【書籍・資料・文献】『ラブホテル進化論』(文春新書)金益見

福島復興とラブホテル

 3.11東日本大震災は、いまだ多くの爪痕を残している。なによりも翌日に起きた福島第一原発事故は、福島県中通りを一変させた。中通りの大半の土地は避難区域に指定。住民たちの多くは家を追われることになる。中通りの沿岸には集落がいくつも存在し、それらの家々は津波によって破壊された。原発事故がなくても、それまでのような生活は送ることは難しかった。原発事故は立ち入り禁止という事態を引き起こす。生活再建を遠のく。

 未曾有の原発事故は、いまだ収束したとは言い難い。なにより、多くの住民が帰還を果たせていない。それでも時が経ち、福島の復興は進められてきた。土地の復興は家屋の建て直し、生活基盤の再建から始まる。

 主要鉄道路線でもある常磐線も、そのひとつだろう。常磐線の線路は津波によって流出した。その復旧は早くから進められた。また、線路が流出しなかった区間でも避難区域に指定されたことから、常磐線は寸断を余儀なくされた。現在、常磐線は仙台方面から南下、平駅方面から北上という2方向から復旧が進んでいる。

 頻繁にと言えるほどの頻度ではないものの、東日本大震災の発災から繰り返し被災地には足を運んできた。福島中通りには常磐線で行ったこともあるし、レンタカーで走ったこともある。東京から福島中通りを抜けて仙台に至る国道6号線は、放射線量が高いとの理由から以前は途中で通行止めになっていた。そのため、東京から国道6号線を通って仙台まで北上することができなかった。

 通行止めになっている国道6号線

 その後、除染が進んだとの理由で国道6号線は通行できるようになる。それでも、脇道に逸れることは許さない。脇道は、まだ線量が高く、避難区域になるからだ。国道6号線と並走するように常磐線は敷設されているが、桜とツツジで有名な夜ノ森駅は正面側には入れず、辛うじて避難区域外だった駅の背後に回って、その様子を眺めたりもした。

 福島県中通りには、復興に従事するたくさんの作業員、東電関係者および下請け企業の人たちが集まるようになる。もともと、いわき市の中心部である平駅前や温泉街としてにぎわう湯本駅といった一部のエリアを除けば、中通りにビジネスユースの宿泊施設は多くない。

 復興に従事する作業員、東電関係者や下請け企業の人たちにより、中通りにはビジネス関係の宿泊需要が急増した。それらをビジネスユースの受け皿になったのが、ラブホテルだった。国道から脇道を入ったところにいくつかラブホテルがあり、それらは震災後に商売にならないからとラブホテルからビジネスホテルへと業態転換した。

 とはいえ、ラブホテル経営者も被災者だから、大幅な施設改修を施せるほどの資金はない。看板の上に張り紙をしているぐらいの改修で、見た目はラブホテルそのものだった。取材で中通りに足を運んだ折、そんなラブホテルから業態転換したビジネスホテルに宿泊する。ホテル入り口のゲートも、駐車場はラブホテルそのままだった。

 室内に足を踏み入れると、そこはラブホテル特有の妖艶さが漂い、意匠は独特のけばけばしさを放っていた。寝所はダブルベッドだから広くて快適だった。浴室はラブホテル仕様そのままだが、特に困ることはなかった。

 こうしたラブホテルから業態転換したビジネスホテルに宿泊するのは中通りの復興に従事する工事関係者や東電関係者ばかりではない。チェックアウト前に食堂で朝食を取っていたら、一時的に帰郷しているという高齢女性と席が同じになった。特段、私から話を振ることはなかったが、ホテルの従業員さんが地元出身の人だったこともあって、高齢女性は故郷の思い出話や避難先での苦労話を溢れるように語った。

 その横で、私はごはんを口に運びながら高齢女性の話に耳を傾けていた。復興が進んだと言っても、まだ自宅で寝泊まりが叶わず、ホテルに宿泊してでも故郷を気にかける人だちがいる。これはまだ一年前の話だ。

 ラブホテルという響きには、少なからず怪しげな響きがある。しかし、ラブホテルが福島の復興を陰で支えているという事実もある。彼ら彼女ら、家に戻れるようになるのは、あとどのぐらいの歳月を必要とするのか?

偽装ラブホと渋谷

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