Ogen/blik Vol.3 出品者インタビュー第四回:福島諭(後編)
福島さんのインタビュー、後編です!
福島諭プロフィール
1977年新潟生まれ。IAMAS修了。作曲家。これまでコンピュータ処理と演奏者との対話的な関係によって成立する作曲作品を発表。Mimiz、gpのメンバー。濱地潤一氏との交換作曲作品《変容の対象》は現在も作曲中。G.F.G.S.LabelよりCD「室内楽2011-2015」をリリース。賞歴に第十八回文化庁メディア芸術祭「アート部門」優秀賞等。作曲を三輪眞弘氏に師事。現在日本電子音楽協会理事。
(聞き手:牛島安希子)
<電子音の音色について>
ーシンセサイザーの音色はこれ、と決めている、またはこだわりなどありますか?
今回は、一音に含まれる倍音を3つ、基音と合わせて4つにしています。
倍音列の在り方を19平均律のグリッド内で行っていて、それによって音色の個性が変わるのが面白いなーとは思っています。
ーそこで音色も決まるわけですね。
そうそう。そうです。音色の個性が倍音列に拠るのは頭で分かってはいても、実際に組んで見るといろいろな表情が出て決められません(笑)
ー他に生楽器に馴染む音とか、ホワイトノイズは使わない、などのポリシーはあるんですか?
いえ、ホワイトノイズは馴染むんですよ。薄ーくフェードインさせると気持ち良かったりします。
ー今回ホワイトノイズは使われてましたか?
いえ、使っていません。風がテーマですからできるだけ遠くに、失われた部分からスタートする必要があると考えて、使いませんでした。
ー失われた部分と申しますと、"不在の中に宿るもの"のことですか?
ははは、、そうです。ホワイトノイズは扱い方によっては、風をすぐに想起させますよね。ですから、1音色に4つのサイン波が入っている音を19音。それのみで風を意識させる方法はないか、、というのが今回の個人的な裏テーマというか。76音のサイン波であれば、その可能性はあり得るとも思いつつ、今回の初演はそこまで行けてないと思うんです。冒頭は静止、中間部の尺八は何かしら人間からの意識の風、それが終盤の19平均律の電子音に影響を及ぼすというのが構造的な意図なんですけどね。
ー尺八とホワイトノイズは相性が良さそうですが、敢えて避けたわけですね、その良さがあったと思います。
尺八の特徴的な「ムラ息」の音色にはホワイトノイズが多く含まれているとも言えます。それをリアルタイムにサンプリングし、拡張的に変換すればホワイトノイズ的な音響に近づけます。そういった方向性は見えているのですが、、ブラッシュアップに時間をかけたいと思っています。
ーブラッシュアップも楽しみですね。
普段は使用する電子音の音色に関して、何かポリシーはありますか。
電子音だけの曲はあまり多くはなく、たぶん聴いてくださっている多くの音は何らかの楽器の音を加工した音が多いと思います。近年はフェーズボコーダの技術を重要な位置に置いています。僕(の世代)はテープレコーダーの物理的なピッチと再生速度の関係(必然)に失望を感じてきたので特に、ピッチと再生速度を別々にコントロールできるデジタル技術には憧れが強かったのかもしれません。
ー速度を変えても、ピッチが変わらない技術のことですよね。
そうです。
一つ前にはグラニュラーシンセシスというのもあったのですが、あれはゆっくりにすると別物の質感になってしまうので、そのままの質感で延ばすには限界があって。
vimeoのこのシリーズは全部ギターなどの音を伸張させたりして再構成しています。
ー全てギターの音ですか?
そうですね、音に飛谷謙介と濱地潤一の名前がクレジットされているものはgpというプロジェクトの一貫でやっているものでもあり、gpは全部ギターの音で作られる音響を目指しています。
ーいいですね。これらの音響は全てmaxで生成しているのですか?
そうです、あ、でも映像はopenFrameworksというプログラミング言語です。音はmaxです。中には古い電子オルガンの音を素材に使っている物もありますが、これはまたRGBの画像についての別の興味から進めてきた習作群です。
ー電子オルガンのポルタメントはどのように行なっているのですか?
