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「創世記」


#読書感想文

今更ながら、聖書通読(正確には、読む聖書アプリ使っているので、聖書音読)をしている。

キリスト教の家系に生まれたので、物心ついた時には当たり前のようにクリスチャンであった。

しかしいかんせん不勉強であり、熱心さには欠ける信仰者である。

聖書は身近であったが、正直、部分部分で御言葉を読むものであって、物語として解釈したことはなった。一応、高校の時に覚悟を決めて「一度は聖書通読を実施した」ことはある。通読したことは事実と今でも胸をはって言える。

ただ理解したかというと全く理解しておらず、ただひたすら「聖書通読をしたことがある」と主張できるためだけに意地で3か月くらいの期間で通読をした。中身は全く入ってきていない。自分の聖書の知識は、ミッション系の学校での聖書の授業が、礼拝でのお話で聞いた聖書物語がほとんどだ。聖書通読の後で、同じ「読んだ」と言いたいがために、ドストエフスキーの「罪と罰」も読んだが、同じように全く理解できていない。

高校時代は通信高校で、時間があったので意地でも読むことが出来た。あの時、もっと真面目に理解できるくらい勉強して本を読んでいたらないと思うことしかりである。

そんな中で、最近思うことがあり、また通読(正確には9割は音読)をしてみようと思い立った。

当たり前だが最初は「創世記」である。

大人になって読むと、創世記はとっても物語としても面白いことに初めて気が付く。

子供の頃聞いた物語が当たり前だが、本当に書いてあり、ストーリー性もあり面白い。

ノア・アブラハム・イサク・ヤコブ・ヨハネ等が、生き生きと描かれている。

聖書の良いところは、「聖人」だけで終わる人物はいないことだろう。誰もが人間としての弱さ・欠点が描かれている。美男美女に惹かれたり、権力欲に迷ったり、えり好み・えこひいきをしたり、今の人間関係の問題がすべて創世記に描かれているといっても過言ではないだろう。

僕の主観だが、どうしてもキリスト教は「真面目・上品・誠実」というイメージに当のクリスチャン側も縛られている気がする。誠実・優しくというイメージでなければならないという縛りが、世間からはお高く見えたり敷居が高く見えたりすると思っている。教会人口は高齢化が進むばかりである。

ただ聖書を読むと、もっと人間味のある宗教であるということがわかる。

ヤコブは兄を裏切り、父に嘘をつき、モーセは人を殺し、ダビデは人妻を奪い、息子同士は殺し合いをする。ギデオン(創世記でないが)の息子は大殺人者である。こんな人間の荒々しいことをさらけ出している宗教はそうはないと思う。

せっかく「聖書は最大のベストセラー」なのだから、もっと聖書を自由に読めるようになるといいなと思う。

まだ創世記しか終わっていないくせに偉そうだが・・・

ヨセフのエジプトに行ってからのドラマは、いろいろと考えさせられる。人間じっと我慢して与えられた場で力を発揮することが大切なのだ。

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