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恋愛小説、書けません。/Lesson28:「恋愛小説、書けます!」

 風邪は忘却の彼方へ。耀介はダークグリーンのスーツを身に纏い文華社へ向かう。
 使い込んだ皮の鞄には、ちゃんと出来上がったプロットが入っていた。

 あれから耀介は巻き返すが如く、恋愛小説に取り組んだ。女性心理も男性心理も、結局は「同じところに行き着く」部分があると実感したからこそ、もう迷うことはなかった。
 大切なものがそばにあるからこそ、耀介は「書くこと」を捨てずにいられた。

「どうでしょうか」
 いつでも、この瞬間が緊張する。プロット――耀介の場合はほぼ完成形に近いもの――を木下に読んで貰う為に文華社を訪れた耀介。毎度お馴染みの第二応接室に二人は向かい合って座っている。

「この短期間で……」
 そう言って、木下は涙を流していた。
 え、俺は何か問題のある事を書いてしまったのだろうか? と耀介が何か言おうか言わないかで悩んでいると
「流石は伊田滝登だ。久し振りに家内に優しくしたいと思えたな……」
 木下の一言は、温かいものだった。
「それじゃあ……」
 ここで耀介が少しばかり笑顔になると、それ以上の笑顔で木下が答える。
「これで行こうじゃないか! 菅原くん、良く乗り越えたな」
「いえ……きっと僕自身がずっと気付いていなかっただけで、本当はその壁を越えることが怖かっただけなんだと思います。それを気付かせてくれたのが……家族や友人と……その」
 ここで耀介が言葉を止めると、木下は微笑みながら
「君の大切な人、なんだろうね」
 と言われてしまった。
 耀介は顔を真っ赤にして俯く。

 絢乃との一件、父親から聞かされた「父と母の恋の話」、池本の結婚や兄の婚約……数え上げたらきりがない。しかし耀介の心に芽生えたそれは、言葉となり、文章となり、一冊の本となる。書き上げるまでに時間はかからなかった。
 人は何故恋をするのか、そして結婚をするのか。
 彷徨う中で見つけたものは、大切な存在。唯一無二の存在。恋や結婚を超えた「本当に大切なもの」。

 主人公に芽生えたものは「きもち」。耀介がつけた恋愛小説のタイトルだった。

「菅原くんの恋愛話を是非聞いてみたいなあ」
 プロットを無事受け取れたせいか、呑気な口調で木下がコーヒーを飲みながら耀介に話題を振る。
「いえ、語れるようなものではないので……」
「じゃあ……一つだけ訊くよ。可愛いかい?」
 まるで耀介を茶化すかのように木下が尋ねると、耀介は黙って首を縦に振る。
「顔が真っ赤だよ、菅原くん!」
「木下さん……勘弁して下さい……」
 その後も男二人、まるで高校生のような会話が応接室で続いた。

「菅原さーん!」
「高見さん、お疲れ様です」
「具合、いかがですか?」
「お陰様で全快です。ご迷惑お掛けしました」
「いえ、それは大丈夫ですから! あ、さっき木下編集長から聞きました。良かったですね!」
 『恋愛小説が書けた』と言わない辺りが、高見らしい。そして耀介は高見に対し礼を述べる。
「高見さんのお陰もあります。有難うございました」
 丁寧にお辞儀をするので、社員達が不思議そうに二人を眺める。
「ちょ、ちょっと菅原さん!? 頭上げて下さい! 私何もしていませんよ!」
「いえ……貴女のお言葉も必要だったのです。是非……」
 出版されたら読んで下さい、とは言えなかったが、高見にその言葉は通じているようで「はい。楽しみにしています」と笑顔を見せてくれた。
 高見の話も参考になった。どうして「結婚」を選ばないのか、その女性の気持ちは彼女から教えて貰ったものだ。女性心理が掴めなかった時に興味深い話を提供してくれた高見に対して、耀介は心から感謝していた。
「ただ、高見さんが『こんなのじゃない!』と思ったなら、ご意見下さい。次回に生かします」
「そんな事言いませんよ。私、菅原さんのファンですから!」
 あくまでも「業者」と「社員」としての、少しばかりミーハーがかった小芝居で二人が笑い合っていた。