電子オルガンのポルタメントはmaxで後付けです。
電子オルガンの音も一度録音してそれをフェーズボコーダーに通して処理しているんです。この時はポルタメントを実装したばかりで使ったという感じですね。
これはアナログシンセと電子オルガンとギター。
ー 一度フェーズボコーダーを通しても、古いオルガンらしさというのは失われないんですね。
そうそう、そこがフェーズボコーダの凄いところですね。これのおかげで僕の作品は広がりました。
ーいいですよ。これ。
福島さんの作品は基本、楽器の音以外はsine波がメインなのですね。
極端ですが、今はそうなっています。サイン波だけでもまだ可能性が多くある気がしていて、そこまでで先に行けてない気がするのですが、最近の興味はもう少しこの頃より変わってきていて、音色の個性に対してアプローチしたいなという気持ちが強くなっています。
ー例えばどのようなアプローチでしょうか。
もともとテクノが好きだったので、こういうのは本当は作りたいんですけどね。こういうのは逆に発表の機会はないですね。
こういうのは僕なりに聴き手に向けた範囲の音楽ということになるんですけど、旋律の周期がズレるようになっていて、でも基本ビートはそのままで。
音色はFM合成を使っています。なので、サイン波だけでは出せない広い周波数も出せるという。
ーいいですね。こういうものも集めて音源化したら良いのではないでしょうか。
ははは、ありがとうございます。でももっと上手い人はいます。
G.F.G.S.のレーベルが近くそんな主旨のものを出したいと言ってはいるので。調整中です。
<インスタレーション作品について>
ーそれは楽しみですね。ちょっと話を過去に戻しますが、IAMASを選択した理由の一つに、スタジオ・アッズーロの個展でインスタレーション作品を観たことがきっかけだったとのことですが、そのお話を聞かせていただけますか。
新潟大学の学生時代に作曲家の清水研作先生からソフトウエアMax/msp(現在のMax)を紹介いただいて、MIDI信号がリアルタイムに操作できることにとても衝撃を受けました。それまではシーケンサーでMIDIを打ち込んで固定して行くことが主流でしたから、固定された作品ではなくて、何かその場で音の関係が築かれていくような生成的な音楽の可能性を強く感じたのを覚えています。ではどうすれば良いのか、という部分は今よりもまだかなり漠然としていましたが、それでも自分はこれからはコレ(リアルタイム処理)を突き詰めるべきだとも感じていました。
同じ頃、新津市美術館(現在の新潟市新津美術館)でスタジオ・アッズーロの個展が開かれていました。その頃はインタラクティブ・アートなどと呼ばれていた表現ですが、西洋の絵画的な美学と鑑賞者を巻き込んだインタラクティブな装置とのバランスに魅せられました。こういうものを本格的に学ぶには海外しかないのかな、、なんて思っていたときにIAMASが大学院大学をはじめるという情報を知り、ちょうど大学卒業の頃だったので何も分からないままですがエントリーしました。
初年はたぶん書類審査で落ちましたが、新潟大学の研究生として籍を置きながら丸一年Max/mspを独習しました。贅沢ですよね。IAMASには運良く翌年大学院の2期生として入学できて、そこで知り合った同期とは今も強く繋がっています。
ずっと独りでやってきて、凄く惹かれながらも何処か日常にそぐわないと後ろめたさすら感じていた作曲行為を公に真っ正面から考えて良いんだよ、と言われている気がしました。
ー作曲行為が日常にそぐわないことに後ろめたさを感じるということ、自分もありましたね。IAMASでそれが解消されたんですね。先日の作品でも映像を作られていましたが、例えばインスタレーションなど、IAMASに入るきっかけになったスタジオ・アッズーロという原点を意識されることなどあるのでしょうか。
あれには実は後日談があって、インスタレーション制作に興味を頂きながら入学したIAMASで、担当教官にインスタレーションに今後の未来はないよ、というような主旨の話をされまして。(笑)
ーそれはショックですね。
まぁ今では笑い話ですが、あぁそういう見方もあるのかと妙に納得して、まずは音楽を深めようと決めました。IAMAS内の当時スタジオ2(映像・音楽)では時間軸でしっかり構成された編集/作曲を目指すという姿勢が強く見られました。これは、見るものの意志に合わせて形態を変えるようなインスタレーション(時間軸がない)表現とは違いがあります。少なくとも入り口において、大きく決定的な違いがあるわけです。また、当時はインスタレーションがひとつのトレンドになっていて、メディアアートの未来はインスタレーションにしか見いだせないような所も一方であったのですが、スタジオ2の教官達にとってはそういったトレンドは浮ついたバブルに見えていたのかもしれません。
ーインスタレーション作品には、まだ色々な可能性があると感じているのですが・・。
インスタレーションと一言で言ってもその範囲はとても広いと思いますが、技術だけではなく、きちんとした美学を提示できている作品であれば芸術としての価値は持ち得るとは思います。
ー福島さんにとって作曲という行為はどのようなものですか。
あるインタビューで、“機能和声は人の心にどう作用するのかという観点が強すぎる”、 “一般的な機能和声のやり方にとらわれない作曲方法で曲全体を構成したい” という言葉がありましたが、それはどのような考えが元になっているのでしょうか。
