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エッセイ『音楽について、楽器について、ギターについて』

 僕にとってギターは、感情を外に出すための一つのメディアだ。たとえそれがピアノであってもバイオリンであってもフルートであってもサックスであっても良かったのだと思う。ただ家にアコースティックギターが二本とエレキギターが一本あったから、ギターだったのだ。正直ピアノがよかった。

 誰かに憧れたり、モテたいとかそんな理由で始めたのではなく、ただそこに音がなるモノがあって興味本位で始めた。おもちゃをあたえて喜ぶ子供のような好奇心みたいに。そう、僕にとってギターはおもちゃだ。使い倒しても飽きない玩具だ。

 父親がギターを昔していて、兄がやりはじめてすぐやめて、僕に譲ってのめり込んだ。すべて独学で学んだ。
 はじめはテレビで流れているメロディーをアコースティックで「こうかな?」と綴ることをしていた気がする。今思うとかなり無茶をしていたと思う。アコースティックは抑えるのが難しいし、メロディーを弾くにはが音が小さくて向いていなかった。後にエレキギターをアンプに挿して音を鳴らしたときには、その手軽さに驚いたものだ。弦の音がこんなに手軽に大きく鳴るのだと。

 ピッキング仕方だったり、鳴らし方が分からない音があったから、動画で上手な人の演奏を模倣するようになった。ギター講師の人のテクニックとか、プレイヤーならエリック・クラプトン、ジミ・ヘンドリックス、ジョンメイヤー、ガスリーゴーヴァン、ジョンフルシアンテ、ジェフ・ベック、ヴァン・ヘイレン、char。彼らの弾き方を参考にした。彼らは本当に僕と同じギターで音を鳴らしているのかというくらい上手だった。彼らの演奏の1%でもいいから弾けるようになりたい。そう思うようになった。
 次第に自分の出したい音をうまく表現できるようになった。赤ん坊が新しい言語を獲得するみたいに。それはスポンジが水を吸うみたいに得て、使えば使うほど体に馴染んできた。この時から、音楽を楽しいと思うようになった。

 もう一度言うけど、僕にとってギターはおもちゃだ。だからバンド形式で演奏するのがかなり苦手だった。何かの吐き口としての音楽だったのが、どこかで我慢しないといけない音楽になるからだった。もちろん両者ともに楽しいが、音を楽しむという本来の意味として考えると、僕は一人で自由気ままに演奏するほうが好きだった。
 僕はそのことでかなり悩んだことがあった。なんとか周りに合わせて楽しむやり方を自分の体に信じ込ませようとした。それでも心の奥底にある何かは、それを拒否していた。

 ここ最近はそうした葛藤みたいなものはなくなった。おそらく心の何処かの部分が成長して大人なったんじゃないかなと思う。前よりも音楽を楽しむ見方が変わったからかもしれない。人と音を合わせるということの何処かに喜びを感じる所を見つけたからかもしれない。

 昨日はそんな僕にとって初めて100%に近い演奏ができた。技術とかミスとかダメな所があったけれど、それに対してはあまり気にしていない。やりたい音楽を、誰かと合わせて、僕自身も心の底から楽しめる演奏する。それが誰かにとって良かったと思ってくれる。それはとても素晴らしいことだった。初めて音楽しててよかったと思ったほどだ。

 再度書くけれど、僕にとってギターはおもちゃだ。素直に感情を表現できる媒体だ。いまここでnoteを書いたり、絵を描いたり(僕は描かないけど)、料理をしたりする行為とほとんど違いはない。ただギターが一番うまくそれを扱えるから、今後も続けていけたらいいなと思っている。
 音楽に対しての目標とか野望とかはないけれど、小さなスタンドで僕が座り演奏して、誰かがそれを観てくれる。誰かが「良かった」とその一言をもらえる。それが一つの小さな夢かもしれない。

 ようするにギターしててよかったなぁだ。

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