 そして時が流れ、ある春の日。大型書店の新書コーナーに「伊田滝登」の新作が沢山平積みされていた。
 手作り感溢れるPOPには『青木賞作家、初の恋愛小説! 今、あなたは恋愛をしていますか?』と問い掛ける文字。その光景を仕事帰りの絢乃が微笑んで見つめていた。

『僕はこの両親から産まれた事に感謝します。そうでなければきっと僕は貴女と出逢えていなかった……――。一番身近な男女の愛に触れた主人公の大切な人。伊田滝登の繊細さが文面から伝わってくる、胸が締め付けられるほど溢れんばかりの「きもち」が詰まった恋愛小説です』

 耀介が書きたいと思ったもの。自由に書いたもの。きっとその思いは世間から認められるよと、心の中で呟く。
「これ下さい」
 絢乃は一冊、若葉色に装丁そうていされているその本を購入した。

「何お前買っているんだ! 在庫なんて沢山あるのに……」
 耀介の自宅に寄って「買ったよ」と絢乃が耀介の本を見せた後、即座に言われた言葉だった。しかも怒っているのが非常に珍しい。絢乃は少し身構えつつ、反論する。
「何で怒るの!? だって読みたいから買ったんだもん!」
「だから金が勿体無いだろう? 俺が……」
「耀介に貰ったものは、大切過ぎて読むことには適さないの」
「……何を言ってるんだ?」
「鈍感」
「それは潔く認めよう。でも余り良く理解出来ていない」
「だからー!! 大切な人から貰ったものをボロボロにしちゃうのは嫌なの!」
「そういうものなのか……」
 ここでまた耀介が考え込む。絢乃の言葉に対して一つ一つ考えようとする姿勢は嬉しいのだが、流石に連続すると苛々してくるものである。
「その考える癖は私が帰ってからにして!!」

 耀介は出版記念パーティや取材などの日々、絢乃は年度末ということで仕事が立て込み、付き合い始めの割にすれ違いの生活を送っていた。これはお互いに分かっていたことだったので、とにかく目の前の仕事に集中するようにしていた。

 少しだけ違うのは、あの「出会い系サイト」で大騒ぎした時に作ったフリーメールから送られてくる耀介のメールだ。基本的に耀介はスマートフォンからのメッセージよりは、パソコンで打ち込む方が楽なようで、以前のような味気ないものではなくなっていた。
 絢乃は仕事の休憩時間にこっそりとこのメールを覗き込むのが日常になりつつある。絢乃は仕事で疲れていても、耀介からの「魔法の言葉」のようなメールで張り切って仕事が出来ていた。

 『絢乃へ
  仕事ご苦労様。疲れてないか? 俺はあと数社程取材が入っているが、またいつものペースに戻りつつある。やはり何時まで経っても慣れたものじゃないな。
  見世物になるのは本当に懲り懲りだ。

  明日は休みだと聞いていたので、今回の小説に対して報酬を払う。
  18時に俺の最寄駅の前で待っている。明日は暖かいらしい。天気予報で言っていた。
  出来れば以前見せて貰った女性誌に載っているようなワンピースなどが良い。
  旨いイタリアンの店がある。少し格式が高い所だから、綺麗にめかし込んでくれると嬉しい。
  勿論俺も手抜きをしないつもりでいる。
  コース料理を予約する予定だが、お前なら多分平らげられる量だ。
  デザートは恐らくシェフから説明もあるだろうから、その時に。
  尚、OKの場合は携帯にその旨を連絡してくれ。仕事が忙しいだろうから一言でいい。
  返事、待っている。 耀介』