ここまで答えてきて何となく自分でも意識したのですが、もともと僕にとって作曲は自分自身の鏡というか自己の内省ための手段だったのだと思います。ムーブメントや他人を意識せず、何かの思想のカウンターでも無く、自分にとっての素朴な課題を自分で見つけてただただ作り続けていくものでした。その地点での作曲は何年も続きましたが、やがて特にIAMAS在籍の頃からそういう感覚は薄くなっていった気もします。作品を他者に提示することや、その意味を言語化することの価値を教わりました。そのことで作品の在り方がもうひとつ次の段階に向かったのだと思います。少し分かりにくいかもしれませんが、もっと作品自体が僕自身とは関係の無い領域で自立すべきだと思っています。
世の中にはあらゆる音や色彩が溢れていて、それはたぶん人のいない場所でも同様に風は吹き花は咲いているようなものでそれは普通の事です。勿論世の中の対象から何らかの意味を読み取る主体は人間ですが、僕が常に求めてきたのは一瞬の変化の中に宿る美しさをどう捉えるかという事です。コンピュータ音楽にリアルタイム処理を持ち込むのは室内楽の拡張という意味もありますが、厳密に言えばそこで拡張されるのは奏者のほんのわずかな間合いや息づかいです。スピーカから発音されるはそれ自体既に死んでいる音だとも感じますが、それにどれだけ現在性を潜ませることができるのかということが本質的な課題です。
ー現在性は、演奏家の生きている身体から発せられるもの、身体性とも言えますか。
ここでの「現在性について」は身体性から拡張された何かかもしれないと思います。身体性はまさしく現在性を持ちますが、特にコンピュータを使った表現ではそれを抑止する事無く、上手く流して上げる機構が必要だと考えています。奏者と内的なフィードバック構造が作れるとき、つまりシステムと身体が(内的に)共鳴するような状態が理想ではないかと考えています。
ー"上手く流す"というのは、音楽的句読点を打つという意味合いはありますか。
血行が良くなるとき、血流が良くなる、血の巡りが良くなるとか言いますが、そのような意味での「上手く流れる」です。比喩ですが。
システムの処理の中で音の対話をするときには、かなりの確率で現れる領域です。
ーサンプリングされた音と演奏家がアンサンブルをして、音楽的に拡張が見られる瞬間ですね。
ある時期、ゲーテ著「ゲーテ形態学論集・植物編」(ちくま学芸文庫)やシュレーディンガー著「生命とは何か」(岩波文庫)、清水博著「生命を捉えなおす」(中公新書)などを読んでいると、それら全ての主語を音楽にしても当てはまるように感じられることがありました。音楽はもっと多様であっても良いような気がしていますし、多様であるためには(極論だとしても)「人のためではない」音楽というものを想像してみる必要は常にあると思っています。勿論これは、何も起こらないものを作ろうという話ではありません、必然性を持った構造体に対しては人も敏感に反応を示します。変化自体に宿る美しさを考える場合には、機能和声だけに答えがあるとは思えないのです。
ー中世の時代にも「宇宙の音楽」がありましたよね。
「宇宙の音楽」については確かに人が世界の、宇宙の秩序を理解するためのものとして音楽をそのように位置づけることはある程度の共感は持ちますが、もっとささやかな物でも良いかもしれないとは個人的に思っています。音の秩序が生まれれば、人はそこに秩序を感じる力は備わっていると思いますから、何も感覚にアプローチする物だけが音楽だとも思いたくもない訳です。
2013年の《patrinia yellow》for clarinet and computerは実は基になる和音はひとつしかありません。それを簡単な幾何学的な転回のみで8つの響きの連続に広げています。とてもシンプルな構造ですが、リアルタイム処理を前提にした室内楽として作品を作曲するためには、時間自体のコンポジションを前提にしたそれなりに入り組んだ考え方が必要になります。これはもともと機能和声を前提には作っていない例ですが、オクターブを12音に分けた一般的な律に準じていますし機能的な要素とも接点を持ち得た好例だと考えています。
画像:福島諭作曲『patrinia yellow』(2013)から
ー音楽を生命体と捉える感覚は、個人的に共感します。西洋芸術音楽では言語化されていない感覚なのではないでしょうか。ライブエレクトロニクスで時間軸を形成するとなると、即興的なもの、ゲームやルールに則っていくものなどが思い浮かびますが、福島さんはそうではない、独自の道を進んでおられますよね。今後も、ご活躍を期待しております。今月に作品発表が新潟であるとのことですね。
8月21日(水)に再演(あるいは改訂初演)の機会が新潟市民芸術文化会館であるのでその頃にはもう一歩新たな発見が出来ていることを願っています。
この度は貴重な機会をありがとうございました。
画像:第22回 日本電子音楽協会定期演奏会フライヤー
ーこちらこそ、ありがとうございました!
・聞き手 プロフィール
牛島安希子
作曲家。愛知県立芸術大学大学院音楽研究科作曲専攻修了。ハーグ王立音楽院作曲専攻修士課程修了。室内楽作品、エレクトロアコースティック作品の制作や映像とのコラボレーションを行っている。作品はノヴェンバーミュージックフェスティバル(オランダ)、アルスムジカ音楽祭(ベルギー)など世界各地で演奏されている。第六回JFC作曲賞入選。ICMC 2013,2014 入選。MUSICA NOVA 2014入選。名古屋芸術大学非常勤講師。日本作曲家協議会、先端芸術音楽創作学会会員。https://akikoushijima.space
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