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恋愛小説、書けません。/Lesson19:「父と母」

 ささやかながらも、父親の誕生日祝いは盛り上がった。仕上がった侑介が和室で眠っている。

「親父……ちょっと話があるのだが、大丈夫か?」
 随分過ごしやすくなって、もう本格的な春がすぐそこまで来ているのが夜の温度で分かる。それでもやや寒いので耀介はニットカーディガンを羽織っていた。
 縁側に座ってビールを飲む父親の隣に静かに座り、耀介は今まで『怖くて聞けなかった事』を訊いて見ることにした。丁度良い機会だ。
「何だ、ヨウ。改まって……」
「母さんと親父って……どんな風に恋愛したのだ?」
 息子の言葉に、旨そうにビールを飲んでいた父親がむせた。
「お前は昔から唐突過ぎる!」
「申し訳ない。でも結構真剣に訊いている」
 耀介の大真面目な顔に、父親は何かを感じ取ったのだろう。
「長話になるが、付き合えるか?」
「ああ。だから俺もほら」
 耀介はそう言って右手に持った空のグラスを見せた。

 親子二人、揃って縁側に腰掛ける。
「お前達も立派な大人になったな。きっと母さんも喜んでる」
「そうだろうか」
「お前は昔から考え過ぎるきらいがあるようだな。母さんがいなくなったのはお前のせいじゃない。小さい頃もそうだったな。泣きそうになりながら俺に訊いて来たのが昨日の事のようだ」
 耀介の表情とは正反対の、父親の笑顔。俺は今、笑えていない。耀介は込み上げて来る涙をこらえるのに必死だった。
「母さんの話、聞きたいか」
「え?」
「伊田滝先生が、どうやら次回作で苦労しているらしいと茅乃さんに聞いたんだ」
 おばさん、何で親父に話しているんですか! と叫びたい所だが、正直「聞きたい話」ではあった。
「じゃあ……聞かせて欲しい」
「その前に、ほらグラスを出せ」
 父親にお酌をして貰う、この何気ない行動ができるのも全て母のお陰だと、耀介は改めて母へ感謝の気持ちを抱く。
「さて、長いお話の始まりだ」
 何故かおどけて話を始めようとするので「何だよそれ」と耀介が笑う。その息子の笑顔を見て、父も笑う。そこで「わざと俺を笑わせた?」と父の企みに気が付く耀介。
「暗い話じゃないからな、そうやって笑って聞いて貰えると母さんも喜ぶだろう」
 しわが増えて老いてしまった男性の口から零れるのは、とても幸せな二人の話だった。
「さっきも話しただろう? 俺と母さんは同じ大学だったけど、学部は全く違ったって」
「ああ、言ってたな。接点があったんだろ?」
「これがな……在学中はなかったんだ。俺の片思いってやつだ。文学部に凄く綺麗な女の子がいるって周りが大騒ぎしていてな」
「本当か!?」
 この発言に耀介は大層驚いた。
 確かにアルバムで見る事しか出来ない自分の母は、身内という贔屓を取っ払っても美しかった。父親が通っていた大学は有名な私立の総合大学だ。そんな大人数の中でも噂される自分の母はどんな人だったのだろうと余計に耀介は話の続きを聞きたくなった。
「それで、たまたま俺の友人が律子りつこと同じサークルに所属していて」
 父の口から初めて聞いた、母の名前。今、目の前にいるのは父親ではなく、一人の女性を愛した「男」がいる。耀介はそう感じた。
「俺はそのまま大学院に進んだけどな、律子は卒業して就職したんだ」
「それがどうやって結婚にまで発展するのだ?」
 耀介には本当に分からない世界だった。そんなものは非現実的だ、とも思えた。
「それでさっき言った俺の友達が飲み会を開いたんだが、その席に律子がいたんだ。そりゃあ驚いたさ。片思いをしていて諦めかけていた女性が目の前にいるんだからな」
 やっぱり恥ずかしいのか、父親の耳がほんのりと紅くなって来たように見えたが、それは酒のせいだと誤魔化そうとしている父親を見て見ぬ振りをした。
 父は話を続ける。
「やっぱり卒業した後でも律子は綺麗で……大人の女性になっていく姿を見て焦ったな。そんな時に、今で言うメールアドレス交換みたいに、家の電話番号を交換したんだ。その後は俺が律子に電話してたな、ほぼ毎日」
「毎日って、母さん……迷惑がっていなかったのか?」
 やや呆れ気味に耀介が尋ねると、父は溜息をきながら答える。
「ああ、言われた。毎日は勘弁して欲しいってな」
 苦笑いする父親の姿が滑稽で、徐々にアルコールが回ってきた耀介は大笑いする。
「母さんに説教されていたのか、親父!」
「『駿介しゅんすけさんのお気持ちは嬉しいですけど、今私は未熟な社会人ですから』ってバッサリだ」
「あははは! 一企業の社長がそんなのでいいのか!? 格好悪いな!」
「あの頃はまだ気楽な大学院生だったからな。今になってみると『若さは馬鹿さ』だと思うさ。今ほど背負うものがなかったから余計にな」
 父の話は「本当に幸せな恋愛をした二人」の恋物語。
 父の猛烈なアタックに折れた母との初めてのデート。社会人と学生という身分での恋愛は、思った以上に大変だったこと。そしてプロポーズの話。驚いたのは、意外にも堅実な父が大学院卒業までに婚姻届を出していたことだ。但し、父は会社の後継者だったので、その辺りは上手く親戚を納得させたらしい。
「でも、学生結婚は相当な覚悟がないと出来ないのでは?」
「それでも律子は俺にとって必要な存在だったからだ。それ以上の理由はない」
 父はきっぱりと言い切った。ほろ酔いの父だが、その目は真剣で――。
「家族になるってな、そんなに簡単な事じゃない。恋愛結婚って言っても、いつまでも恋愛が続く訳じゃない。律子の人生を背負う覚悟をする『愛』が必要不可欠。家族になるっていうのは『恋』を捨てて『愛』を残すもんだ」
「恋を捨てて、愛を残す……?」
「捨てるも残すも表現が悪いな……。誓った『愛』を律子と育てて行く。愛の積み重ねだ。だから侑介がいて、お前がいるんだ。今でも律子に恋している事もある。思い出すだけで胸が痛むけどな。だけど、律子と過ごした日々は『愛』で溢れていたと、お前達を育てながら毎日実感していたよ」

 『恋』を捨てて、『愛』を残す――。この表現に、耀介は正直胸を打たれた。勿論この表現だけでは語弊があるが、この言葉があるからこそ父親が次に話した「愛を育てる」も心に沁み渡るように感じた。

「再婚は考えなかったのか? 男手一つじゃ子供二人を育てるのは大変だろうし、それこそ親父ぐらいなら、いい人が居ても……」
「周りにも言われたがな、俺は律子を一生愛すると決めたんだ。確かに今律子は『この世界』にいないが、俺にとっての一番で唯一の存在は律子だ。出逢いもあったが、駄目だったなあ」
「それだけ……母さんに惚れていたのか?」
「おお、ベタ惚れだ。今でも惚れてるぞ。何なら叫んでもいい」
「やめてくれ、近所迷惑だ。真夜中に酔っ払った中年が……」
「言いたい放題だな、お前は」

 男二人の笑い声が庭に響く。
 空には大きくてまるい月。まるで母親が親子二人を包むような、温かい夜だった。


Lesson20はこちらから↓


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