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憧れの「シェ・パニース」を訪れて号泣した話

シェ・パニースのことを書くまでに時間がかかった。なぜなら、いろいろあったから。

カリフォルニア州バークレーにあるフレンチ料理店「シェ・パニース」のオーナー、アリス・ウォータースは、オーガニックやスローフードを地域に根付かせ、世界に発信し続けている人だ。

私が彼女を初めて知ったのは、彼女の著書『スローフード宣言 食べることは生きること』(原題:WE ARE WHAT WE EAT)を読んだとき。ちょうど自分も暮らしに目が向き、農園や自然豊かな場所に通うようになったころで、アリスの一言一句に共鳴した。

『スローフード宣言 食べることは生きること』
著:アリス・ウォータース、ボブ・キャロウ、クリスティーナ・ミューラー
訳:小野寺愛
海士の風(2022)

だから、シェ・パニースは私にとって憧れのレストランで、人生で一度は行きたい場所だった。そしてその願いがいつの間にか縁となり、気づけばカリフォルニアめがけて航空券を取っていた。

シェ・パニースの外観

シェ・パニースは1階がレストラン、2階がカフェになっている。せっかくならどっちも味わいたいと、時差を間違えないよう何度も確認して、ランチとディナーを予約した。

初めてシェ・パニースの前を訪れたときは、そのアットホームさに驚いた。ちょっとしたログハウスみたいな感じで、普通に街なかに建っている。

店に入ってみれば、フロアの人もキッチンの人もみんな朗らかで、ワイルドフラワーやディスプレイ野菜が目と鼻を癒し、親戚の家に来たみたいな安らぎがあった。

入口に飾られたワイルドフラワー
その日の食材が見えるように飾られている

料理はもちろん、旬の食材が生き生きと彩り、つくっている人の姿をすぐそばで見られて、ひとつひとつに真心を感じた。せっかくならその想いを伝えたいと、料理人の方へのインタビューもセッティングして、ラジオで届けることもできた。

カフェのピザ釜
薪で肉を焼く

すべてが贅沢で、かけがえのない経験だったと思う。ただ、その夜、私のコンディションだけが悪かった…!!!

要因はいろいろ重なってのことだけど、私のなかで張りつめていたものがあり、私はずっと楽しみにしていたその食事を、実は心の底から楽しむことができなかった(もちろん料理や空間は本当に素晴らしかった)。

そのことが悔しすぎて、食事を終えて部屋に戻った瞬間、号泣。そんなことは普段全くないのだけど、涙が止まらなくなってしまった。

この経験はある意味、ターニングポイントになったのかもしれない。どんなに素晴らしい理念、空間、食材、調理法があっても、最後に「美味しさ」を感じるのは、ほかの誰でもない私なのだ。私が心地好い状態でいること、その大切さを痛感した。

シェ・パニース屋上からの景色。屋上では養蜂もしている。

私は食いしん坊だ。三度の飯は譲りたくないし、人生であと何回食事ができるか数えてみたこともある(忘れたけど)。 心の底から美味しいと思える食事を、素敵な場所や素敵な人たちと重ねていきたいし、それをちゃんと味わうことのできる自分でいたい。

だから、心身ともに健康第一!そして、いつかまた、シェ・パニースへいこう。

ランチのキャロットスープ
ランチのラビオリ
ランチのアイスクリーム

余談だけど、適切な値段ってなんだろう?ってことも考えた。シェ・パニースは食の生産者をとても大切にしていて、地域のオーガニック食材を直接買い取っている。そして店で働く人たちにも、心地よく続けられる賃金を払っている。

だから、食事は決して安くない。私が行ったときはカフェのランチで13000円、レストランのディナーで45000円くらいだった!円安だったのもあるけど、さすがに構えてしまう!でも農家さんや働く人の生活を守るには、それくらいかかるということなのか。

ディナーのローストサーモンサラダ
ディナーのリコッタニョッキ
ディナーのポークと、豆やほうれん草のソテー

シェ・パニースはとてもフラットで開けた空気だけど、誰でも行ける店ではない。すぐ向かいにあるスーパーでは、1日中物乞いをする人が立っていたりする。

バークレーの街自体、かなりハイソでクリーンな空気だけど、ちょっと隣町へ行けばゴミがあふれ、路上生活者もたくさんいる。

なんだかそんな、あからさまな分断も目に見えて、もやもやしていた。そのなかでふと思い出したのが、私がいつも味わっている鹿児島県阿久根市の食だった。

いつかの阿久根ディナー
いつかの阿久根ディナー

仲の良い農家さんや友人たちと集まって、言うまでもなく「farm(ocean) to table」で、顔が見えすぎるほど見える食卓。地域の旬の食材にひと工夫した料理は、心に沁みる美味しさ。

そういえば全部すぐそばにあったんだ!!!と思い出して、改めて感謝の気持ちが湧いてきた。私にアリス・ウォータースの本を渡してくれたのも阿久根の人なので、もう、すべてが循環してつながった。

いつかの阿久根ディナー

阿久根の食事は、いつもそこにしかない贅沢さがあるなと思うけど、決して値段は張らない。たまに「謙虚すぎるよ!」と思うくらい。

でもその価格も含めた食のあり方は、分け隔てないし、東京やアメリカほど暮らしにお金がかからない、良い意味での「小ささ」があるからこそ成り立つものでもある。

あらゆるものが膨らみ、加速している世の中で、「小さく遅く」していくことが必要だと感じた。私はいつまで東京にいるんだろうか。

凪の海

(参考↓)

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