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大学の授業を受ける意味について

外を散歩すると、突き刺さるような澄んだ冬の空気はなくなり、綿毛を想像させるような、ふわふわとした質感のある空気が肌に触れるようになった。白梅・紅梅が所々に咲きはじめ、もうすっかり春を感じさせる陽気だ。

あと1カ月もしないうちに桜の花があちこちに咲き始め、新学期が始まる。大学の合格が決まり、あるいは合格発表を待つ人がたくさん現れる時期だ。

そんな季節なので、今回は僕なりの「大学の授業を受ける意味」について書いていこうと思う。

大学の授業を受ける意味

大学の授業は、高校及び予備校の授業のように分かりやすくはない。
大学教員は研究のプロであるが、教えるプロではないからだ。
参考書の内容をそのまま半期の授業にする場合もしばしば。教育熱心な教員の授業を探せばかなり充実したものを受けられるが、分かりやすい授業をする人は予備校講師ほど多くない。

分かりやすい授業をする教員の授業であっても、なかなか理解するのは難しいものだ。

そうすると、多くの人にはこういった考えが浮かんでくる。

「授業を受けるよりも、専門書や参考書で自習した方が良いのではないか」

至極全うである。大学の授業で扱うのは基礎的な部分で、飛び道具のようなテクニックを扱うことはほとんどない。だから、専門書や参考書で自習をした方が「分かりやすい」だろう。実際僕もそう思って、理解できそうにない授業はあまり聞かないで参考書による自習に切り替えたことがある。

たしかに、自分の理解度に関わらず、どんどん進んでいく難解な授業を聞いて眠くなるよりも、参考書や専門書で自習をした方が理解はできるし、よっぽど「分かりやすい」と思う。

しかし、この方針は僕には全然合わなかった。
分かりやすい参考書や専門書に手を出すよりも、全然理解できない授業を最後まで聞く方が良かったように思う。
大学の授業にはれっきとした役割があり、受ける価値は大いにある。これを、以下では少し書いていく。

授業は「確実に・高速で終わらせてくれる1周目」

こう捉えるとよいように思う。

授業が分からない!ならば!と、1冊の参考書に手を出して自習メインで進めるとしよう。

さて、ここで自分に一つ問いかける必要がある。

自分は今まで、1冊の参考書を最後までやり遂げたことが一度でもあったか?

受験の文脈でもいいし、趣味で買った参考書でもいい。ちょっと調子に乗って安くない値段で購入した、分厚い本でも構わない。

やり遂げたこと?数えるほどしか無い。何なら1冊あるかどうか怪しい。

途中で何かしらの邪魔が入った......それは自分のやる気が持続しなかったのかもしれないし、他に優先順位が高いものが現れたからかもしれない。あるいは半分くらい読んで、結構知識が身についた!と満足したからかもしれない。

何にせよ、自力で1冊全部読むというのは相当な体力が必要なことであり、また信用できる実現可能性ではない。

そして仮に、参考書を1冊丸々終わらせることができたとして、果たして全てを終わらせるのにどのくらいの期間がかかっただろうか?

高校の定期試験に合わせて青チャートをやったことがあるが、全部終わらせる(解いていない問題もいくらかあるが.............)のには、半年くらいを要したと思う。

比較的簡単な高校科目の参考書類であるが、1冊終わらせるためには結構な時間が要る。ましてや、難解な大学の科目ではなおさらであろう。

大学範囲の参考書を1冊一通りやるというのは、非常に大変な営みなのである。

さて、大学の授業というのは、この「一通りやる」という点で非常に有効である。大学の授業は、3カ月で入門書を1冊終わらせるようなペースで進む。とんでもないハイペースであるが、なんとか3カ月間授業に出席し続ければ、その科目はうっすらとでも「一通りやった」ことになる。しかも、3カ月間で取れる科目数というのは1科目ではない。複数科目を同時並行で「一通りやれる」のである。

高速で確実に、おまけに複数科目を同時並行的に「一通り終える」ことができる。これが大学の授業の価値である。

当然、こんなに早く進んだら理解できるわけもない。何が分からないか分からない状態で、質問しろと言われても質問のしようがないだろう。それで構わないと思う。

あくまで「一通り」さらうのが大学の授業の役割である。

だから、僕は別に理解度などどうでもよいと思っている。

残念ながら試験をパスしないと単位取得ができないので、過去問を貰って問題を暗記し、理解していなくても問題をぱぱっと解ける状態にしておく必要はあるかもしれない。それはそれとして諦めよう。

一通りさらって理解ができない点がいくつも現れる。それは仕方がないし当たり前のことである。だから試験が終わったら、もうちょっと理解したいと思った科目は参考書や専門書で「二週目」に入ればよい。

何も理解ができず、置いていかれてしまったとはいえ、曲がりなりにも「一週目」は終わっているのである。専門書や参考書が「中身が全て未知」ということにはならずに済む。

二週目で、試験や課題の提出期限に追われることなく、のんびりと理解をすればよい。二週目だから、特に興味がないと思った科目は取り組まなくてもよい(し実際取り組むことは困難)。

気楽にやるコツは、
・授業は自分の腕を引っ張りながら一周目を駆け抜けてくれるものだと思うこと。
・そしてその一周で理解できなくて当たり前だと思うこと。
・のんびりと長い期間をかけるつもりで、二週目を見据えること。

大学の授業というのは、このように捉えればよいのかな、と思う。

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