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三十路おんな。ふたりの武者修行。

慌ただしく過ぎた金曜日の夕暮れどき。珍しく3時間も放置していたスマホに1件のLINEが入っていた。
「ねーさん、今日時間あるかしら?」8,000km離れたドバイで暮らす友人、リエだった。高校を卒業してから仲が深まり、彼女が就職とともに日本を離れた今でも、数ヶ月に一度はこうして連絡をとりあっている。数少ない友人の一人だ。

せっかくなら夕食もお風呂もすませてゆっくり話したい。「21時くらいからどう?」いまだにドバイとの時差を覚えられず、不親切に日本時間で返信すると「大丈夫」と快いひとことが返ってきた。一休みしてから作るか、と思っていたが夜釣りにでかける主人にせかされ、重たい体に鞭打ってかんたんな夕食を作った。

「なんか、30歳の焦りを感じるんだよね。」お互いの近状報告を終えたころ、リエからこぼれ落ちた言葉に深くうなずいた。彼女と同じく、わたしも仕事において岐路に立っている。人材広告、人事を経て主人の転勤にともない退職。田舎にこれまでの経験を活かせる仕事はなく、諦めかけていたところ、元上司のはからいでリモートでの人事採用職にありつくことができた。

しかし5年後、10年後も同じ仕事ができているのだろうか。ご縁に導かれるように仕事に就くことができたが、たまたまにすぎない。元上司のひと声がなければ今ごろ何をして過ごしているのだろう。想像もつかない。

運良く人事経験があって、採用広報として書く仕事もしているけれど、プロのライターとはいえない。お客さまに納品している時点でプロだといわなければならないが、技量の未熟さに、またどこかハードルを下げたい一心でライターという言葉を避けてきたのだった。

「30歳って、あなた何ができるの?って目で見られるよね。」CAって潰しが効かないとわかっていたけれど、今になって痛感してると彼女はいった。ふだん面接官として、たしかにそういう目で応募者一人ひとりを見ている。でもいつも思う。自分はいったい何ができるのだろうか。何をできると言いたいのだろうか、と。

消去法ではななく、自ら望むキャリアを選択するために。書ける人事として5年後も生き残るため、こうしてnoteを書き始めた。人事が本業でライティングはアマチュアだから許してね、なんてぬるい気持ちに蓋をする。

子供ができれば一旦は前線から身を引かなければならない。もしそれが来月だとしたら?猶予は1年しかない。10年先は想像もつかないけれど、まずは5年先まで生き残ることに集中する。

先の見えない不安に押し潰されていた20代とは違い、30歳ともなると見て見ぬふりを覚える。そうして精神を保ちながら、リエもわたしも未来を切り開くため前に進む。女ふたり、まるで三十路の武者修行でもしているようだ。

この修行はいつまでつづくのだろう。いつまで続けられるのだろう。不安定な足もとを憂うふたりだが、いつかこの記事を読み返しながら「なんて贅沢な時間を過ごしていたのだろう。」と、思う日がきっと来る。遠い未来かもしれないし、近い未来かもしれない。けれど先は見て見ぬふりをして、今日に向きあう。

「じゃあ、次は淡路島で。」カタールにいても、ドバイにいても、待ち合わせ場所はいつも地元淡路島。年に一度決まって顔を合わせている。次はどんな再会になるのだろう。田舎には似合わない、その誰もが振り向くような屈託のない彼女の笑顔をわたしは待ち望んでいる。

午前0時、覚醒した脳を休めるため、メラトニンを摂りにキッチンに向かうと、仮眠から目覚めた主人がいた。まだ眠そうなしょぼしょぼした目をしているが、これからイカ釣りにでかけるそうだ。「いってらっしゃい」と「おやすみ」が交差してようやく金曜日の幕が下りた。この人がいるから、わたしは自由に悩み、自由に書ける。事故に合いませんようにと、祈りながら眠りについた。


身体弱ヨワ系のみなさんの、お力になれますように。