 即座に絢乃は携帯で「OK」と入力し、送信する。
 絢乃は「篠塚さん、今日何だか綺麗じゃない?」という同期の言葉に「そうかな?」とにこやかに返答していた。

 その日はとても暖かで、絢乃はベージュのスプリングコートに、春らしいラベンダー色のシフォンワンピースを着て駅に現れた。耀介も冬物ではなく春物のダークブラウンのスーツに、こちらも春色のパープルのストライプネクタイ。
 少しばかりチョイスした色が被っているようで、お互いの服装を見た時に微笑み合った。
 二人が付き合い始めてから記念すべき、初デートだ。
「お待たせ!」
「……見違えるな」
「それ、普段がすっごく悪いみたいな言い方ね?」
「いや、違う。普段も綺麗だ。でも今日はもっと綺麗だ」
 いつからこんな言葉が言えるようになったのか、いや違う。きっと匙加減を分かっていないのだ、この幼馴染はと絢乃は思う。
「アンタ、それキザ過ぎる……」
「そうか? そう思ったから言っただけなんだが……」
「だから、考え込むのは一人でして下さい」
 道中、この鈍感かつ恋愛初心者の男に色々とレクチャーをする。
「恋人は腕を組んで歩くんです」
「それは悪かった」
 耀介の腕に、絢乃は遠慮なく自分の腕を絡める。しかし何処かぎこちない。
「あとは歩道側に女性を歩かせるようにするんです」
「じゃあチェンジしよう」
 慣れていない耀介をリードするのは絢乃。遠回りで得られた「きもち」だったが、今まで付き合っていた人へ心の中で感謝する。そうでなければ絢乃も何をしていいのか分からなかったはずだ。

「美味しい!」
「隠れ家的で、時々一人で来てたからな……とっておきの場所だ」
 ひっそりと佇む店はテーブル数は少ないものの、満席だった。客層は耀介達よりも少しばかり年上の層が多い。
「絢乃以外には教えない。あ、でもおばさんには教えたいかな……」
「それはいいアイディアじゃない。耀介はお母さんのこと凄く大切にしてるんだし」
「じゃあ今度は三人で来よう」
 耀介が白ワインの入ったワイングラスを見つめながら、優しく微笑む。その微笑みは、絢乃が心を震わせてしまう程。
「楽しみだね」
 その言葉に耀介が絢乃に尋ねる。
「絢乃」
「何?」
「本当に、俺なんかでいいのか?」
「耀介がいいの」
「そうか……」
 そこで耀介がフォークの動きを止め考え込み、沈黙が訪れる。また考えちゃってる……と思いながらも、沈黙を不安に感じた絢乃が口を開く。
「どうしたの……?」
 暫くじっと考えて、耀介は視線を絢乃と合わせる。
「いや、絢乃が絢乃で良かったと思っていただけだ」
「何それ?」
 目の前の幼馴染と「きもち」を通わせる事が出来る幸せは、やはり一人では味わえない。

「あのさ」
「何だ?」
 食後のデザートが運ばれて来た時、絢乃が淡々と話し始めた。
「耀介は気付いてなかったかもしれないけど、私はずっと耀介を見てて……。でも私はこんな性格だからさ、耀介にとって『ただの幼馴染』でしかないと思ってた。だから、驚いた。今こうして二人でいるのも信じられない」
 照れながら話すなよ、こっちまで照れるだろうという言葉を飲み込み、少しだけ意地悪な物言いをする。
「じゃあ、おばさん直伝の雑炊に感謝しろ。あと俺の風邪にも」
「何でそうなるの!? それは私に感謝するべきでしょう?」
「そうとも言う」
「どっちよ!」
 今までと何も変わらない会話だが、変わらないからこそ一緒にいられるのだろう。耀介も絢乃も口には出さないが、互いにそう感じる夜だった。


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