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時計の針が進むことについて。量子力学と世界の波、12月。

もうすぐ2022年が終わろうとしている。

やっぱり一年というのは年々過ぎるのが早くなる。小学生の時、クラスの先生が時間の大切さを僕達に伝える為に、ジャネーの法則を僕たちに教えてくれたことがある。私たちが感じる時間は年齢を重ねるにつれて短く感じるようになるらしい。

当時はそんなことはないだろうと思っていた。だって時計の針はいつも同じく進んでいるのだから。けど今ではあの先生の言っていたことがよくわかる。

一年というのが、思っている以上に短くて、年を重ねることが日に日に重みに変わっていく。

あの頃は早く年を重ねたかった。制限された学校という空間から、新しい場所へと移ってみたかった。それは大人にしかできないことがたくさんあったからだ。

小さい頃の話だ。ディズニーランドに行った時、まだ僕の身長は110cmほどしかなく、乗れるアトラクションがほとんどなかった。だから仕方なく周りを探索したり、身長制限のない乗り物に乗っていた。

あの時は全ての物事が大きく見えていた気がする。周りの景色も、晴れやかな建物も、手に持ったポップコーンのケースも、その中のポップコーンでさえも。そして一年という時間さえも。

そういえば、昔から時計を眺め続けるという癖がある。今でも暇な時間に時計の針が一秒一秒進む瞬間を眺めてしまう時がある。

針が無機質に、無感情に進む過程を見ていると、何だか不思議な気分にになった。どうしてこんなものに縛られているのか、不思議で仕方がなかった。

世界の至る所に時計というものが存在していて、僕らはそれを頼りに1日を過ごす。

朝の8時に起きて、12時にはお昼を食べる。18時には晩御飯を食べて、22時頃にベットの中に入る。

時計を頼りに日々の行動を過ごすことに対して、あの時、すごく違和感を覚えていた。世界中の時計が一斉に狂い出したら、一体みんなはどうなってしまうのだろうか、そんなことさえ考えていた。

無意味な行いだと分かっていたれど、時間が止まるかもしれないと思って、何度か時計の中の電池を外してみたこともあった。時計のない空間で過ごすと、最初は居心地が良かった。時間に縛られていないという自由さを感じられたからだ。けれどしばらくすると、体が緊張し始めて、不安感に襲われた。

それは時間というものが今まで身体中を包んでいたから。それが剥がされて、たちまち恐怖してしまったのだ。時計の中に電池を戻してしばらく経ってから、ようやく安心することができた。離れていた日常が元に戻った。

こんなことを書いている間にも時間は進んでいる。

けれど最近の研究では時間というものは存在しないらしい。量子力学なんていうものすごい小さい世界では、僕らの現実、常識が疑われるようなことが起きているらしい。

そこは過去も現在も、未来もない。むしろ、過去も現在も未来というものも全て決まっているらしい。まるでテットチャンのメッセージのようだ。

未来を、まるで過去のように思い浮かべられることができるようになった女性は、その未来に対して抗うことができないことを知る。それは未来が既に確定しているからだ。知ってもその未来から逃れる選択をすることができない。ただその未来を受け入れるしかできなくなる。そんな話だったはず。

量子の世界では、物事の全てが「波」でできているらしい。物も考えも、私というアイデンティティも、意識も、時間も、今考えている言葉も、次に思い浮かべるの言葉も、明日の天気も、あの人とどうなるかも、そうした全てが、水面に映える波みたいなものだそうだ。

それはなんだか素敵な世界だ。



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