感染症に地域名をつけることのリスクーー新型コロナウィルスをめぐる「命名政治」について

「新型コロナウィルス」こと、COVID-19のネーミングについて、一部では極めて政治的な議論が展開されている。一部「保守派」議員やオピニオンリーダーなどが、同ウィルスについて「武漢ウィルス」「武漢肺炎」「武漢熱」という名前を用いるべきだと主張しているのだ。

しかしWHOはもともと、ウィルスなどの名前に国、地域、人の名前、動物の種類などはつけてはいけないというベストプラクティス(最善方法:ガイドライン)を発表している。

なぜ地名などをつけることを避けるのか。それは、疾患名が差別につながることもさることながら、疾患名が疾患についての誤解を生む可能性があるからだ。

※例えば地域名がつくことで、「特定地域に行くと感染する(特定地域に行かなければ感染しない)」といった誤りを生む可能性など。

対して「武漢ウィルス」「武漢肺炎」「武漢熱」という名前を主張する人の中には、公衆衛生の観点から名前を議論しているわけではない。その点について指摘されると、彼らは妥当性の説明というより、ある「言い返し」のパターンを用いていた。

一つは、「日本肺炎と名付けられたりして、日本に責任を押し付けられるかもしれないから」というものだ。ただ、これは反論としては脆弱だろう。地名をつけるべきではないとする立場からすれば、「武漢肺炎」とも「日本肺炎」ともつけるな、で済む話だからだ。

もう一つは、「スペイン風邪や日本脳炎などはどうなのか」というものだ。これも、ロジカルには先と同様の話で、「地名は避けるべきだ」と応じられる。ただ先の例と異なるのは、すでに定着した名前をリネーム(改名)することの是非という、重要な点である。

WHOの先のベストプラクティスは、この問いに対して一定の線引きを行なっている。"They do not apply to disease names that are already established"ーー、つまりこの指針は2015年に発表されたもので、2015年以降に行うネーミングについては採用されるが、それ以前に名付けられた、すでに確立された名前にまで適用されるものではない、としているのだ。

病名は、医療関係者や患者などの間の共通言語だ。名前が共有されること自体が、症状や治療に対する啓発活動にもなる。それをリネームするには一定のコストがかかる。WHOが、「(僕の解釈では)当面は」、過去に遡って議論しないとした見解は、理解できる。

ただし、「統合失調症」「自閉症スペクトラム」のように、疾患についての誤解を避けるためのリネームは、いくつも前例がある。そのため、「もう定着したから」というだけで、「今後の」リネーム可能性を退ける根拠にはならない。僕個人としては、該当地域や専門家などの訴えがあった場合には、すでに定着した名前でも、リネームを検討すべきだろうと思う。



ところで、WHOが行なっている、ネーミングをめぐるこうした議論には、一定の背景がある。

例えば2009年には、「豚インフルエンザ」という名前が話題となった。このネーミングは、豚肉産業に大きな影響を与えただけでなく、ネーミングをめぐる政治にも使われた。各国が地名と結びつけたネーミングを用いたことで、豚インフルエンザのほか、メキシコインフルエンザ、北米インフルエンザ、カリフォルニア風邪、H1N1、パンデミック風邪、インフルエンザAなど複数の呼び方が混在することになった。

命名による具体的な悪影響、例えば「メキシコインフル」には、「メキシコの労働者、不法移民、国境管理に関する国民の恐怖と誤解が投影される可能性がある」ことも指摘されている論文もある。(Schein., 2012)

WHO健康安全保障担当副局長の福田氏(当時)は「”豚インフルエンザ”や”中東呼吸器症候群”などの名前の使用は、特定のコミュニティや経済セクターを非難することにより、ネガティブな影響をもたらした」と述べた。MERS=Middle East Respiratory Syndrome(中東呼吸器症候群)という名前もまた、多くの問題が含まれていたのだ。

「これからウィルスなどに命名する際には、地域名などをつけないようにしよう」というWHOの指針は、「これまでの失敗を踏まえて」という含みがある。それに対し、「あの頃のネーミングはどうなのか」と返すのは、意味のある返しではない。他方で、「あっちもリネームしたほうがいいのではないか」という議論であれば、議題設定としては有意義であろう。

ところで、病名もそうだが、病気への言及の仕方も、慎重さが求められる。SARSが流行した際、メディアはマスクをした東アジア人の映像を流し、アジア人差別が世界中で広がった。この際、「一般大衆は、地理学と、人間の文化的および物理的特性とを、混同する傾向がある」と指摘されていた(Schram., 2003)。つまり、特定地域で流行することが、特定人種に流行することと、混同された面もあるというのだ。

もちろん、もともとあった差別が、感染症パニックによって加速されたという面は重要だ。COVID-19をめぐる反応の中では、日本でも世界でも、いくつもの差別が確認されてしまっている。「武漢肺炎」などというネーミングを国会で吹聴する政治家もいたが、そうしたオピニオンリーダーの発言に、排外主義的傾向が隠れていないか、じっくり見つめる必要がある。

メディアの報道姿勢についてもそうだ。パンデミックの対応について、特定の地域や国と結びつけた報道を過度に行うと、疾患への対策について、誤ったイメージを拡散することにもなる。

パンデミックに対するメディアや政府の反応によっては、国益の名の下に人種差別や外国人嫌悪が形成されるが、そのことが国民との信頼と協力を損ない、合理的な健康対策への懐疑を煽るという指摘も行われた (Quinn., 2008)。

https://www.researchgate.net/publication/51434463_Crisis_and_Emergency_Risk_Communication_in_a_Pandemic_A_Model_for_Building_Capacity_and_Resilience_of_Minority_Communities

となれば、「武漢肺炎」という名前を好んで用いる人は、科学コミュニケーションを失敗に誘導する行為だとも言えるだろう。排外的な政治的思惑を政治家が主張すれば、それに同調する一部の人を除けば、そうした政治家が口にする医療情報の発信にまで、疑義が向けられることになる。他国の政府の透明性や正義に疑問があるからといって、自分の政府にまでそれを手放すことを求めるのは妥当ではない。政治不信が感染拡大の収束を妨げることになるという観点から、少なくとも自分が関与可能な自国の政府には、透明性と正義を持つことを呼びかけることが重要だろう。

わざわざ地名をつけた疾病名をCOVID-19にネーミングすることには、多くのデメリットがある。疾患やウィルスについての名前を、排外主義者同士のイキリ合いのおもちゃにしてはいけない。政治家がそうした振る舞いをすべきではないし、そうした行為を意図的に行なっている者からは距離を取るのが良いと考える。

(リサーチアシスタント:精神科医、ストップいじめ!ナビ特任研究員・増田史)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?