなかったようだ)次の木曜日がひたすら待ち遠しくなっていたバスの中の私の為に、最後に、再び鈴木記者の記事から抜粋。
 
「翌日、徳島空港で福岡に出てバトラーツ合志町大会へ向かう大塚と会った。さすがに表情は明るい。
『あれから一晩考えたんです。試合をしながら抱いた思いを表現したら、どんなものなのかって。今になって思うのは、もし新崎さんといっしょに八十八カ所巡ったこんな気持ちになるのかなって、おぼろげにわかったんです』
うん、アレク、八十八カ所を巡っていたのは二人だけじゃなかったんだよ――。」
 
 みちのくプロレス「ルチャの国から98-99 ~未来と闘え〜」
 1999年3月6日 徳島市立体育館
  巡礼八十八番札所(時間無制限一本勝負)
 新崎人生(34分26秒・エビ固め)アレクサンダー大塚
 

【24年後の筆者より】
・他の部分はさておき、この試合の雰囲気及び自分が感じたことを書き記したことに関しては、褒めてあげたいです、当時の自分。しかし、いらん自分語りを全て排除して書き直したい気持ちも大いにあります。
・「また、この橋を渡って向こう側に行くことがあるのだろうか」と書いていますが、アンタこの後、四国出身の男性と結婚して、度々この橋を渡ることになるんやぞ。電車の場合は瀬戸大橋も渡るぞ。
・プロレスの魅力は、試合会場の内にも外にも、また活字の上にも、写真にも、動画にも、あらゆるところで「プロレス」を表現できるところにもあると思います。当時の私は「読む」ことに比重を置きがちなプロレスファンでしたが、今は「観る」「読む」「語る」「集める」等々、多様なプロレスの楽しみ方をしています。これからも、この愛すべき混沌を見守り続けていく所存です。

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